〈袴田事件・再審〉検察が「有罪」を立証の方針/弁護団は「蒸し返し」と強く反発、判決まで長期化のおそれ

小石勝朗 ライター


「5点の衣類」のブリーフの写真を掲げて検察の有罪立証方針を批判する小川秀世・弁護団事務局長(右から2人目)。左隣は袴田巖さんの姉・秀子さん=2023年7月10日、静岡市葵区、撮影/小石勝朗

 袴田事件(1966年)の再審公判へ向けて、検察は7月10日、元プロボクサー袴田巖さん(87歳)に対し「有罪」の主張立証をする方針を明らかにした。事件発生の1年2カ月後に味噌に漬かって見つかった「5点の衣類」が袴田さんの犯行着衣だと強調し、「付着した血痕に赤みが残り得ること」を柱に据えるという。ただ、このテーマは第2次再審請求審で最大の争点となり、東京高裁は「血痕は短期間で黒褐色化する」と判断して再審開始決定を出した経緯がある。審理が長期化するおそれがあることから、袴田さんの弁護団は「蒸し返しだ」と強く反発し、検察に方針の撤回を求めている。

「袴田さんが犯人」と掲げる

 「検察官は、被告人が有罪であることを主張立証する」

 検察は静岡地裁へ提出した意見書の冒頭にこう記し、主張立証の骨子として、①5点の衣類は袴田さんの犯行着衣であること、②1年以上味噌に漬かった5点の衣類の血痕に赤みが残ることは何ら不自然ではないこと──を挙げた。

 主張立証する事項の最初に掲げたのは「袴田さんが犯人であること」。事件現場に近接する味噌工場内にあった雨合羽や混合油が犯行に使われたとみられることなどから「犯人が工場関係者であることが強く推認される」とし、従業員だった袴田さんは事件当夜、工場2階の寮の部屋に1人で寝泊まりしていたため「犯行に及ぶことが可能だった」と指摘した。

 5点の衣類については「多量の血痕が付着し、かつ損傷している状況から、犯行着衣であることが推認される」との見方を示した。事件前に袴田さんが着ていた衣類と酷似しており、そのうちのズボンの端切れが袴田さんの実家のタンスで発見されたことなどから「5点の衣類はすべて袴田さんのものと認められる」と強調した。確定審の高裁審理で行われた装着実験で袴田さんがこのズボンをはけなかったことについては「逮捕後に体重が増加した」と説明し、ズボンが味噌に漬かった後で乾燥して縮んだためとした元々の理由づけを変更した。

 さらに、半袖シャツとスポーツシャツの右袖上部の穴が袴田さんの右上腕部の傷の位置と整合するのは犯行の際に負傷したからだとして「袴田さんが犯行時に5点の衣類を着用していた」と断じた。また、5点の衣類が発見された味噌タンクにはもっぱら袴田さんが入って作業しており、他の従業員には気づく機会はなかったなどとして「袴田さんが隠匿したと認められる」と主張している。

7人の法医学者による共同鑑定書で立証

 5点の衣類に付着した血痕の色合いについては、「赤みが残っていた」とする発見当時の記録や証言に対し、「知覚や表現における個人差にも左右され得るうえ、光源の違いにより色の見え方は異なる」との見解を記した。そして、色合いを証言した人たちの観察条件が照明などによって違っていたために「色の見え方が異なる」と推察した。

 血痕の赤みを消失させる化学反応をめぐっては、その速さが「5点の衣類に付着した人血の凝固、乾燥の有無・程度や、味噌中の酸素濃度などによって大きく左右される」と分析し、再審請求審で弁護団の委託を受けて「味噌に漬かった血液は短期間で黒褐色化する」と結論づけた法医学者の鑑定を批判した。検察が差戻し後の高裁審理の段階で独自に実施した味噌漬け実験で、血痕に赤みが残る試料が多数確認されたとして、「この法医学者の見解によっては説明できない事象の存在を明らかにするものだ」ともアピールしている。

 検察はこうした主張を、再審開始決定後の補充捜査で得た7人の法医学者による共同鑑定書や、醸造、写真の専門家の供述調書などで立証するという。一方で、袴田さんが犯行を「自白」した内容で、確定審で証拠採用された検事調書(1通)については「立証に使用する予定はない」と明記した。

「証拠捏造」に強く反論

 検察の意見書は、再審開始決定を出した東京高裁が5点の衣類をめぐり「捜査機関による証拠捏造」に言及したことに強く反論している。「そもそも5点の衣類が捏造されたことを示す証拠はないうえ、捏造されたと仮定した場合には説明不能な事実関係が認められる」と述べ、「捏造の主張に根拠はない」と力を込めている。

 意見書の最後には「再審公判における審判は、確定審における判断はもとより、再審開始決定をはじめとした再審請求審における判断にも何ら拘束されるものではない」と付記し裁判所を牽制した。「蒸し返し」との批判を回避する狙いがありそうだ。

弁護団は「無実と分かりながらやっている」と批判

 「5点の衣類が犯行着衣だと証明できないことは、論理的に明らかだ。どういう目的か知らないが、検察は袴田さんが無実と分かりながらやっているとしか思えない」

 検察の主張立証方針が示されたのを受けて弁護団が静岡市で開いた記者会見で、小川秀世・事務局長は語気を強めた。

 血痕の色問題を担当する間光洋弁護士は「完全に再審請求審の蒸し返しで、決して許されない。差戻し後の高裁審理では法医学者らの証人尋問が行われたのをはじめ、検察には反証する機会がたくさんあったので、そこで出た以上のことが言えるとは思えない。検察の味噌漬け実験を視察した高裁の裁判官も『赤みは消えた』と判定している」と非難した。検察が証拠として挙げた法医学者の共同鑑定書に対しても「7人もそろって書く鑑定書は見たことも聞いたこともない」(笹森学弁護士)と批判のボルテージを上げた。

「人の人生を何だと思っているのか」

 弁護団が懸念するのは、再審公判の審理が長期化することだ。

 袴田さんは87歳、姉の秀子さんは90歳なので、年内の無罪判決を目指してきた。しかし、検察が証拠申請する法医学者らの主張の内容や裁判所の訴訟指揮によっては、弁護団も対抗して反論の証拠を準備する必要があり、証人尋問が実施されることにでもなれば相当の時間がかかることが予想される。小川氏は「検察は人の人生を何だと思っているのか」と怒りを露わにした。

 ただ、会見に同席した秀子さんは「検察だからこういうこともあるかと思っていた。裁判で勝っていくしかない」「57年闘っているから、ここで2年3年はどうってことはない」と淡々と話した。

 弁護団は7月14日、検察に対し有罪立証の放棄を求める申入書を提出した。検察の方針が「明らかに許されざる蒸し返しである」と指摘したうえで、「長期間味噌漬けになっていても血痕に『赤みが残る』場合があるということでは、犯行着衣であることの証明には何ら寄与するものではない」と批判している。弁護団は静岡地裁にも同日、意見書を提出し、検察の有罪立証の方針を変更させるよう要請した。

「複数の外部犯人」との見立て

 弁護団も7月10日、再審公判で主張する内容をまとめた冒頭陳述案を地裁へ提出した。

 その中で、この事件の犯人は「味噌工場の寮に住んでいた従業員とは無関係の複数の外部犯人」と見立てたうえで、警察が「次々に事実や証拠をねじ曲げ、あるいは捏造してきた」「虚偽の証拠により袴田さんを逮捕し、長時間の不当な取調べにより自白を獲得した」と当時の捜査を非難した。

 そして、5点の衣類は「本件とはまったく無関係の捏造証拠であり、袴田さんのものでもない」と強調し、証拠から排除するよう要求。それにより「当然、袴田さんは無罪とされなければならない」と訴えている。

 小川氏は「最初から捜査が歪められてきたことを多角的に主張したい」と再審公判へ臨むスタンスを説明した。

【袴田事件の再審決定後の動き】は以下を参照(編集部)
〈袴田事件・再審〉再審公判は11月以降か、裁判所が事前協議の日程を追加/検察は依然、立証方針を明かさず
〈袴田事件・再審〉冒頭陳述の要旨と証拠調べ請求を7月までに/裁判所が要請も検察は受け入れを留保/第2回事前協議
〈袴田事件・再審〉9年前に再審開始を決定した村山・元裁判長が述懐/「常識論として捏造しかないと思った」

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2023年07月19日公開)


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