検察審査会制度のあるべき姿を追求する
検察審査会は、裁判員制度と並んで司法への市民参加制度の一つである。選挙権をもつ国民からくじで選ばれた11人の国民で構成され、検察官の不起訴処分などの妥当性をチェックする。しかし、検察制度の中で非常に重要でありながら注目度が高まらないのが検察審査会である。本書は、その問題点を探求して、制度の改善案を提起するものである。
本書の構成は、序文に始まり第1章「検察官と検察審査会」、第2章「検察審査会の誕生と運用」、第3章「検察審査会の影響」、第4章「強制起訴」、そして提言録ともいうべき第5章「教訓」、で締めくくられている。
検察審査会は、戦後の占領期にGHQが「検察の民主化」の試みとして、米国式の大陪審にならって、検察官公選制とともに提案したものである。しかし、日本の司法関係者がそれに強く抵抗したため、「世界のどこにも存在し」ない新しい制度として1948年に発足した。それが、犯罪被害者の権利擁護(1990年代)や司法制度改革(2001年)、さらに高裁判事妻ストーカースキャンダル(2000年)という3つの要因が重なって、2004年に、強制起訴権を付与する大きな改正が行なわれて今日に至っている(第2章)。
そもそもこの審査会には、「検審バック」(差戻し)と言われる検察官の起訴・不起訴を事後的にチェックするほか、検事正に対する「建議・勧告」という検察実務に対するチェック機能も有しているが、「権威を受け入れる社会」や「一般人は影響を及ぼせないという感覚」によって後者はほどんど行なわれていない。だからといってこの制度が形骸化しているというのではなく、検察官が活動する際に、事後的とはいえこの審査会によるチェックがあることが、陰に陽に検察官らに意識されてその行動に反映されるという、間接的な効果が現存すると指摘する(第3章)。
そして、何より検察官の役割に関する「あいまいさ」が問題の根底にあるという。すなわち、起訴等の権力の大きさ、事実より人に重きを置くほか非違行為の慣行さらにはアカウンタビリティーないし外部チェックの脆弱さがあるとする(第1章)。
こうしたことを前提にして、2009年から12年間で行使された10件の「強制起訴権」の実態を分析する。それによって、検察の慎重な起訴政策の下で、検察審査会は難事件を裁判にかけ問題を真剣に論議する可能性を高める働きをし、かつ、強制起訴した事件が無罪になったからと言ってそれが無価値であるのではなく、むしろ断罪すべきものを我々(市民)に教えるという教訓を残していると肯定的に捉えるべきだとする(第4章)。
そして最後に、「検察審査会の危険性」も含めて12の「教訓」を示した後に、審査会の構成の透明化、「建議・勧告」の権限活用や審査員自身の意識変革、審査会に対する市民の認知度の向上などの「提言」が行なわれている。
本来、法務省の特別な機関である検察庁が本省を支配するほど絶大な力もっている現在、このような提言が実現されるかは不明であるが、少なくともこの検察審査会制度がより有用に活用される展望が有ることを明示している一冊である。
(ま)
(2022年10月05日公開)