甲山事件50周年記念会/「冤罪事件を風化させてはならない」と誓う


 11月30日(土)、兵庫県・姫路市内のホテルで、甲山(かぶとやま)事件の同窓会(甲山事件50周年記念会)があった。冤罪被害者の山田悦子さん、支援者、弁護士、マスコミ関係者など40人余りが参加した。

挨拶する麻田光広弁護士(2024年11月30日、ホテルモントレ姫路にて。撮影:刑事弁護オアシス編集部)

 甲山事件は、1974年3月に、兵庫県西宮市にある知的障がい者養護施設の甲山学園で起こった事件。12歳の園児二人が相次いで行方不明となり、その後学園内のトイレ浄化槽から遺体となって発見された。警察は職員以外に犯人はいないとして見込捜査を敢行。当時、保母として学園に勤務していた山田悦子(当時、22歳)さんを殺人罪で逮捕(第一次逮捕)。一旦は不起訴処分となったが、検察審査会の不起訴不当の判断があった後、再び逮捕(第二次逮捕)され、起訴された。第一審・神戸地裁で無罪判決が出たが、控訴審の大阪高裁で逆転差戻し。差戻し一審でも無罪となったが、検察が再び控訴。大阪高裁で控訴棄却され、検察が上告を放棄して無罪が確定した。逮捕以来25年半、起訴以来21年半の歳月を要した。

 第一次逮捕の不起訴後、逮捕に違法があったとして国賠訴訟を提起するが、その弁護団には麻田光広、浅野博史、高野嘉雄、上野勝の4人の弁護士がいた(全員が司法研修所26期修了)。高野嘉雄弁護士と上野勝弁護士がすでに亡くなっている。第二次逮捕以降の刑事裁判では、221人の大弁護団になった。

 冒頭で挨拶に立った麻田光広弁護士は、「控訴審で第一審無罪判決が破棄され差戻しになったときは、本当に頭の中が真っ白になった。冤罪のおそろしさ、とりわけ死刑事件ともなればなおさらです。甲山事件は無罪確定から25年、逮捕から50年と長い期間が経った。事件を風化させてはいけない。その時代の社会背景を考えながら、甲山事件の教訓を踏まえて、これからの社会で冤罪が起こらないよう、みんなで努力する必要があります」と、当時の社会背景や弁護団の構成について語った。

 また、第2次逮捕後の刑事裁判で特別弁護人となった、心理学者の浜田寿美男(奈良女子大学名誉教授)さんは、「専門は心理学で裁判の世界とはそれまで無縁であったが、30代のはじめにこの事件にかかわり、園児証言について供述分析を裁判ではじめて披露した。それ以来この裁判の世界から抜けることができなくなり、いまだ続けています。裁判では供述分析の手法はいまだ日の目をみていないが、生あるかぎり続けていく」と決意をあらたにした。

 事件当時、山田さんの犯罪視報道をマスメディアの一線で行っていたマスコミ関係者も多数参加。「当時のマスメディア内では逮捕=犯人が当たり前で、書きたい放題だった。松本サリン事件などの報道の反省から、それが『容疑者呼称』報道など一時よい方向に変化したが、いつのまにか元にもどってしまったことを憂慮しています。山田さんはこんな私たちと付き合ってくれた貴重な存在です」と、当時の報道を自戒して振り返った。

山田悦子さん(2024年11月30日、ホテルモントレ姫路にて。撮影:刑事弁護オアシス編集部)

 山田さんは、この会が終わった後、こう語っている。

 「日本教育の『主権の存する日本国民は、人権尊重の平和憲法に守られている』との説示が、単なる幻想に過ぎないことを私は、冤罪甲山事件の体験から理解しました。冤罪により足を踏み入れることになった日本の刑事司法は、冤罪の海でした。

 フランス革命で獲得された刑事司法の理念である『無罪の推定』は、人間の法的権利となって、世界人権宣言や国際人権規約をはじめとし、海外諸国の憲法に明記されています、しかし、法治国家の日本は憲法にも刑事訴訟法にも明記していません。つまり、日本国民は、『無罪の推定』を法的権利として保持していないのです。

 日本国憲法の31条から40条までの適正手続は、刑事司法の大命題『無罪の推定』のもとにある小命題です。イギリスの法学者のウィリアム・ブラックストーンが300年ほど前に残した『重罪の推定証拠は全て慎重に認定されなければならない。法律は、ひとりの無実の人間が罰せられるより、10人の罪人が罰を逃れるほうがいいと考える』との言説は、刑事司法の格言になっています。この格言は、『無罪の推定』が包摂する法観念のひとつです。『疑わしきは罰せず』もそのひとつです。

 刑事司法の大命題が法に確立されていない日本の刑事裁判の磁場は、『有罪の推定』になっています。憲法38条は守られず、『自白』ひとつあれば、有罪になってしまいます。取り返しのつかない死刑になってしまうことさえ、往々にしてあります。この悲惨な刑事司法の事実は、冤罪甲山事件発生時から変わることはない、日本の刑事司法の姿です。

 人権は、人間の法的権利としてあります。『無罪の推定』が法の中に権利として獲得されねば、法の強制力は生まれません。人権思想が法にならなければ、人権思想の創造を司法権に委ねることはできないのです。

 冤罪を経験した者として事件発生から50年、無罪確定から25年目の節目にあたり私は、『無罪の推定』の定立・定律がまずもって憲法に図られねばならないと、意識を強くしています」。

 免田、財田川、松山、島田の各死刑事件が相次いで再審で無罪となった1980年代前半には、冤罪への関心がマスメディアや国民の間で高まった。しかし、次第に薄れていったことは否定できない。冤罪原因の徹底的な解明はなされず、結局、再審法の改正もないまま今日にいたっている。袴田事件はそうしたなかで雪冤に58年もかかっている。冤罪の教訓をどう社会の中で継承し、再審法改正に結実させていくかは、焦眉の課題である。そのことを、この会で十分嚙みしめることができた。

【参考文献】
・上野勝・山田悦子編著『甲山事件 えん罪のつくられ方』(現代人文社、2008年)

(2024年12月16日公開)


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