〈免田事件〉9月25日、「免田栄文庫」が熊本大に移管


「免田栄文庫」の移管後に熊本大で開かれた記者会見(2024年9月25日)で、文庫の内容を説明する免田事件資料保存委員会の牧口敏孝委員(左端)。

 確定死刑囚として初めて再審無罪となった故・免田栄さん(2020年12月、95歳で死去)が獄中で読んだ書籍を中心とする「免田栄文庫」が2024年9月25日、これまで保管されていた福岡県大牟田市の小浜集会所から熊本市の熊本大学文書館に移管された。翌26日には再審袴田事件で判決が言い渡されることになっており、再審や死刑制度に社会の関心が集まるタイミングでの移管となった。

 「免田栄文庫」は免田さんが獄中で点訳したり、学んだりした書籍など約1,000冊。獄中から、免田さんの終生変わらぬ支援者だった潮谷総一郎氏が園長を務めていた熊本市の社会福祉施設「慈愛園」の関連施設「熊本ライトハウス」に贈られた。手狭になったことなどから、2001年に大牟田市で暮らす免田さんと交流のあった同市の高校教師(当時)城野俊行氏が引き取り、小浜集会所で保管していた。

整理が済んだ「免田栄文庫」の一部。

 免田さんの死去後、恒久的な保存が必要との判断から、免田さんの妻・玉枝さん(88歳)が免田事件資料保存委員会を通じて、熊本大学文書館に寄贈した。文書館は既に、免田さんが手書きで写した裁判資料や、獄中から実家や支援者に送った手紙など事件資料約800点を保管している(そのうち主な資料が解説を付して、同委員会編『検証・免田事件[資料集]』に収録されている)。

 免田事件資料保存委員会が「免田栄文庫」の目録作りを進めてきたが、法律や宗教、日本や世界の歴史、文学など多岐にわたる。委員会の高峰武代表は「無実を訴え続けた死刑囚が、獄中でどんなことに関心を向けて本を読んでいたかが分かる一級の資料群だ」と意義を語る。

 書籍類には赤鉛筆で印を付けたり、「✓」を付けたりした箇所が多数あった。

 『人間の歴史 先史古代篇』の中の一文「無知は恐怖を生み、知識は確信を与える」にも赤い印が付いていた。目録作りを担っている牧口敏孝委員は「獄中で必死に知識を身に着けようとする免田さんにとって指針となる言葉ではなかったか」と読む。

 また、「私本購入申し込み、独居入浴、独居洗濯」などと拘置所内のスケジュールが記載された紙片や理髪券、本の納品書などが書籍の間に挟まっていることもあり、獄中生活を推測させる。

 牧口委員は「免田さんにとって、読書は生きることだった。目録作りのために1ページ1ページめくっていきながら、その時々の心情を推し量っているが、(免田さんが亡くなってしまい)謎が解けないことも多い」と話している。

熊本大学文書館に搬入された「免田栄文庫」。整理が済んだ書籍から奥の書架に並べられる。
「免田栄文庫」がこれまで保管されていた福岡県大牟田市の小浜集会所。

 整理が済んだのは約1,000冊のうちの85%。移管の準備中に新たに段ボール3箱分(約100冊)の書籍が見つかった。委員会は今後も、未整理200冊余の目録作りを続ける。

 寄贈に当たって免田玉枝さんは「皆が使ってくれればうれしい」と語った。また、寄贈を受けた熊本大学文書館は「できるだけ早く一般公開したい」としている。

(甲斐壮一)

(2024年10月07日公開)


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