だから、ワタシは「罪に問われた人たち」と生きる。


だから、ワタシは「罪に問われた人たち」と生きる。

本体2,500円+税

木下 大生 編著 / 丸山 泰弘 編著

罪に問われた人を、「あんな奴ら」とみなし、軽蔑し、遠ざけ、排除しようとしているのではないだろうか?

そのような世間の風潮とは別に、彼・彼女らの更生を信じ、 自立した生活を送れるように彼・彼女らに関わる人たちがいる。 犯罪とは、どこか遠くで起こっている他人事ではなく、 我々の生活する社会と地続きの自分事である。

罪を犯し刑務所に入所した人は、死刑判決でない限り(再審無罪の場合もある。もっと言えば死刑確定者であっても支援は必要な場合もある)、原則として出所し、地域社会で生活を送ることとなる。また、執行猶予判決を受けた者は、刑務所への入所することなく、一定のルールのもと地域社会で生活を送ることとなる。その際に、彼・彼女らに十分な支援はなされているのであろうか? 彼ら・彼女らを、「あんな奴ら」とみなし、軽蔑し、遠ざけ、排除しようとしているのではないだろうか? そのような世間の風潮とは別に、彼・彼女らの更生を信じ、自立した生活を送れるように彼らに関わる人たちがいる。

本書は、そういった人たちと関わろうとするソーシャルワーカー、公認心理師・臨床心理士、刑事弁護人、依存症当事者・依存症回復施設職員、刑務官(元)・看護師、研究者(犯罪学・刑事政策)による対談を収録したものである。彼・彼女らが罪を犯した人と関わろうとする動機は、再犯防止、罪を犯した人の生き直し、人が生きたいように生きる社会の実現、自身が生きる意味を考えるため、自分の生きる社会を良くしたい、とさまざまである。

罪を犯した人への支援は不要であると考える人もいるかもしれない。また、支援が必要かどうかの答えを持ち合わせていない人もいるであろう。しかし、犯罪とは、どこか遠くで起こっている他人事ではなく、我々の生活する社会と地続きの自分事である。

罪を犯した人との関わりを考えることで、我々が身を置く社会のあるべき姿はどのようなものであるかを検討する機会を提供する。

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(2024年10月23日公開) 


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