袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で、味噌に漬かった血痕の色調の変化を見るため検察が実施していた実験の最終的な観察が11月1日、静岡地検で行われた。差戻し審を担当している東京高裁の大善文男裁判長らが、血液を付けた布を約1年2カ月間漬け込んだ味噌から取り出す様子を視察した。再審開始を求めている元プロボクサー袴田巖さん(86歳)の弁護団も観察に立ち会い、「血痕に赤みは感じられなかった」との見解を表明。「再審開始はほぼ間違いない」と強調した。
「血痕の色調変化」が差戻し審の最大の争点
差戻し審の最大の争点は「長期間味噌に漬かった血痕の色調変化」だ。
死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」は味噌タンクの底部で見つかった。このタンクでの味噌醸造の日程と袴田さんの逮捕日を勘案すると1年以上味噌に漬かっていたはずだが、発見時の記録では付着した血痕には赤みが残っていた。
袴田さんの弁護団は「味噌に漬かった血液は数カ月で黒褐色化し、1年以上漬かって赤みが残ることはない」と立論し、5点の衣類は捏造証拠だと主張。一方の検察は「長期間味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性は十分に認められる」と反論している。7〜8月には双方が請求した法医学者ら5人の証人尋問が行われた。
東京高裁の裁判長らが希望して視察
検察の味噌漬け実験は昨年9月に始まった。15人から採取した血液を約100枚の布に付け、5点の衣類が発見されたタンクの味噌と原料配分を同様にして仕込んだ味噌(1パック2〜2.5kg)に2〜3枚ずつ漬け込んだ。付着させる血液の量や味噌に漬け込むまでの日数を変えたり、嫌気度の高い状態を作るためチャックの付いた袋に脱酸素剤と一緒に布を入れたりと、条件をさまざまに設定している。定期的に数枚ずつ味噌から取り出して、血痕の色調の変化を観察してきた。
5点の衣類が事件発生直後に味噌タンクに投入されたとすると、発見まで1年2カ月間味噌に漬かっていたことになるため、実験開始から1年2カ月となる今回の最終観察の結果が注目された。東京高裁は自ら希望して大善裁判長と主任裁判官が静岡地検へ視察に訪れ、独自に写真を撮影したという。
「5点の衣類は犯行着衣とは言えない」
弁護団は翌日の11月2日に静岡市で記者会見し、観察時に撮影した写真を示しながら血痕の色調を説明した。
観察に立ち会った西澤美和子弁護士によると、今回取り出した布は3種類。血液を少量付けたものと大量に付けたもので、いずれも18日間乾燥させてから味噌に漬け込んでいた。
西澤弁護士は、いずれの布の血痕も「一見して赤みが感じられない程度に色調が変化していた」との見解を示した。立ち会った弁護団メンバー3人の共通認識だという。検察の実験は赤みが残りやすい条件で行われていたと指摘したうえで「それでも赤みが失われた意味は非常に大きい」と述べた。
実験結果を受けて弁護団の小川秀世・事務局長は「5点の衣類は犯行着衣とは言えないし、少なくとも犯行着衣であることに合理的な疑いが生じる。有罪の中心証拠が崩れるのだから、再審開始はほぼ間違いないと確信している」「5点の衣類が味噌タンクに投入されたのは発見直前ということになり、捏造をはっきり裏づけることになった」と力を込めた。さらに、検察が実施した実験による結果だったことを踏まえ、高裁が再審開始決定を出した場合に「検察の(最高裁への)特別抗告は許されない」とも言及した。
大善裁判長らは近くに寄って熱心に様子を見ていたといい、小川氏は「裁判官が(実験を)直接見るのは異例のこと。実験結果に関心を持ち、重要視しているのだろう」と推察した。
実験を高裁がどう評価するかが焦点
弁護団と検察の双方は、12月2日までに最終意見書を提出する。高裁は、再審を開始するかどうかの決定を今年度中に出す意向を示している。
1年以上味噌に漬かった血痕に赤みが残るかどうかについては、高裁で証人尋問を受けた法医学者の見解は分かれている。弁護団は今回の実験結果を「赤みが残らないことが明らかになった」と評価する一方で、これまで検察の実験に対して「5点の衣類が味噌に漬かっていたタンクの状況と条件設定が異なり信用できない」と批判しており、弁護団が証人に請求した物理化学者も「条件が違いすぎる」と証言した。
このため高裁が「条件が違う」という理由で、検察の味噌漬け実験の証拠価値を認めない可能性もある。しかし、8トンもの味噌が入っていた50年以上前のタンク内の状態を正確に再現することは、およそ不可能だ。こうした事情を高裁がどう受けとめ、今回の実験結果をいかに評価するかが、決定のポイントになりそうだ。
支援団体が再審開始決定を確定させるよう検察に要請
日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会やアムネスティ・インターナショナル日本、日本国民救援会など8団体でつくる「袴田巖さんの再審無罪を求める実行委員会」は11月9日、検察による味噌漬け実験の最終結果を受けて、東京高検に対し、即時抗告を取り下げて静岡地裁の再審開始決定を確定させるよう要請した。支援者からは「検察が今回の実験結果を新証拠にして再審を請求するべきレベルの事態だ」との声も出た。
要請後の記者会見には検察実験の最終観察に立ち会った間光洋弁護士もオンラインで参加し、「赤みが消えにくい条件設定であっても1年経つと血痕の赤みは失われることが、検察の実験によっても証明された。例外なく赤みは消えたと評価できる」と実験結果の意義を語った。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2022年11月11日公開)