2015年の安保法制改定後、自衛隊は〈海外派兵型の組織〉へと変容を遂げている。その知られざる姿を、自衛隊の配備・装備・訓練の実態報告によって明らかにする。また、安倍政権は自衛官を大切にするために、「自衛隊明記の憲法改正」をするというが、本当にそうなのか。現場の自衛官の処遇にも光をあてる。
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◆はじめに
2017年5月3日、安倍晋三首相は以下のように発言した。
「今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。
しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。
私は、少なくとも、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます」。
その後、自衛隊明記の憲法改正に関する議論がなされる中で、安倍首相は「自衛隊を憲法に明記しても何も変わらない」「自衛隊を憲法に明記しても現状を認めるだけ」とも主張した。
このように、安倍首相は「自衛隊を憲法に明記しても何も変わらない」「現状を認めるだけ」と発言している。何も変わらない憲法改正であれば、消費税率を10%に引き上げるなど、日本の財政が危機的状況にある中、総務省の試算で850億円もの費用がかかる憲法改正をする必要があるのかが問われることになろう。さらに、「自衛隊を憲法に明記しても何も変わらない」というのは本当なのか。さらには「自衛隊を憲法に明記しても現状を認めるだけ」とも安倍首相は言うが、そもそも「自衛隊の現状」とはどのようなものなのか。「自衛隊明記の憲法改正は自衛官のため」とも安倍首相は言うが、歴代自民党の政治家は、それほど現場の自衛官を大切にしてきたのか。憲法改正という政治目的を達成するために「自衛官」をダシにするのであれば、それこそ自衛官に対して「無責任」ではないか。
以上のような問題意識を持ち、その「解答」を主権者市民に提供することを目的に刊行されたのが本書である。
第1部では、「自衛隊の現状」を明らかにする論考、そして自衛隊明記の憲法改正をめぐる法理論が紹介されている。第2部では「海外派兵型の組織」に変容した「自衛隊の現状」を紹介する。第3部では、現場の自衛官に国はどのように接してきたのか、現場の自衛官がどのように処遇されてきたのかを紹介する。そして第4部では、第1部から第3部に関する自衛隊の基礎知識を提供する。
「国民主権の父」と言われ、フランス大革命(1789年)に大きな影響を及ぼしたJ.J.ルソーは『社会契約論』で、「国民は欺かれることがある」と記している。憲法改正の際には国民投票がおこなわれるが(96条)、その際に主権者が適切な知識を有していなければ、「誤った判断」をする危険性が生じる。2019年7月21日の参議院選挙で改憲勢力(自民、公明、日本維新の会)が参議院議員の3分の2を割り、憲法改正の道のりは困難になった。とはいえ、依然として参議院でも改憲派の議員が多数であることを考慮すれば、改憲の動きが進む可能性は高い。安倍首相をはじめ、憲法改正を目指す政治家が改憲の本丸としている項目が「自衛隊明記の憲法改正」だとすれば、「自衛隊」や「自衛官」をめぐる状況とその変貌、そして憲法改正をめぐる法理論を踏まえた対応が今まで以上に求められる。本書がその一助となることを願ってやまない。
2019年7月26日
米英中によるポツダム宣言発表から74年目の日に
飯島滋明
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◆おわりに
私ごとで大変恐縮ながら、まず私の生い立ちについて若干紹介させていただきたいと思う。それは私の生き方や戦争についての考え方と平和憲法を守る運動に深く関わることであり、本書の執筆と編者を承引した動機にも繋がっているからである。
私は九州の長崎出身だが、「満州鉄道」の鉄道員だった父と貧農の長女だったため、満州に送られて旅館で働いていた母との間に生まれ、3歳の時に満州で終戦を迎えた。私が中国残留孤児となる一歩手前のところを亡き母が父の制止を振り切り、身体を張って長崎に連れ帰ってきたことを両親から何度も聞かされた。1945年8月9日に満州に侵入してきたソ連軍の質は大変低く、日本人に対して際限のない残虐行為を繰り返した。満州にいた日本人のほとんどが何としても子供だけは生かしたいとの思いから、自分の子供を中国人に預けた。私の父も例外でなく私を中国人に預けたが、母は泣きながら抵抗したという。父は「下手な感傷に浸っている場合でない」と言って母と私を引き離して日本へ帰る引き揚げ船に乗るため波止場に向かったそうだ。
しかし、母が号泣しながら後ろを振り返った際、50メートル後ろにリュックサックを背負って母を追い続けてきた私の姿を発見した。それを見た母は割れんばかりの声をあげて私のところにやって来て私を抱きしめ、「お母さんが悪かった。本当にごめん。たとえ殺されることになってもお前を離すことは絶対にしない」と泣き叫んだと聞かされた。
こうして私は原爆で被災した長崎に戻ることができたが、引揚げ者であった私たち家族の生活は大変貧しく、母は農家で使う縄や筵を綯うため朝から晩まで働き通し、私が高校生になったころは結核の病に冒され入院するに至った。母は23年前にくも膜下出血でこの世を去ったが、最後の病院で全身のあちこちがボロボロになっていることを医者から聞かされた時は、さすがの私も涙が止まらなかった。このように身を粉にして働いていた私の母だったが、小学校に入った時から高校を卒業するまで耳にタコができるほど、「お前は苦難の末、奇跡的に長崎に戻って来られたのだから、戦争を憎み、貧困と差別をなくすため力を尽くす人間になれ」「どんなことがあっても平和を守るために最善の努力をせよ」と導き続けた。私は高齢となった今でも亡き母のこの言葉を昨日のことのように覚えている。
私が残留孤児になることなく日本に戻り、弁護士として仕事ができているのは私を命懸けで満州から長崎に連れ帰り、戦前戦中戦後を必死に生き抜いてきた母のおかげであり、まぎれもなく亡き母は私の生き方の原点として私の存在と思想を支え続けてくれている。微力ながら私がこれまで人権と民主主義、そして平和を守るためのささやかな活動に携わってこれたのは母に叱られないような生き方をしようと心がけてきたからにほかならない。
ところで、実際の戦後日本の政治状況はどうなっているか。塗炭の苦しみを近隣諸国の民衆や日本国民に与えた「戦争」への深い反省の上に制定された日本国憲法を空洞化する政治が進められてきたのではないか。とりわけ平和憲法9条の乱暴きわまる破壊は、第2次安倍政権のもとで桁違いに加速された。そして安倍氏は首相に返り咲いてから今までの6年間以上、一貫して「戦争できる国づくり」を進め、憲法「改正」の実現のために躍起になってきた。その典型が集団的自衛権の行使を容認した2014年の「7.1閣議決定」であったが、それを取り繕おうと詭弁を弄したのが安倍政権と自民党による「最高裁砂川判決」の強引かつ恣意的な歪曲であった。「砂川判決」が集団的自衛権については何も触れておらず判断していないのは当たり前の常識であるが、彼らはそこに根拠をおいて国民を欺き続けてきた。かかる牽強付会、黒を白と言いくるめる政治的手法が安倍政権の基本的特徴であって、知性も理性のかけらも見い出せない恐るべき事態となっている。
2019年7月21日の参議院選挙。マスコミは一斉に「安倍政権勝利、されど憲法発議に必要な3分の2に至らず」と報道した。そして安倍氏は「国民は安倍政権を深く信頼している結果が出た、憲法改正の論議を進めてほしいと審判した」と述べた。
これはまたしても安倍流の詭弁、まやかしの言葉にほかならない。
今回の選挙で自民党は議席数を10減らし、得票は240万票減じて前回の2000万を大きく割り込み、全有権者の16.7%という過去最低の得票率となった。まさに客観的にはレームダック(死に体)状態にある。にもかかわらず、安倍氏は豪語してきた「オリンピックが開かれる2020年に新憲法を制定する」ために野党の切り崩しなどを画策している。
私はこれまであらゆる機会に「戦後レジームからの脱却」を標榜してやまない安倍政権による「改憲」への警戒心を強めていかなければ大変な状況になると訴えてきたが、今度の参議院選挙の結果を見て、その思いをさらに強めている。
安倍政権が具体的に目指しているのが「自衛隊の憲法明記」である。安倍氏は「自衛隊の憲法明記で何も変らない」と相変らずの虚偽と詭弁を繰り返しているが、本書の各論稿で論じられているように、自衛隊は設立当初のものとは全く異なり、現在の自衛隊は軍隊としての能力を持ち、実際にさまざまな地域に派兵されてきた。詳しくは別稿に譲るが、新安保法制のもとでの自衛隊は地理的限界なく、自らの海外での武力行使や外国軍隊に近接した場所での後方支援を行うなど、危険性の高い任務、行動、権限を大きく拡大した。この間、それに対応できるような編成、装備などを拡充し、かつ攻撃的な機能を準備してきたのである。さらに「安保法制」に代表されるように、集団的自衛権を含む世界中での武力行使を可能にする法律が制定され、戦争に反対する市民などを監視する「監視国家化」も進められてきている。
こうして安倍政権は「戦争できる国づくり」を着実に構築してきたが、それは安倍政権がすすめる憲法「改正」によって完成される。私の母が教え続けてくれた「平和社会の実現」は間違いなく崩壊する。
一体、わが国はどこへ行こうとしているのか。これまで積み上げてきた「平和国家」から別の姿の国家へと変貌を遂げているのではないか。安倍政権はこの国を、国民を、そして自衛隊をどこに連れて行こうとしているのか。不穏なイラン情勢の中でアメリカの呼びかけに応じて有志連合に参加し、戦争への道に巻き込まれていく具体的な危険性は限りなく大きくなってきている。
しかしながら、私たちにはこうした安倍政権の危険な流れを断固として阻止しなければならない歴史的責任がある。そのためには本書で紹介されているような自衛隊の実態、世界中での武力行使が可能になる法制度と海外派兵型兵器を持つ自衛隊の状況、自衛隊明記の憲法「改正」の危険性をより多くの市民に広めることが極めて大事であると思う。私は今、安保法制違憲訴訟や憲法「改正」の危険性を広めるための講演活動などに携わっているが、本書の刊行をきっかけとして自衛隊の実態と安保法制や憲法「改正」の本質的な問題を一人でも多くの市民が認識するようになれば、本書は一定の社会的役割を果たしたことになるであろう。
最後になるが、本書の刊行にあたっては現代人文社の成澤壽信さん、吉岡正志さんに大変お世話になった。この場を借りて心からお礼を申し上げたい。
2019年8月9日
長崎への原爆投下から74年目の日に
寺井一弘
(2019年09月24日公開)