1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された「袴田事件」で強盗殺人罪などに問われ、死刑が確定した元プロボクサー袴田巖さん(87歳)の再審(やり直し裁判)第6回、第7回公判が1月16、17日、静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。
両日とも袴田さんの弁護団が主張・立証と検察への反論を展開。事件の1年2カ月後に味噌タンクで見つかった「5点の衣類」をめぐり、袴田さんのものと認定される根拠になったズボンの端切れは「警察がすり替えた」と主張した。また、5点の衣類に付着した血痕に赤みが残っていたことを挙げて「捜査機関が発見の少し前に味噌タンクに入れた」と強調。確定審で死刑判決の決め手とされた5点の衣類は「捏造証拠だ」と改めてアピールした。
端切れの発見経緯に不審な点
5点の衣類をめぐっては、そのうちのズボンの端切れ(共布)を警察が袴田さんの実家のタンスで見つけたとされ、袴田さんの衣類と認定される裏づけになった。弁護団は今回、タンスにあったのは袴田さんの喪章で「警察がズボンの共布とすり替えたことが強く推認される」と主張した。
弁護団は、被害者の葬儀の時の袴田さんの写真や袴田さんの母親の証言をもとに、母親がタンスにしまったのは、袴田さんの逮捕後に味噌工場から送られてきた荷物に入っていた喪章だ、と立論した。
そして、端切れを警察が見つけた経緯に不審な点があると問題視した。実家の捜索は5点の衣類が発見された12日後に実施されたが、発見した警察官が、①実家に着くと1時間前から別の警察官Mが来ており、「タンスの引き出しの中を調べてみてはどうか」と言われて端切れを見つけた、②その際、Mがすぐに「5点の衣類のズボンの共布」と断定し捜索を終了させた──と1993年に袴田さんの支援者の聴き取りに答えており、Mによる捏造を示唆していると見立てた。
端切れの切断面が5点の衣類のズボンと一致するとの鑑定結果が出たのは、この捜索の約3カ月後だ。2本分あるはずのズボンの端切れが1つしか見つかっていないことや、切断面がギザギザの端切れと喪章は形状が違うこと、味噌工場から実家に送られていた他の所持品が調べられていないことにも疑問を呈した。
弁護団はこうしたことから、この日の捜索の目的は「合法的に袴田さんの実家に上がり込み、至る所に手をつけること」だったと強調し、「喪章は警察によって共布とすり替えられた」「ズボンの共布は捏造された証拠」と結論づけた。
「味噌に漬かった血痕に赤みは残らない」と改めて強調
5点の衣類の血痕の色合いは、再審請求・差戻審で東京高裁が出した再審開始決定の拠り所になった。高裁は「1年以上味噌に漬かった血痕に赤みが残ることはない」とする弁護団の鑑定結果を受け入れ、赤みを帯びている5点の衣類は「発見直前に袴田さん以外の第三者がタンクに隠匿した可能性」があると判断した。しかし、検察は再審でも血痕の色合いにこだわり、新たな鑑定書をもとに「赤みが残っても不自然ではない」と主張。弁護団は「蒸し返しだ」と反発したが、地裁は審理のテーマとすることを容認し、再び最大の争点になりそうだ。
弁護団はまず、5点の衣類の発見時の鑑定書の記載や発見者の証言、写真から「血痕には赤みが残っていた」と断じた。そのうえで、第2次再審請求審以降に弁護団と検察が実施した9件の味噌漬け実験で、血液を付着させた布を1年以上味噌漬けにすれば血痕の赤みは消失するとの結論が出ていると指摘。血痕に赤みが残っていた5点の衣類が「1年以上も味噌に漬けられていたものではないことを示している」と強調した。
続いて、旭川医科大の法医学者による鑑定が明らかにした、味噌に漬かった血液の赤みが失われる化学的機序を紹介。血液を赤くしているヘモグロビンが味噌の塩分と弱酸性の環境によって変性・分解、酸化して褐色化し、1年以上味噌に漬かれば「赤みは残らない」と分析した。
血液が凝固・乾燥したり味噌タンク底部の酸素の乏しい環境に置かれたりすると赤みが消えるのに時間がかかる、との検察の主張に対しては「味噌の発酵の過程で生じる液体(たまり)が血液に浸透することで化学変化は進む」「5点の衣類が入っていた麻袋や衣類の布が空気を含んでいる」などと反論した。
そして「色に関する証拠は5点の衣類が捏造であることを示している。5点の衣類によって袴田さんを犯人であるということはできない」と結んだ。
録音テープをもとに取調べの違法性を非難
弁護団は、捜査段階での取調べの違法性も非難した。計約430時間の取調べのうち、第2次再審請求審で開示された47時間分の録音テープをもとに問題点を指摘。テープの音声の一部を法廷で流した。
具体的には、①「小便に行きたい」との要求にすぐには応じず、取調室に便器を持ち込んで排尿させた、②体調不良を訴え医師の診察を受けた後も深夜まで取調べを続けた、③弁護士との接見の様子を密かに録音していた、④事件で奪った金の一部を預けた相手として取調官が元同僚の女性の名前を出して「自白」を誘導した──などと列挙した。
そして、取調べは確たる証拠がない中で「袴田さんをひたすら犯人視し、自白を強要し、執拗に謝罪と反省を迫るものだった」と批判した。こうした経過は「袴田さんが犯人に仕立てられたことを示している」と強調し、袴田さんは身体的・精神的に追い詰められ「ついに『自白』に落ちてしまった」と分析した。
「被害者の遺体に縛られた痕跡」と新たに主張
さらに弁護団は、4人の被害者の遺体の写真をもとに「縛られていた痕跡がある」との新たな主張を展開した。検察が「袴田さんがお金を奪うために単独で犯行に及んだ」と事件の構図を描いているのに対し、「動機は怨恨で複数犯」と反論した。
弁護団は、被害者の首や足、腕に縄が巻き付けられていたほか、頭蓋骨に穴を開けられたり前歯を折られたり指を切断されたりした形跡があり、遺体のそばに縄の断片が写っていると指摘した。また、刃物による刺し傷は胸と背中に集中しており、「被害者は縛られたまま寝かされ、動けない状態で刺された」と推定。放火によって手足や顔がひどく焼かれていることを挙げて「縛られた痕や縄、暴行によるひどい傷を隠そうとした」と見立てた。
こうした点から「犯人が複数だったことは確実」で、残忍な殺害方法からは「動機は被害者らに対する強い恨み」がうかがわれるとし、「犯人は暴力団関係者などが考えられる」と言及した。
死去した西嶋勝彦・弁護団長を偲ぶ
袴田さんの姉・秀子さん(90歳)と弁護団は両日とも、公判終了後に記者会見をした。弁護団の西嶋勝彦団長が1月7日に死去した直後だけに、16日の会見で小川秀世・事務局長は「西嶋先生の気持ちを身にまとって良い主張・立証ができた」と振り返った。秀子さんは「あと半年生きて無罪判決を聞いてほしかった。長い間ありがとうという気持ちしかない」と西嶋氏を偲び、「今日は他の先生(弁護士)の意気込みが違った。もう勝ったようなものです」と前を向いた。
年明け最初の再審公判には、袴田さんを支援してきたボクシング関係者や冤罪被害者も訪れた。
日本プロボクシング協会の袴田巖支援委員会からは1月16日に、元世界チャンピオンの飯田覚士さんら4人が来訪。傍聴を希望したが4人とも抽選にはずれた。新田渉世委員長は「多くの人に関心を持ってもらう一助にしたいと参加した。地裁には開かれた裁判のために、傍聴席の拡大や別室でのモニター傍聴を求めたい」と語った。
大阪市で起きた「東住吉事件」で無期懲役が確定した後、再審で無罪判決を受けた青木恵子さん(冤罪犠牲者の会共同代表)は1月17日に来訪。「(冤罪を訴える)仲間が勝つと『次は自分』と希望をもらえるので、少しでも励ましたい」と袴田さん姉弟にエールを送った。
次回の再審公判は2月14、15日。弁護団が14日午前に主張・立証の続きをした後は、検察による反論や新たな主張・立証が予定されている。
【袴田事件の再審決定後の動き】は以下を参照(編集部)
・〈袴田事件・再審〉犯行の動機や袴田さんのけが、パジャマをめぐり検察と弁護団が論戦/第5回公判
・〈袴田事件・再審〉袴田さんの弁護団が「5点の衣類は捏造証拠」と反論、ズボンがはけない理由を論証/第4回公判
・〈袴田事件・再審〉検察が「5点の衣類は袴田さんの犯行着衣」と主張、捏造は「非現実的で不可能」/第3回公判
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2024年01月23日公開)