〈袴田事件・再審〉袴田さんの弁護団が「5点の衣類は捏造証拠」と反論、ズボンがはけない理由を論証/第4回公判

小石勝朗 ライター


第4回再審公判に向かう袴田巖さんの姉・秀子さんと弁護団=2023年12月11日、静岡地裁前、撮影/小石勝朗

 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された「袴田事件」で、強盗殺人罪などに問われ死刑が確定した元プロボクサー袴田巖さん(87歳)の再審(やり直し裁判)第4回公判が12月11日、静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。

 審理のテーマは、事件の1年2カ月後に味噌タンクから見つかった「5点の衣類」。前回公判で検察が「袴田さんの犯行着衣だ」と主張・立証したのに対し、袴田さんの弁護団はこのうちのズボンが袴田さんには小さすぎてはけなかったことを論証したり、生地に近い色合いや血痕の付着状況のおかしさを詳述したりして、5点の衣類は「捏造以外にあり得ない」と断じた。

検察の主張は「きわめて主観的、感覚的」

 前回公判から、検察が設定した論点②「5点の衣類は袴田さんが犯行時に着用し、事件後に味噌工場の醸造タンクに隠匿したものである」の審理に入っている。今回公判の午前中まで、検察が主に確定審に出された証拠に基づき主張・立証。午後から弁護団の反証に移った。

 弁護団は最初に、5点の衣類が袴田さんの犯行着衣と認定されたことが死刑判決の決定的な証拠になったとの認識を示し、逆に言うと「5点の衣類がなければ有罪判決がなされることはなかった」と指摘した。再審請求審で東京高裁と静岡地裁が5点の衣類について「捜査機関による捏造の疑い」に言及したにもかかわらず、再審公判での検察の主張・立証は確定審から何ら変わっておらず、「きわめて主観的、感覚的」と批判した。

ズボンは太腿の部分で引っかかっている

 弁護団が注力したのは、確定審で3回行われた5点の衣類の装着実験で袴田さんがズボンをはけなかったことの理由づけだ。

 検察はズボンのタグの「B」がサイズを示すとして、もともと装着可能な大きいサイズだったが、味噌に漬かった後で乾燥したため縮んだと説明してきた。しかし、再審請求審で「B」は色を表すことが露呈し、再審公判で検察は「逮捕後に袴田さんが太ったためはけなくなった」と主張を転換している。

 弁護団は装着実験の写真をもとに、ズボンがはけなかったのは「太腿の部分で引っかかっているから」と分析した。被服学の学者による鑑定が、5点の衣類のズボンは袴田さんが普段着用していたズボンに比べ、太腿の付け根部分(わたり)で6cm以上、太腿中央部で4.5cm以上小さいためはけなかったと結論づけていると強調した。

 さらに、ズボンよりも下着のステテコのほうがサイズが大きいとし、「このズボンの下にこのステテコをはくということ自体が困難でおかしなこと」と主張。ズボンとステテコの実物を法廷に出し、裁判官にアピールした。

 検察は袴田さんが太った根拠として、事件の約8カ月前に55kgだった体重が、事件の5年後以降に行われた装着実験の時点で約62kgまで増えていたことを挙げている。これに対して弁護団は、事件の3カ月半後に61kgだったとの記録があり、逮捕時にも「小太り」と書かれていると反論。また、事件当時の袴田さんのベルトはウエスト73cm前後の穴に最も多く使用された形跡があり、ズボンの胴回り(72~74cm)と合致するとの検察の主張に対しては、装着実験で引っかかったのは胴回りではなく太腿なので「無意味」と一蹴した。

生地に近い色合いは発見直前に味噌に漬けられたため

 弁護団はまた、1年以上味噌に漬かっていたなら味噌の色に染まるはずなのに、5点の衣類は生地の色に近い状態だったことを取り上げた。ステテコや半袖シャツはもとの白い色合いで、ブリーフの緑色もはっきりと残っていたことを挙げ、「発見直前に味噌タンクに入れられた捏造証拠だ」と力説した。

 弁護団と支援者が実施した衣類の味噌漬け実験で、味噌から出た液体が衣類に染み込めば短時間で味噌の色に染まる結果が出たことを紹介。5点の衣類は発見時、味噌から出た液体でびしょ濡れの状態だったことを表す調書や写真をひき、それなのに味噌の色に染まっていなかった5点の衣類は「味噌に漬かっていた時間が極端に短かったことを裏づける」と立論した。

 5点の衣類の色合いが確定審の段階で問題にならなかったのは、警察の鑑定書に不鮮明なカラー写真しか添付されていなかったため、と説明。色調がはっきり分かるカラー写真もあったのに、再審請求審で2010年に証拠開示されるまで検察が「隠ぺいしていた」と非難した。

緑色がはっきり分かるブリーフの写真を示して「捏造証拠だ」と主張する小川秀世・弁護団事務局長=2023年7月、撮影/小石勝朗

ズボンより下着のステテコに多量の血痕

 弁護団は5点の衣類への血痕の付着状況も疑問視した。中でも、ステテコに多量の血痕が付着しているのに、その上にはくズボンの裏生地には「はっきりした血痕の付着が認められない」ことを重視した。第1次再審請求審で裁判所は「犯行時にズボンを脱いだ可能性」を指摘しているが、弁護団は「苦し紛れの認定」と切り捨てた。

 半袖シャツの胸の部分に盛り上がった血のかたまりのような部分があることに触れ「固まりかけた血を直接付着させた」と指弾した。さらに、このシャツの背中内側の広い範囲に直接血が付いた部分が確認できることや、ブリーフに付いているB型の血痕がその上に着るステテコやズボンから検出されていないことを挙げ、「捏造を裏づける証拠だ」と言い切った。

 犯行態様についても、被害者4人の傷は同じような部位に集中しており、しかも刺し傷ばかりであることから「全員、身体を動かせない状態で刺された」と推測した。被害者が腕時計をしていた状況などから、犯行時には4人とも起きていて衣服を着用していたと見立て、傷の場所からも「犯人が返り血を大量に浴びることはなかった」と分析。5点の衣類に付着した血痕の多くがA型なのは、被害者の中で唯一の成人男性である味噌会社専務(A型)が最も激しく抵抗したためとする検察の論理を否定した。

タンクの味噌は高さ1.5cmにしかならない

 5点の衣類が味噌タンクから見つかったことをめぐり、弁護団は「犯行直後に味噌タンクに隠すことはあり得ない」と主張した。

 事件当時このタンクに入っていた味噌は80kgで、平らにならせば底から約 1.5cmの高さにしかならないので「隠すことなどできなかった」と訴えた。また、事件の20日後に新たに約4トンの味噌の材料が仕込まれるまでの間に、このタンクから味噌が取り出されていたにもかかわらず、5点の衣類は発見されなかったと指摘した。

 警察は事件の4日後に味噌工場を捜索している。その際に5点の衣類が発見されなかった理由を検察は「工場側から損害が出ないよう味噌の内部は捜索しないよう強く要請されていたため」と説明している。これに対し弁護団は、5点の衣類が入った麻袋がタンクに入っていれば味噌の一部だけが不自然に盛り上がっていたはずで「中に何か入っているか調べないまま放っておくことはない」と反論。「捜索の際に味噌の中は確認しなかった」とする警察官の証言は信用できないとした。

「今までなかった議論になった」

 弁護団と袴田さんの姉・秀子さん(90歳)は公判終了後、静岡市内で記者会見した。袴田さんの補佐人を務める秀子さんは、出頭義務を免除された弟に代わって毎回出廷している。

 弁護団の西嶋勝彦団長は「袴田さんが装着実験でなぜズボンをはけなかったのか、多面的に主張を展開した」と振り返った。小川秀世・事務局長は「5点の衣類の鮮明なカラー写真が開示されて捏造証拠だと確信した。そこから分かったことを主張・立証し、今までなかった議論になった」とこの日の反証の意義を唱え、5点の衣類を証拠から排除するよう申し立てる方針を改めて示した。

 秀子さんは「検察はわけの分からないことをグダグダ言っており、そこに反論してもらって良かった。5点の衣類の実物は初めて見たが、古い物だし、よく分からなかった」と感想を話し、「何を言おうと勝つしかない」と力を込めた。

 5点の衣類をめぐる論点②について弁護団の反証は終わっておらず、来年1月16日の次々回公判で続きを行う。次回・12月20日の第5回公判では、論点③の「袴田さんが犯人であることを裏づけるその他の事情が存在する」について検察と弁護団がそれぞれ主張・立証をする予定だ。

【袴田事件の再審決定後の動き】は以下を参照(編集部)
〈袴田事件・再審〉検察が「5点の衣類は袴田さんの犯行着衣」と主張、捏造は「非現実的で不可能」/第3回公判
〈袴田事件・再審〉「外部の複数犯」と袴田さんの弁護団が主張、「味噌工場関係者の犯行」とする検察に反論/第2回公判
〈袴田事件・再審〉初公判で袴田巖さんに代わり姉が無罪を主張/検察は有罪の立証、結審は来年5月以降の公算

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2023年12月18日公開)


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