〈袴田事件・再審〉袴田巖さんの再審で静岡地裁が無罪判決/5点の衣類など「3つの捏造」を認定

小石勝朗 ライター


判決言渡しの終了後、袴田巖さんの姉・秀子さんと主任弁護人の小川秀世弁護士を囲んで弁護団のメンバーが「無罪判決」の旗を掲げた=2024年9月26日、静岡地裁前(撮影/小石勝朗)

 1966(昭和41)年に静岡県清水市(当時)の味噌会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」で強盗殺人罪などに問われ、死刑判決が確定した元プロボクサー袴田巖さん(88歳)の再審(やり直し裁判)で、静岡地裁(國井恒志裁判長、谷田部峻裁判官、益子元暢裁判官)は9月26日、無罪を言い渡した。判決は袴田さんの犯行着衣とされた「5点の衣類」をはじめ、ズボンの端切れ(共布)、検事による供述調書について「3つの捏造」を認定し、袴田さんの「犯人性」を明確に否定した。検察は死刑を求刑していた。

1年以上味噌に漬けた血痕は赤みを失う

 判決の最大のポイントは、事件の1年2カ月後に味噌工場のタンクで味噌に漬かった状態で見つかり、確定審が最重要証拠とした5点の衣類について「捜査機関が捏造した」と明言したことだ。再審公判で争点になった「血痕の色合い」が判断の根拠になった。

 判決はまず、発見当時の味噌工場の従業員の証言や鑑定書・調書をもとに「5点の衣類には赤みを感じさせる血痕が付着していた」と見立てた。続いて、再審請求審で袴田さんの弁護団と検察がそれぞれ実施した、血液を付けた布を味噌に漬ける実験の結果を考察し、「味噌漬けされた血痕は時間の経過に伴って茶褐色、黒褐色に変色し、赤みを感じさせない色調になる」と分析した。

 そして、弁護団の委託を受け味噌に漬かった血痕が黒褐色化する化学的機序を解明した清水恵子・旭川医科大教授(法医学)らの鑑定書を「十分に信用することができる」と評価。「1年以上味噌漬けされた着衣の血痕に赤みが残ることは通常想定しがたい」と判定した。

 血痕の乾燥が黒褐色化のスピードを遅らせたとの検察の主張に対しては、味噌の原料に含まれる水分や醸造過程で生じる液体(たまり)が血痕に浸透したとして退けた。同様に、5点の衣類が見つかったタンク底部の酸素濃度が上部より低い状態だったことについても、弁護側証人になった石森浩一郎・北海道大学大学院教授(物理化学)の見解などをもとに「5点の衣類の血痕の黒褐色化を妨げる要因になったとは認められない」と影響を否定した。

 さらに、事件発生から計8トンの味噌原料が仕込まれるまでの約20日間、衣類は酸素が十分存在する環境に置かれていたことなどにも触れ、「5点の衣類をこのタンクで1年以上味噌漬けした場合、血痕は赤みを失って黒褐色化する」と結論づけた。

捜査機関が血液を付ける加工をした

 判決は、血痕に赤みが残っていた5点の衣類は「新たな味噌原材料が大量に仕込まれた1966年7月20日以前にタンクに入れられたとは認められない」と論理展開し、翌年8月31日の発見直前に投入されたとの見方を示した。

 事件の1カ月半後に逮捕されて以降、身柄を拘束されていた袴田さんが味噌タンクに投入することは「事実上不可能」なので、「5点の衣類は袴田さん以外の者によって隠匿されたもので犯行着衣ではない」と認定。「捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、発見から近い時期にタンクに隠匿された捏造証拠」と断じ、証拠から排除した。

 検察は再審公判で「5点の衣類の捏造は非現実的で実行不可能」と強く反論していたが、判決は一蹴した。その理由として、①警察は袴田さんを逮捕して以降、部屋に入って本人の衣類を入手できた、②味噌工場は夜間も実質的に施錠されておらず、従業員に気づかれずにタンクに隠すことが可能だった、③当時、公判中の袴田さんが無罪になる可能性が否定できず、有罪を決定づけるために捏造に及ぶことが現実的に想定し得る状況にあった——と指摘した。

ズボンの共布は捜査機関が捜索の前に持ち込んだ

 5点の衣類が発見された12日後に袴田さんの実家のタンスで見つかったズボンの共布(ともぬの)についても、判決は「押収の経緯と押収後の検察官の立証活動などに照らし、捜査機関によって捏造されたもの」と言い切った。共布は、ズボンが袴田さんのものと認定される裏づけになっていた。

 判決は、実家を捜索した警察官が、味噌で濡れて硬くなったズボンとは違う状態の端切れを、その場でズボンと同じ生地・色と判断して押収した一方で、左右2枚あるはずの共布の他の1枚の所在を袴田さんの母親に尋ねた形跡がないことを「矛盾する対応で、不自然さを通り越した不合理な捜査活動」と問題視。「捜索の目的が当初から袴田さんの実家から端切れを押収することにあり、捜査機関の者によって捜索以前に持ち込まれた後で押収されたという事実を推認させる」と踏み込んだ。

 判決はさらに、捜索後の担当検事の立証活動にも「看過できない不合理な点がある」と言及した。①共布の押収前日に5点の衣類を袴田さんの犯行着衣だとして裁判所に証拠請求した、②共布について袴田さんの母親から聴取もしない段階で、冒頭陳述を訂正して犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更した——ことを挙げ、検事が「袴田さんの実家から端切れが押収されることを捜索以前から知っていたことを推認させる事情」と読み解いた。

検事調書は警察官の取調べと連携

 「3つの捏造」の中で、判決が最初に取り上げているのは検事による供述調書だ。

 確定審の一審・静岡地裁判決(石見勝四裁判長)は計45通の「自白」調書のうち、28通の警察官調書を「長時間の取調べで任意性に疑いがある」、16通の検事調書を「起訴後の取調べで違法」として排除する一方、起訴直前に取られた1966年9月9日付の検事調書1通だけを証拠採用した。

 再審公判で検察は、この調書を有罪立証に使わないと表明していた。しかし判決は、調書に犯行着衣をパジャマとする「虚偽の内容」が含まれていることも併せて「実質的に捏造されたもの」と断じ、「任意性を欠き証拠とすることはできない」と職権で排除した。

 判決は警察による袴田さんの取調べについて、①逮捕当日から「自白」前日まで19日間、連日行われ、1日平均12時間に及んだ、②犯行を否認する袴田さんに対し自白しなければ長期間勾留する旨を告知して心理的に追い詰め、犯人と決めつけて執拗に自白を迫った、③取調室に便器を持ち込んで排尿を促すなど屈辱的かつ非人道的な対応をした——と列挙。袴田さんの「自白」は「肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得された」と非難した。

 そのうえで、担当検事も「袴田さんを犯人と決めつける追及的な取調べを繰り返し行っていた」と指摘した。この検事調書は、検事が清水警察署に出向いて警察官による取調べの間に取られたことから「警察官による取調べと連携して獲得された」と認定。調書は刑事訴訟法319条1項が定める「強制、拷問または脅迫による自白」に当たると判断した。ちなみに、この検事は公判途中で犯行着衣を5点の衣類に変更した検事と同一人物だ。

袴田さんを犯人と認めることはできない

 判決は「5点の衣類を除いた証拠によって認められる事実関係は、袴田さんが犯人であるとすれば整合するといった程度の限定的な証明力を有するにすぎず、袴田さん以外の者による犯行可能性を十分に残す」と記して、「袴田さんを本件犯行の犯人と認めることはできない」と総括し、無罪を導いた。

 一方で判決は、5点の衣類の血痕のDNA型が袴田さんの型とも被害者4人の型とも一致しないと判定した本田克也・筑波大教授(法医学、肩書は当時)による鑑定の証拠価値を認めなかった。また、確定審の装着実験で袴田さんが5点の衣類のズボンをはけなかったのは、事件後に袴田さんが太りズボンも収縮したためで、「事件当時このズボンを着用できた」と検察の主張に同調した。凶器はクリ小刀とし、犯行は金品を奪う目的で、単独で遂行可能だったなどと、検察の筋書きを採り入れた。

「被告人は無罪」が神々しく聞こえた

 主任弁護人の小川秀世・弁護団事務局長は判決後、「5点の衣類をはじめ3つの重要な証拠について『捏造だ』とはっきり示し詳細に説明しており、画期的な判決だ。ほかの証拠がいくらあっても袴田さんの犯人性を推認するには意味がないとも言っており、検察が控訴しても立証する段階に行けるとは思えない。今回の判決が確定する、と信じている」と力を込めた。

 再審公判への出頭義務を免除された袴田さんは、この日も地裁に姿を見せなかった。初公判から引き続き、補佐人の姉・秀子さん(91歳)が代わって出廷。國井裁判長は判決主文を言い渡す際、秀子さんに法廷中央の証言台の席に着くよう呼びかけ「無罪」を告げた。

再審無罪判決を受けて記者会見する袴田巖さんの姉・秀子さんと弁護団=2024年9月26日、静岡市葵区の静岡市民文化会館(撮影/小石勝朗)

 秀子さんは判決後の記者会見で「裁判長が『主文 被告人は無罪』と言うのが神々しく聞こえた。感激するやら嬉しいやらで、涙が自然に出てきて止まらなかった」と振り返った。「58年の苦労が吹き飛んだ気がするくらい嬉しく思っている」と安堵の表情を浮かべ、判決をきっかけに弟の精神状態が「少しずつでも良くなってくれればいい」と期待をかけた。

 日本弁護士連合会(日弁連)も記者会見を開催。渕上玲子会長は判決を受けて、再審法制の速やかな改正と死刑制度の廃止を政府と国会に改めて強く求めていく意向を強調した。

 判決公判では、傍聴券を求めて502人が抽選に申し込んだ。これまでの公判(48席)より広い法廷(72席)が使用されたが、マスコミへの割当てを優先したため一般傍聴席は40で、倍率は12.6倍になった。袴田さんの支援団体は初公判以来、別室で法廷の画像や音声をモニター傍聴させるよう要請し続けたが、地裁は最後まで顧みなかった。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。


【編集部からのお知らせ】

 本サイトで連載している小石勝朗さんが、10月11日に、『袴田事件 死刑から無罪へ——58年の苦闘に決着をつけた再審』(現代人文社)を著す。9月26日の再審無罪判決まで審理を丁寧に追って、袴田再審の争点と結論が完全収録されている。

(2024年10月05日公開)


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