1992年に福岡県飯塚市で登校中の小学1年の女子児童2人が行方不明になり他殺体で見つかった「飯塚事件」で、殺人罪などで死刑が確定し執行された久間三千年(くま・みちとし)さん(執行時70歳)の妻が申し立てた再審請求に対し、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は4月21日付で認めない決定をした。弁護団の主張に向き合うことすらせずに、門前払いした形だ。妻と弁護団は近く第2次再審請求をする。
状況証拠を積み重ねて導かれた死刑判決
事件は1992年2月に発生した。朝に行方不明になった児童2人は翌日、同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、ともに遺体となって発見された。首を絞められたのが死因とされた。
小学校の近くに住む久間さんが逮捕されたのは、約2年半後の1994年9月。久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認して「自白」をせず、公判でも無罪を主張した。しかし、福岡地裁は1999年に死刑を言い渡し、2006年に最高裁で確定する。2年後の2008年10月に刑は執行された。
自白だけでなく直接的な物証もなく、死刑判決は7件の状況証拠を積み重ねて導かれた。地裁判決は「個々の状況証拠も単独では被告人を犯人と断定することはできないものの、これを総合すれば被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定できる」と述べている。
再審無罪の足利事件と同じ手法でDNA鑑定
久間さんの妻が再審請求を申し立てたのは、死刑執行1年後の2009年10月だった。
状況証拠の柱となったのは、警察庁科学警察研究所(科警研)が実施したDNA鑑定だ。MCT118型と呼ばれる手法を用い、児童の遺体そばに付着していた血痕のDNA型と久間さんの型が一致したとされた。
しかし、同時期に科警研がMCT118型で鑑定した「足利事件」(1990年)では、のちの再鑑定で誤りが判明し、いったん無期懲役が確定して服役した菅家利和さんは2010年に再審で無罪となっている。両事件でMCT118型による鑑定が行われた当時はDNA鑑定の導入初期で精度は低く、久間さんの弁護団はこの点を強調した。
再審請求審では、科警研が鑑定で抽出したDNA型を撮影したネガフィルムが証拠開示された。弁護団の依頼で本田克也・筑波大教授(法医学)が解析すると、確定審で証拠採用された科警研の鑑定書の写真よりも広い範囲が写っており、写真に焼き付けられていない部分に久間さんのものでも被害者のものでもないDNA型が確認された。弁護団は、これが真犯人のDNA型で、科警研は意図的にカットして焼き付けたと主張。本田氏の鑑定書を新証拠として提出した。
DNA鑑定に使われた試料は「捜査段階で使い切った」として残されておらず、再鑑定はできない。福岡地裁決定(2014年)、福岡高裁決定(2018年)ともに、MCT118型によるDNA鑑定結果については「(久間さんのDNA型と)一致したと認めることも、一致しないと認めることもできない」「現段階では、単純に有罪認定の根拠とすることはできない」と証拠から実質的に排除している。
警察官が目撃証言を誘導か
状況証拠のもう1つの柱は、被害者が行方不明になった数時間後に遺留品の発見現場付近で久間さんの車と特徴が一致する紺色のワゴン車を見た、とする男性の「目撃証言」だった。その内容は「(車種は)トヨタやニッサンではない」「車体にラインがなかった」「後輪がダブルタイヤ」「タイヤのホイルキャップの中に黒いライン」「ガラスにフィルムを貼っていた」など詳細だ。
しかし、現場はカーブが続く山道。男性は時速25〜30kmで車を運転しながら、下り左カーブで対向車線側に停まっていた「不審なワゴン車」を見たとしている。わずか十数秒間のことであるうえ、後ろを振り返らなければ分からない事項も含まれていた。厳島行雄・日本大教授(認知心理学)が現場で再現実験を行い、「目撃はごく短時間で、対象物の詳しい形状までは記憶できず、作られた供述だ」とする鑑定書を新証拠として提出した。
さらに、再審請求審で開示された捜査報告書によって、男性の供述調書が取られた2日前に、聴取を担当した警察官が久間さんの車を見に行っていたことが判明する。弁護団は「詳細な証言は警察官が誘導した結果で、結論から証拠が作られた」と強く批判した。
だが、高裁決定、地裁決定ともに「再現実験は目撃者と同一条件で行われたとは言えない」「当初の証言は警察官による誘導が可能な時期より前だった」「現場で聴取したため、より記憶を正確に喚起できた」などと理屈づけて、目撃証言の信用性を認めた。
結局、高裁、地裁ともに、DNA鑑定以外の状況証拠から久間さんが犯人だと立証できると結論づけ、再審請求を退けた。高裁は、他の状況証拠から「久間さんが犯人であることが重層的に絞り込まれている」と断定した。
最高裁も「高度の立証がされている」
弁護団の特別抗告を受けた最高裁の決定文は、A4判6ページ余。特別抗告の理由が憲法違反や判例違反には当たらないとしたうえで、「記録を調査しても、職権で原決定(再審請求棄却)を取り消すべき事由があるとは認められない」と付け加えている。
第1小法廷が決定理由で取り上げたのは、捜査段階でMCT118型のほかに実施された3つの手法のDNA鑑定についてだけで、自らの判断を記した部分はわずかに1ページ。弁護団は3つの鑑定手法いずれでも試料から久間さんと一致するDNA型は検出されていないと主張して再評価を求めたが、決定はこれらの鑑定が試料のDNA量や汚染などの影響を受けることを挙げて「MCT118型鑑定の証明力減殺が、他の3手法による鑑定の証明力に関する評価を左右する関係にあるとは言えない」として再評価の必要性を否定した。
目撃証言については「新証拠によって目撃証言の信用性が否定されたとは言えず」と触れただけで弁護団の主張を一蹴。そのうえで「MCT118型鑑定(の結果)を除いた状況証拠を総合した場合であっても、久間さんが犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がされている」として再審開始を認めなかった。裁判官5人の全員一致の意見だった。
「都合の悪いことを全部カットした」
「特別抗告から3年も経っており、最高裁は申立理由を正面から受けとめ真摯に検討していると思っていた。なのに、恥ずかしい決定だ。最高裁のレベルはここまで低くなったのか。無辜の命を奪ったかもしれない事件なのに、この程度の理由しか示せないのか」
弁護団が決定の3日後に福岡市で開いた記者会見で、共同代表の徳田靖之弁護士は語気を強めた。
最高裁がきちんと向き合わなかった論点は、目撃証言だけではない。福岡高裁の再審請求審では、結審時の担当裁判官3人のうちの1人が、確定審で死刑判決を言い渡した福岡地裁の合議体(3人)に属していたことが分かっている。弁護団は特別抗告にあたって、憲法37条が定める「公平な裁判を受ける権利」に違反すると立論したが、最高裁は無視した。
「都合の悪いことを全部カットして表面的な内容だけで決定を出している。踏み込んだら論理的に破綻するからだろう」と主任弁護人の岩田務弁護士。徳田氏は「国家が無実の人を殺した(処刑した)となれば死刑制度の存置が問題になるので、裁判所は再審を躊躇している」と分析した。
弁護団は6月中にも第2次再審請求を申し立てる意向を表明した。真犯人に関わる新たな目撃証言を新証拠に据えるという。
*弁護団が飯塚事件の経過や論点についてまとめたブックレット『死刑執行された冤罪・飯塚事件──久間三千年さんの無罪を求める』がある。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2021年05月14日公開)