脳科学と少年司法


脳科学と少年司法

本体3,600円+税

山口 直也 編著

脳科学・神経科学には目覚ましいものがある。近時の米国少年司法の脱厳罰化の動きは、この脳科学・神経科学の知見によるところが大きい。本書では、脳科学・神経科学の知見を明らかにしたうえで、発達心理学、臨床心理学、社会学の視点も踏まえて、米国少年・刑事司法の現状を実体法・手続法両面において分析し、少年法の適用年齢を引き下げるなど未だに厳罰化を指向するわが国の少年・刑事司法のすすむべき方向性について、理論・実務の両面から検討する。

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◎はしがき

少年法が再び揺れている.現在,法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会では,少年法の適用対象年齢を20歳未満から18歳未満に引き下げることについて,そして,引き下げた場合の若年者に対する刑事政策的措置も含めて長期間にわたって議論が展開されている.今までにも少年法は4回の大きな改正を経てきており,そのたびに少年保護の重要性が叫ばれてきた.ただ,今回の法制審議会の議論は,非行少年の四分の一程度を占め,少年院被収容者の約半数を占める年長少年を少年法の枠組みから外して刑事手続に移そうというものであり,少年保護自体を大きく縮小し,衰退させかねない,極めて注意しなければならない議論である.また,年長少年に対する少年保護がうまく機能している現状からすれば,立法事実に乏しい,極めて乱暴な議論でもある.

わが国の少年法の母法は米国少年法である.初期の米国少年法の理想を引き継ぐかたちで,この70年間,家事事件も扱う家庭裁判所の中で非行のある少年の保護教育を健全育成の理念の下で行ってきている.米国少年法が,1980年代後半以降,保護主義から厳罰主義に転換して非行少年に対する刑罰を拡大した後も,わが国の少年法の理念が捨てられることはなく,20歳未満の非行少年に対して等しく保護主義が及ぼされてきたことを忘れてはならない.その枠組みが,現在,大幅に縮小されようとしている.逆の見方をすれば,刑罰の枠組みの拡大であり,現行少年法の厳罰化である.

しかし,このような厳罰化は,少年非行の抑制,非行少年の立ち直りには役立たないということは米国が辿ってきた道のりを振り返れば明らかである.そして米国では,厳罰主義による失敗に対する反作用として,脱厳罰化のうえで保護主義へと回帰する動きがみられる.2005年以降,米国連邦最高裁が下した一連の判決,すなわち,少年に対する死刑の廃止,少年に対する仮釈放なし終身刑の廃止,少年に対する固有の適正手続の保障,そして,これらの判決を受けて継続している,少年法適用対象年齢の引き上げを含めた州法改革がそれである.

これらの改革を支えている原動力は何か.

それが本書の中心課題である脳科学・神経科学による子ども期の再発見である.人間の脳は20代半ばまでは器質的にも機能的にも未成熟である.それゆえに,少年は未熟な判断によって過ちを犯してしまう存在である.そのような発達途上の少年に大人と同じ刑罰を科してはならない.少年はその特性に応じた扱いを受け,保護教育を重視した処遇を受けなければならない.1899年に米国で少年裁判所が誕生した際に掲げられたこの少年保護の理念が,120年たった現在,科学の最先端技術によって再び確認されたのである.

本書は,古くて新しい少年保護の現代的意義を,医学者,心理学者,法学者,社会学者,裁判実務家9名で,脳科学,神経科学,認知心理学,臨床心理学,社会学,そして刑事法学の観点から紐解く,挑戦の書である.

本書のねらいは三つある.

一つは,子どもの発達をめぐって脳科学の観点からの議論が盛んである米国の法と社会の状況を理解することである.本書では,この議論の出発点ともなる,少年に対する死刑を違憲として廃止した2005年連邦最高裁ローパー判決をはじめ,仮釈放なし終身刑を違憲として廃止した2010年連邦最高裁グラハム判決,2012年ミラー判決,そして,少年に固有の適正手続保障を示唆した2011年連邦最高裁J.D.B判決を詳細に検討するとともに,一連の判決を受けて少年司法の在り方が変容しつつある米国社会の状況を分析している.これらについては第5章ないし第7章で論じている.

もう一つは,米国において保護主義への回帰を促すとともに,一般社会の中でも共通の理解となりつつある,少年の脳の発達の未成熟性をめぐる脳科学・神経科学・認知心理学の現状を理解することである.従来から,子ども期の判断・意思決定は,将来の見通しも十分なされないままに安易に行われ,まわりの意見に左右されやすいこと,すなわち,被暗示性・迎合性が強いことが心理学上の実験等においても認知行動科学として確認されていた.fMRIを用いた脳科学の知見は,このことを目に見える形で裏付けることに成功したのである.これらの内容については第1章ないし第3章で論じている.

そして,米国少年司法が拓いたこの新たな地平はわが国の少年司法においても応用可能であるのか.このことを検討したのが第8章ないし第11章である.少年の脳の未成熟性を前提とした場合に,捜査段階の取調べはいかなる点に注意しなければならなくなるのか.少年事件の社会調査は正確性を増す方向で変容するのか.少年審判における要保護性の認定は影響を受けるのか.逆送決定審判・移送決定裁判における犯情評価に影響を与えるのか.そして,刑事裁判における刑事責任の認定,量刑判断はいかなる影響を受けるのか.これらの諸問題を元家庭裁判所調査官,元家庭裁判所裁判官,そして弁護士付添人・弁護人の目を通して分析している.

第4章でも指摘されているとおり,いうまでもなく,脳科学・神経科学の現在の知見が万能というわけではない.あくまでも法的判断に寄与する新たな要素が社会に提供されたとみるのが正確であるのかもしれない.だが,この新たな要素は,少年司法に携わる者だけでなく多くの人々にとって見えやすく,わかりやすく,それゆえに魅力的である.刑事裁判も含めて,少年司法における社会調査,事実認定,処分決定,そして,量刑が正確かつ適正に行われることに寄与するのであれば,この新たな知見と法との関係性を追求することは大きな意味があるように思われる.

本書がその先駆けになるとともに,少年法適用年齢引き下げに疑問を呈する一助となるとすれば望外の幸せである.

最後になったが,本書の企画の段階からご尽力いただき,編集作業も行っていただいた現代人文社成澤壽信社長に,心から感謝の意を表する.

 

2019年7月

編者 山口直也

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◎著者プロフィール

山口直也(やまぐち・なおや)
立命館大学教授。1961年、熊本県生まれ。1994年、一橋大学大学院法学研究科(公法・刑事法専攻)博士後期課程単位取得退学。
主な著作に、『ティーン・コート』(編著、現代人文社、1999年)、『弁護のための国際人権法』(編著、現代人文社、2002年)、『少年司法と国際人権』(成文堂、2013年)、『子どもの法定年齢の比較法研究』(編著、成文堂、2017年)、『新時代の比較少年法』(編著、成文堂、2017年)などがある。

友田明美(ともだ・あけみ) 
福井大学子どものこころの発達研究センター発達支援研究部門教授、子どものこころ診療部長。1960年、熊本県生まれ。1987年、熊本大学医学部卒業。
主な著作に、『新版 いやされない傷─児童虐待と傷ついていく脳』(単著、診断と治療社、2012年)、『子どもの脳を傷つける親たち』(単著、NHK出版、2017年)、『虐待が脳を変える─脳科学者からのメッセージ』(共著、新曜社、2018年)、『脳を傷つけない子育て』(単著、河出書房新社、2019年)などがある。

仲真紀子(なか・まきこ) 
立命館大学教授(総合心理学部)。北海道大学名誉教授。1955年、福岡県生まれ。1984年、お茶水女子大学大学院人間文化研究科(人間発達学)博士後期課程単位取得退学。1987年学術博士(お茶の水女子大学)。
主な著作に、『子どもへの司法面接:考え方・進め方とトレーニング』(編著、有斐閣、2016年)、『心が育つ環境をつくる』(共編著、新曜社、2014年)、『法と倫理の心理学』(培風館、2011年)、『目撃証言の心理学』(共著、北大路書房、2003年)などがある。

赤羽由起夫(あかはね・ゆきお) 
和光大学ほか非常勤講師。1983年、長野県生まれ。2016年、筑波大学大学院一貫制博士課程人文社会科学研究科修了。
主な著作に、「少年犯罪と精神疾患の語られ方」(日本犯罪社会学会、『犯罪社会学研究』第37号、2012年)、「なぜ『心の闇』は語られたのか」(日本社会学会、『社会学評論』第253号、2013年)、「少年非行問題における『普通』」(日本社会病理学会、『現代の社会病理』第31号、2016年)、「理解不能な動機の社会的構成」(筑波大学社会学研究室、『社会学ジャーナル』第44号、2019年)などがある。

本庄武(ほんじょう・たけし)
一橋大学教授。1972年、福岡県生まれ。2001年、一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了。
主な著作に、『少年に対する刑事処分』(現代人文社、2014年)、『刑罰制度改革の前に考えておくべきこと』(共編著、日本評論社、2017年)、「脳科学の発展が少年法適用年齢引下げ問題に与える示唆」判例時報2402号(2019年)などがある。

山﨑俊恵(やまざき・としえ)
広島修道大学准教授。1974年、岩手県生まれ。2004年、東北大学大学院法学研究科中途退学。
主な著作に、「少年法の適用対象年齢」(広島修道大学ひろしま未来協創センター、『修道法学』第40巻第2号、2018年)、「アメリカにおける少年の刑罰 : アメリカ合衆国最高裁判所の判例から」(同第37巻第1号、2014年)、「少年法と被害者」(刑法読書会、 『犯罪と刑罰』第19号、2009年)などがある。

須藤 明(すとう・あきら)
駒沢女子大学人間総合学群心理学類教授。公認心理師、臨床心理士。1959年、栃木県生まれ。1982年、埼玉大学教養学部卒業。東京家庭裁判所家裁調査官、裁判所職員総合研修所研究企画官、広島家庭裁判所次席家裁調査官などを経て2010年から現職。
主な著作に、『少年犯罪はどのように裁かれるのか』(合同出版、2019年)、『刑事裁判における人間行動科学の寄与』(編著、日本評論社、2018年)、『情状鑑定を通してみた弁護人と心理臨床家の協働・連携』(駒沢女子大学、『駒沢女子大学研究紀要』第23号、143-152、2017年)、『機能的家族療法』(共訳、金剛出版、2017年)など

安西敦(あんざい・あつし)
弁護士・臨床心理士・公認心理師。1971年、香川県生まれ。1994年、同志社大学法学部法律学科卒業。2012年、香川大学大学院教育学研究科学校臨床心理専攻修了。
主な著作に、「弁護士付添人から見た試験観察の意義と課題」『再非行少年を見捨てるな─試験観察からの再生を目指して』(編著、現代人文社、2011年)、「付添人と教育機関との連携事例と課題」『非行少年のためにつながろう!─少年事件における連携を考える』(共著、現代人文社、2017年)、「保護事件の付添人」(日本評論社、『法学セミナー』59巻7号28-30、2014年)などがある。

大塚正之(おおつか・まさゆき)
弁護士(弁護士法人早稲田大学リーガル・クリニック)、筑波大学法科大学院非常勤講師。元裁判官、元早稲田大学大学院法務研究科教授。1952年、滋賀県生まれ、1977年、東京大学卒業、1979年、第31期司法修習修了。名古屋地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局家庭局付、大阪高等裁判所、横浜家庭裁判所、東京高等裁判所などの各判事を歴任。
主な著作に、『判例先例渉外親族法』(日本加除出版、2014年)、『場所の哲学─近代法思想の限界を超えて』(晃洋書房、2013年)、『臨床実務家のための家族法コンメンタール(民法親族編)』(勁草書房、2016年)、『家族法実務講義』(共著、有斐閣、2013年)、「児童虐待から生じる諸問題と弁護士の役割」(日本加除出版、『家庭の法と裁判』18号、2019年)などがある。

(2019年08月14日公開) 


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