無罪が確定した袴田巖さんの生きざまを、家族のような目線で描く/映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が公開

小石勝朗 ライター


映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』の笠井千晶監督(撮影/小石勝朗)

 1966年6月に静岡県清水市(当時)で味噌会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」。元プロボクサー袴田巖さん(88歳)は再審(やり直し裁判)の無罪判決が確定し、逮捕から58年余を経て死刑囚からの雪冤を果たした。2014年3月に釈放されて10年余。巖さんと姉の秀子さん(91歳)に密着し、2人の生きざまをつぶさに描いたドキュメンタリー映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が公開された。

普段の様子をありのままに撮影

 「間近から家族のような目線で、普段の様子をありのままに撮影した映像です」

 映画の監督・撮影・編集にあたった笠井千晶さんは、こう説明する。

 スクリーンには、47年7カ月間の身柄拘束から解放されて社会に戻ってきた巖さんの等身大の姿が、飾らずに淡々と投影される。秀子さんが常々「ありのままの巖を見てほしい」と望むスタンスを具現化している。

自宅がある静岡県浜松市の中心部を歩いて回る袴田巖さん(ⓒRain field Production)

 部屋の中を一心に歩き続ける。日記に独特の言葉を綴る。同じパンを10個買って1万円札を渡し「釣りはいらない」と告げる。知らない子どもにチップを渡す。そして、ボクシングのことになるとかみ合う会話——。

 「それぞれの言葉や振舞いには、巖さんなりの思いや理由があるはずです。意味不明と切り捨てずに、あえてきちんと見てもらうことで、少しでもその『世界』を理解してほしい」

グローブをはめてボクシング談義に花を咲かせる袴田巖さん(右)と日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会の新田渉世委員長(ⓒRain field Production)

 確定死刑囚として長年執行の恐怖に怯え、精神を蝕まれた巖さんは、一般の人からすれば確かに特別な存在だ。でも、釈放後、ことさらに特別な暮らしをしているわけではない。1人の「人間」としての素顔に触れることで、冤罪について、死刑について、より身近に考えるきっかけになるに違いない。

 釈放直後、翌朝まで姉弟と一緒に過ごす

 笠井さんがこの事件にかかわり始めたのは2002年のこと。静岡のテレビ局の報道記者になって2年目だった。拘置所の巖さんから手紙が来ていると知り、見せてもらおうと秀子さんに会いに行ったのが始まりだ。

 「無実を訴えながら、社会と接点を持てず声も聞かれないまま、人知れず息をしている人が存在していることに衝撃を受けました。確定死刑囚について知りたいと思いました」

 当時、巖さんの第1次再審請求の審理が続いていたが、支援の動きはさほど活発ではなく、メディアや社会の関心もほとんどなかった。そんな中で「殺人犯の姉」と後ろ指を指されながらもコツコツ働いて質素な生活を送り、いつも背筋を伸ばしている秀子さんに惹かれた。弟の無実を信じて毎月、静岡県浜松市から東京拘置所へ面会に行く姿を見て、「近くにいて取材をしたい。プライベートを含めてお付き合いをしたい」と思い定めた。秀子さんも温かく受け入れ、その後フリーランスになった笠井さんとの「親子のような関係」は22年余に及ぶ。

 笠井さんでなければ撮影できなかったシーンは多い。代表格は、静岡地裁の決定を受けて釈放された直後の巖さんと、寄り添う秀子さんを捉えた映像だろう。拘置所を出た巖さんの車に同乗、東京都内のホテルに泊まった姉弟と翌朝まで一緒に過ごし、その様子をカメラに収めた。

 「2人が枕を並べて寝ている光景に接し、この瞬間が訪れるまでなぜこんなに長い時間がかかったのだろう、と感じずにいられませんでした。同時に、巖さんのことを後世に語り伝えなければと、強く意識しました」。映画制作の原点になった。

「巖は助からないかもしれないと思った」

 映画は、巖さんの生い立ち、ボクサーとしてのキャリア、事件に巻き込まれるまでの生活ぶりを紡いでいく。再審無罪判決が「非人道的」と糾弾した警察の取調べの様子も、証拠開示された録音テープで再現される。

 死刑が確定し、再審請求の進展が見られなかった頃のことを振り返って「巖は助からないかもしれないと思った」と打ち明ける秀子さん。釈放後には「今まで生きていただけでも良かったと思う」と心情を吐露する。

 巖さんが帰ってきた後も、裁判の動きが姉弟を翻弄する。静岡地裁の再審開始決定は東京高裁に退けられたが、最高裁が審理を差し戻して、東京高裁が再度の再審開始決定、そして静岡地裁の再審無罪判決。巖さんは、確定審の一審で無罪を主張しながら死刑判決の起案を強いられた熊本典道・元裁判官と半世紀ぶりで対面もした。そんな経緯をたどりながら、ある時は変わらず、ある時は大小に変化しながら続く2人の歩みが浮き彫りにされる。

 この10年を、笠井さんはどう見ているのだろうか。

 「あっという間でした。秀子さんは別人のように笑顔を取り戻しました。巖さんも安心して暮らすことができているためか、釈放当時と比べ言葉や行動が和らいできている印象です」

釈放された弟と暮らす自宅で笑顔を見せる袴田秀子さん(ⓒRain field Production)

 長期間の身柄拘束による「拘禁反応」(精神障害の一種)が劇的に改善したわけではない。それでも、釈放当時は無口で無表情だった巖さんが、温もりのある顔色を取り戻し饒舌になっていくのが、画面からもよく分かる。

「もう死刑囚ではないと言える時が本当の自由」

 エピローグには、再審で無罪判決が出た場面を盛り込んだ。判決を知った笠井さんの胸中には、冤罪の訴えが社会に受け入れられなかった頃の状況がよみがえり、「秀子さん、本当に良かった」との思いがこみ上げたという。

 「巖に効く薬は自由しかない。自由にさせておけば自然に良くなる」と信じる秀子さんは、「もう死刑囚ではないと言える時が本当の自由」と目標を見据えていた。その願いが、ついにかなったのだ。

 秀子さんは無罪の確定が決まった時の記者会見で、今後について「ごく平凡に静かに暮らしていければそれでいい」と語った。一方で「巖だけ助かればいいとは思っていない」と言い切り、再審法制の改正に尽力する意向も示した。いつまでも2人にその役割を負わせるのか。スクリーンからは、そんな問いかけが聞こえてくるようだ。


 『拳(けん)と祈り ―袴田巖の生涯―』は、東京・ユーロスペースなどで上映中。全国順次公開。
 公式WEBサイト https://hakamada-film.com/

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。


【編集部からのお知らせ】

 本サイトで連載している小石勝朗さんが、10月20日に、『袴田事件 死刑から無罪へ——58年の苦闘に決着をつけた再審』(現代人文社)を著す。9月26日の再審無罪判決まで審理を丁寧に追って、袴田再審の争点と結論が完全収録されている。

(2024年10月21日公開)


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