確定死刑囚として初めて再審無罪となった故免田栄さん(2020年12月、95歳で死去)の社会復帰後を支えた妻・玉枝さんが2024年10月18日、胃がんのため福岡県大牟田市の高齢者施設で亡くなった。88歳だった。
玉枝さんは7月に高齢者施設の自室で転倒して右大腿骨を骨折。手術を経て施設で療養中だったが、容体が急変したという。
同市内の斎場であった通夜(19日)、葬儀(20日)にはそれぞれ、生前交流があった人たち約20人が弔問に訪れ、玉枝さんに別れを告げた。遺影は撮影時期や場所が不明だというが、おしゃれで華やかなたたずまい。棺に眠る玉枝さんは濃いピンクのブラウスに赤っぽいジャケットを着て、穏やかな表情だった。
通夜には、免田さんが獄中にいる時から終生支援した故潮谷総一郎氏(社会福祉施設・慈愛園園長)の長男・愛一(よしかず)さんの妻で、元熊本県知事の潮谷義子さんも姿を見せ、玉枝さんに手を合わせた。お別れの言葉を語ったのは免田さん夫妻と長年交流があった樋口茂敏さん。「安保法制強行採決の時、大牟田で何かできないかと玉枝さんから提案があり、30分間、黙って立っているという抗議行動をしたが、後で分かったのは、終わってから飲みたかったからの提案だったことで、いかにも玉ちゃんらしかった。昔、トムとジェリーという漫画があったが、仲良く喧嘩する、そんな夫婦だった」としのんだ。
秋晴れの葬儀には、免田さんの弟・光則さんの妻・フミ子さんが、長女に付き添われて熊本県球磨郡あさぎり町(旧免田町)から駆け付けた。諸事情から長く疎遠になり、免田さんの葬儀にも参列しなかったが、「長い間、免田さんの面倒を見てくれた感謝を玉枝さんに伝えたかった」という。亡骸に手を合わせ、棺にすがりつきながら涙ぐんだ。
玉枝さんの遺骨は、免田さんが眠る大牟田市内の行信寺に納められる予定。
玉枝さんは北九州市の出身。三池炭鉱で働いていた兄たちを頼って大牟田市に。三池炭鉱労働組合の宮浦坑支部の書記を務めていた。1983年7月、免田さんの無罪釈放後、勉強会の講師に招いたことがきっかけで交際が始まり、翌年12月に結婚して以来、国内外で冤罪防止や死刑廃止を訴え続けた免田さんを支えた。
免田さんを見送る際、死刑廃止運動の遺志を継ぐと誓った玉枝さん。免田さん夫妻の悲願は、私たちの社会に託された。
(免田事件資料保存委員会 甲斐壮一)
(2024年11月09日公開)