袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で、元プロボクサー袴田巖さん(87歳)に東京高裁(大善文男裁判長)が出した再審開始決定に対し、東京高検は3月20日、最高裁への特別抗告を断念した。憲法違反、判例違反といった特別抗告の理由が見当たらないと判断し、再審開始を受け入れた。1980年に死刑が確定した袴田さんの再審公判は数カ月後にも静岡地裁で開かれ、無罪判決が言い渡されることが確実だ。
死刑事件で再審が実現するのは、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件に次いで5件目。これまでの4件はいずれも無罪が確定しており、袴田さんの再審無罪が確定すれば島田事件の1989年以来となる。
「特別抗告の申立て事由があるとの判断に至らず」
東京高検の次席検事が特別抗告の期限だった3月20日、「東京高裁の決定には承服し難い点があるものの、法の規定する特別抗告の申立て事由があるとの判断に至らず、特別抗告しないこととした」とのコメントを発表した。
3月13日の東京高裁の決定は、死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」について、付着した血痕に赤みが残っていたことを根拠に、発見直前に袴田さん以外の第三者が味噌タンクに隠した捏造証拠だった可能性を指摘し、捜査機関の関与にも言及した。そのうえで袴田さんが犯人だとした死刑判決に合理的な疑いが生じたとして、再審開始と袴田さんの釈放継続の結論を導いていた(高裁決定の詳しい内容はこちらの記事をご覧ください)。
弁護団長らが会見で感極まる場面も
袴田さんの弁護団は20日の午後4時半から、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見を予定していた。「特別抗告断念」の一報は会見の開始直前に入り、弁護団と支援者は喜びに包まれた。
弁護団事務局長の小川秀世弁護士によると、担当検事から「特別抗告をしないことになった」旨の電話連絡が入った。小川氏は「思わず『ありがとうございます』と返答した。本当に嬉しかったので」と苦笑いしながら声を詰まらせた。
西嶋勝彦・弁護団長は検察の対応について「当然だ。高裁の決定は、あれだけ詳細に検察の主張が成り立たないことを示した。いくらあがいても恥をかくだけだった」「特別抗告する理由は全くないと、高裁の決定直後から感じていた」と強調した。「再審請求審で9割9分、主張・立証は出尽くしており、(再審公判は)そんなに時間がかからないと思う」と今後の見通しを語り、「一刻も早く無罪判決を」と力を込めた。感極まった様子で言葉が途切れ、顔を伏せる場面もあった。
袴田さんの姉・秀子さん(90歳)もオンラインで会見に参加。「これで安心。巖にも説明したが、分かったんだかどうか。(無実を主張していた)巖の言う通りになっている。このまま進んでいってほしい」と落ち着いた口調で話した。
袴田さんの弁護団と支援者はこの日も、東京高検が入る庁舎の前で特別抗告しないよう求めて座り込みをしていた。
「無実の人を救済する突破口に」
翌日の3月21日には静岡市で報告集会があり、約150人が改めて再審開始の確定を祝った。袴田さんも姿を見せた。
西嶋弁護団長は「捜査機関が捏造をするわけがないという神話に裁判所がとらわれていた」と事件発生から再審開始まで57年もかかった理由を断じ、今回の高裁決定を「無実の人の救済の道が開かれる突破口にしたい」と意欲を見せた。講演した映画監督の周防正行さんは、今回の決定を受けて「再審請求段階での証拠開示と検察による抗告の禁止をすぐに実現するべきだ」と再審法制の改正を進めるよう提言した。
弁護団のメンバーからは差戻し審での苦労や内情も披露された。長期間味噌に漬かった血痕に赤みが残らないことを立証するにあたって、意見書を依頼した10以上の研究者・機関から断られたことや、検察による味噌漬け実験を1年2カ月間続けさせるかどうかをめぐって弁護団に両論があったことが明かされた。
袴田さんの姉・秀子さんは「巖のことは私の運命。つらい、悲しいと言っている余裕はなかった。本人は再審開始を当たり前だと思っている。再審まで半年1年かかるので、これからが正念場です」と語り、大きな拍手を受けた。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2023年03月22日公開)