未成年者という概念は法分野によって一様ではない。とくに刑事法分野では、2021年の少年法改正で、18・19歳の少年を「特定少年」とすることが新たに加えられた。近年、この「少年」の捉え方や取扱い方に関する著作は、枚挙に暇がない。そうした中で、20年近く少年事件を取材してきたジャーナリストの観点から、戦後の少年事件報道を検証することによって「少年とは何か」を捉えようとしたのが本書である。
本書の構成は、浅沼稲次郎社会党委員長(当時)襲撃の一枚の現場写真を素材にした少年事件報道に関する「プロローグ」に始まり、実名報道が当たり前だった太平洋戦争敗戦直後の復興期(第1章)から裁判員裁判制度が導入された今日(第8章)までを大きく6期に分けられている。そして、国親思想の発露、貧富の格差の産物、親子関係の歪み、「キレる」存在等々それぞれの時代の報道に現れる(表わされる)「少年」像の特徴を示す。また少年審判の問題点をも指摘しつつ、「最終章」でこれまで何かと騒がれてきた少年事件への関心が退潮して「少年」が消滅するかもしれない、と締め括っている。
各章で代表的な事件を2ないし7つ、名前だけのものも含めれば40件弱を取り上げて分析している。特に草加事件など司法判断がわかれた事例ではそれを分かり易く図解し、かつ、推知報道禁止原則が破られる根拠や裁判所の対応の変化(第6章はとくにこの変化に焦点を当てている)などが、ときにトピックとも重ね合わせながら巧みに著されている。
筆者は、「社会が描く『少年』観が時代によって大きく変容し」その絶対的な実像などないと断言しながら、「少年は炭鉱のカナリヤ」であり、大人たちが眼を背けようとしている現実を露骨に映しだそうとしている「鏡」なのだという。「少年」を安易に大人扱いして、同じように個人責任を負わせて良いものかを考えさせられる一冊である。
(ま)
*なお、川名壮志の論考として、「報道現場のルールと異なる推知報道禁止の解除(特集2 18・19歳の者の扱いに関する少年法改正の批判的検討)」(季刊刑事弁護106号〔2021年〕60頁)がある。
(2023年10月19日公開)