1992年に福岡県で女児2人が殺害された「飯塚事件」をめぐり、死刑を執行された久間三千年(くま・みちとし)さん(執行時70歳)の妻が申し立てた第2次再審請求に対し、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は6月5日、請求を棄却する決定をした。久間さん側の弁護団は、2人の新たな証言を再審開始の要件である「新規・明白な証拠」と主張。地裁は2人の証人尋問をしたものの、決定で両者の証言の信用性をいずれも否定し、死刑執行後の再審を認めなかった。弁護団は6月10日、決定を不服として福岡高裁に即時抗告した。
状況証拠を積み重ねて死刑判決、確定の2年後に執行
飯塚事件の発生は1992年2月20日。福岡県飯塚市の小学校へ登校中だった1年生の女子児童2人(ともに当時7歳)が行方不明になり、翌日正午ごろ、約30km離れた山中を走る国道沿いの崖下で遺体となって見つかった。首を絞められたのが死因とされ、性的暴行を受けた形跡があった。
2年7カ月後に逮捕され、殺人と略取誘拐、死体遺棄の罪で起訴された久間さんは、捜査段階から一貫して犯行を否認した。自白だけでなく直接的な物証もなかったが、状況証拠を積み重ねて導かれた死刑判決が2006年に最高裁で確定し、久間さんは約2年後に刑を執行された。
妻が2009年に起こした第1次再審請求審では、状況証拠の核になっていたDNA鑑定が実質的に排除された。しかし、女児の遺留品が発見された現場のそばで久間さんの車と特徴が一致する車を見たとする証言など他の証拠で「高度の立証がなされている」とされ、2021年に最高裁が請求を棄却した。このため妻は同年に第2次再審請求を申し立てていた。
「連れ去り現場」の目撃証言を翻す
第2次再審請求審で弁護団が提出した新証拠のうちの1つは、女児が行方不明になった2月20日の午前8時半ごろ、車で通勤途中に三叉路で女児2人を目撃したと証言していた女性Pさんの新たな証言だ。
約3分後に同じ場所を車で通った同僚は女児を見ておらず、死刑判決はこの3分の間に2人が連れ去られた可能性が高いと見立てた。その前後に付近で久間さんの車と同じ「紺色のワゴン車」を見たとの別の人の証言があり、遺留品発見現場での目撃証言と併せて久間さんの犯行を示すストーリーが形成されていた。
Pさんは今回、「女児2人を見たのは別の日だった」「当時の調書は記憶と異なる内容で、警察官に押し切られて署名してしまった」と証言を翻した。理由について「自分の記憶と異なる供述調書を作成されたことが死刑判決に影響を与えてしまったのではないかと、自責の念を抱いていた」と説明。自ら弁護団に連絡してきたという。
弁護団は、Pさんの当時の証言が覆れば女児が連れ去られた場所は特定できなくなるので、紺色のワゴン車の目撃証言も意味を持たず、久間さんと連れ去りの結びつきはなくなる、と主張した。
地裁決定「警察の捏造は考え難い」
これに対し福岡地裁は、警察がPさんの調書を作ったのは事件発生の約10日後だと指摘。「供述全般についてPさんの記憶とは異なる調書を無理矢理作成するのは、捜査機関にとって必要性に欠けるばかりか、事後にこれと矛盾する証拠や目撃者が明らかになる可能性を考えれば有害としか言いようがない」との論理を展開し、「警察官がこのような捏造を行うのは考え難い」と言い切った。
弁護団は、捜査の初期から警察はすでに久間さんに的を絞っていたと主張したが、地裁は「Pさんの調書の内容を見ても久間さんが本件にかかわっていることをうかがわせるものはない」と顧みなかった。また、Pさんの当時の供述は「具体性に富む内容」だとし、「積極的な供述なしに警察官が作り上げることのできるものとは考え難い」との見方を示した。
さらに地裁は、弁護団が提出したPさんの供述録取書(2018年5月)には、①女児2人を目撃したのは、事件当日か、その何日か前だったかはっきりしない、②女児の横を車で通りすぎた場所は三叉路だった──と記されていたのに、地裁の証人尋問(2023年11月)でPさんが「事件当日ではない」「三叉路の手前だった」と述べたことを「重要部分に変遷が見受けられる」と批判し、「一貫した記憶に基づいて証言しているとは考えられない」と断じた。
そのうえで地裁決定は、Pさんが自責の念から今回の証言を申し出たという「真摯な姿勢を評価すべき」との弁護団の主張を「信用性の判断に影響しない」とはねつけ、「Pさんの新たな証言は信用できない」と結論づけた。
弁護団は、この三叉路付近で関係者の証言をもとにした再現実験を行い、「女児が誰からも見えない場所にいたのは約20秒間で連れ去りは不可能」とする報告書も地裁へ提出した。これに対しても地裁は「関係者の供述する時刻、時間、位置は検証が可能なほど精度が高いものではない」との理屈をつけて退けた。
「具体的根拠がない」と新たな目撃証言を受け入れず
もう1人の証人の男性Aさんは、女児2人が行方不明になって間もない時間に、近くのバイパスを車で走行中、2人とみられる女児を乗せた軽自動車と遭遇し、久間さんではない男が運転していたと証言した(詳しくは、こちらの記事をご覧ください)。
しかし地裁決定は、Aさんは目撃した女児が被害児と「全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、似ていると判断した具体的根拠を全く示すことができていない」と批判し、女児の服装への言及がないことなどを挙げた。Aさんは「不審車両を追い越す1~2秒の間に車内の女児2人を目撃したに過ぎない」とし、「女児の顔貌を子細に観察し記憶する余裕があったとは考え難い」と受け入れなかった。
さらに決定は、①目撃時刻が「午前11時前後」(2020年の供述書)、「午前10時30分前後」(2023年5月の供述録取書)、「午前9時40分ごろか同10時40分ごろ」(約3週間後の証人尋問)と変遷している、②それらの時刻は死刑判決が認定した女児2人の死亡時刻(午前8時半~9時半ごろ)と整合しない、③目撃した車は遺体発見現場と異なる方向に向かっており犯人の行動として不自然──とAさんの証言内容を否定する理由を並べた。
そのうえで「Aさんの証言は信用できず、女児2人を目撃したことを前提としても被害者両名だという合理的な疑いは生じない」と切り捨てた。
「再審を開始すれば死刑制度の根幹を揺るがしかねない」
久間さん側の弁護団は地裁決定後、隣の福岡県弁護士会館で記者会見した。
主任弁護人の岩田務弁護士は地裁決定を「全く不当で強く抗議する」と非難したうえで、「すでに(久間さんの)死刑が執行されており、再審を開始することが死刑制度の根幹を揺るがしかねないとの思惑があると推測せざるを得ず、改めて不当な死刑執行を糾弾する」とする声明を読み上げた。そして「(決定は)逃げている。(新旧証拠の総合評価に)入り込むと再審開始決定を出さざるを得なくなるので、2人の証言の価値を落として入口でシャットアウトした」と語気を強めた。
共同代表の徳田靖之弁護士は決定に対し「人間が書いた文章ではない」と怒りを露わにした。「2人の証人は全くかかわりがない久間さんの無実を明らかにするために、良心に基づき、困難を乗り越えて法廷に立った。いい加減なことを言うわけがない。それを人間として受けとめようとしていない」と力説。「結論ありきで理由を書いた」と厳しい言葉を重ねた。
高裁に証拠開示を強く求める
弁護団は6月10日に福岡高裁へ即時抗告した。
申立書は、Pさんの証言の信用性の判断をめぐり「問われているのは女児を目撃したのが事件当日であったのかどうかという単純明快な事柄であり、このような点に関する記憶が年月とともに風化することはありえない」と主張し、地裁決定に対し「的外れな根拠を挙げて信用性を否定しているに過ぎない」と異を唱えた。
Aさんの証言に対する地裁の判断についても「核心部分ではない部分に関する不自然さなどを強調して、核心部分までもすべて信用性がないとするもので、証拠評価を誤っている」と問題視。地裁決定の証拠評価は「揚げ足取りそのもの」と反発した。
証拠開示も強く求めた。第2次再審請求審では福岡地裁が証拠リストの開示を勧告したものの、検察は「裁判所にそうした勧告をする権限はない」などと拒否し、地裁もそれ以上の措置を取らなかった経緯がある。
弁護団は、再審請求審で裁判所には事実取調べの一環として証拠開示を求める権限があり、検察にも応じるべき法的義務があると立論。検察の対応は憲法37条(裁判を受ける権利)や31条(適正手続の保障)の侵害に当たると指摘した。高裁に対し、証拠リストの提出命令を出すよう求めるとともに、2人の証人に関する事件発生直後の捜査報告書などの証拠を開示する必要性を訴えている。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
※第1次再審までの争点については、飯塚事件弁護団編『死刑執行された冤罪・飯塚事件──久間三千年さんの無罪を求める』(現代人文社、2017年)が詳しい(編集部)。
(2024年06月18日公開)