「刑務所に入って幸せだった」/布川事件の冤罪被害者・桜井昌司さんの前向きな半生を描く映画「オレの記念日」/10月8日から公開

小石勝朗 ライター


映画「オレの記念日」の金聖雄監督(撮影/小石勝朗)

 「刑務所に入ったおかげで本当に幸せだった」

 そんなセリフを口にできる人は、そうそういないだろう。ましてや、やってもいない罪を着せられたがためだったならば、なおさらだ。

冤罪で無期懲役が確定し29年間、身柄を拘束

 桜井昌司さん(75歳)は20歳の時に強盗殺人犯にされ、無期懲役の刑が確定して服役する。1967年8月に茨城県利根町布川(ふかわ)で62歳の男性が殺害され、現金11万円が奪われた「布川事件」。共犯とされた杉山卓男さん(2015年に死去)とともに公判で犯行を否認したが、取調べ段階での嘘の「自白」が決め手となって、仮釈放まで29年間、身柄を拘束された。

国家賠償請求訴訟の控訴審で勝訴した桜井昌司さん(中央)=2021年8月27日、東京高裁前(ⓒKimoon Film)

 出所後の第2次再審請求が認められ、2人は2011年に無罪判決を勝ち取る。その過程で、警察や検察の証拠改ざんや隠ぺい、公判での警察官の偽証、さらに強要や誘導によって供述と証言を変遷させた捜査の実態が明らかになった。

 雪冤を果たした桜井さんは、検察と警察の責任を追及するために国と茨城県を相手取って国家賠償請求訴訟を起こす。再審開始より難しいとも言われる訴訟だが、昨年8月、東京高裁で国と県に約7400万円の賠償を命じる判決が出て確定した。「完全勝利」である。

「癌で余命1年」、元気なうちにと制作

 「オレの記念日」は、そんな桜井さんの半生を描いたドキュメンタリーだ。「2019年に桜井さんが癌を患ったことが、制作のそもそものきっかけでした」と金聖雄(きむ・そんうん)監督は話す。

 「『余命1年』と聞いて反射的に会いに行きました。『自然療法をやっていて調子が良い』ということで安心し、その後は折に触れて撮影していました。でも、国賠訴訟で画期的な勝訴が確定した時に『これは元気なうちに記録を形にしておかなければ』と強く意識したのです」

 金監督が初めて桜井さんに会ったのは2011年。再審無罪判決が出る少し前で、それから10年余の付き合いになる。人柄に惹かれて取材を続け、5人の冤罪被害者の交遊をテーマにした2018年公開の映画「獄友(ごくとも)」に登場してもらっている。

 「オレの記念日」は、獄中での日記に綴られた「記念日」を軸に、逮捕以来の桜井さんの生きざまを紡いでいく。

 1967年10月10日「夜風に金木犀は香って、初めての手錠は冷たかった」(逮捕)
 1970年10月6日「嘘が真実に変わった。人殺しの犯人だと裁判官が言った」(一審判決)
 1977年3月20日「母が死んだ。それでも春風が吹いた」
 1992年2月11日「父が死んだ。親父の馬鹿野郎とつぶやき続けた」──

「とにかく明るく楽しく」

 印象的なのは、ひたすらに前を向いて生きようとする姿だ。塀の中にいる間に両親が亡くなるなど「つらいこと、どうにもならないことはいくつもあったはずなのに、しんどいところを漏らすことはありません」と金監督。

 桜井さんは刑務所を「修行の道場」にたとえ「楽しさしか思い出さない」と振り返る。「泣いたって叫んだって出られないし、だったらその中での時間を自分で良かったって過ごすしかない、というのが自分の覚悟だった。とにかく明るく楽しく、面白いことを見つけて生きてやろうと思っていた」

 同時に、手紙や詩、曲、俳句など多彩な方法で「真実」を語り続けた。毎日コツコツと努力を積み重ねたことが、再審無罪や国賠訴訟の勝利という「逆転」につながった、と金監督はみる。

ライブで自作の歌を熱唱(ⓒKimoon Film)

 社会に復帰しても、再審無罪になっても、桜井さんのスタンスは変わらない。仮釈放の2年7カ月後に結婚。自作の歌を披露し、CDや本を出し、DJを務める。出所後の闘いの足跡も「記念日」にして映し出す。

 ただし、冤罪の傷が身体から消えることはない。本人に代わって、妻の恵子さんが一端を打ち明ける。

孤立しがちな冤罪被害者の道しるべに

 桜井さんが果たしてきた重要な役割が、冤罪被害者のネットワークづくりだ。孤立しがちな当事者を支援するために東奔西走し、2019年に「冤罪犠牲者の会」を結成した。映画にも、東住吉事件(1995年)で再審無罪になった青木恵子さんや、袴田事件(1966年)で再審請求が静岡地裁で認められ釈放された袴田巖さん(東京高裁で審理継続)らと交流する場面が織り込まれている。

袴田巖さん(左)の自宅を訪ね将棋を指す(ⓒKimoon Film)

 金監督は「桜井さんのように国賠訴訟にまで勝ったのは希少な例です。多くの冤罪被害者が置かれた絶望的な状況の中で、道しるべとなる映画にしたかった」と狙いを説明する。

 一方で、単なる「冤罪映画」にするつもりはなかったそうだ。

 「癌への向き合い方にしても、桜井さんはとても前向き。罹患が分かってからすでに3年が経っており、困難に直面した人間の生きざまという面に注目してアプローチしてもらっても説得力があると思います。そのうえで普段は縁遠い『冤罪』を身近に感じ、考えてほしい」

 映画の結びとなるフレーズは「オレの記念日は、まだ続く」。そこには、明日へ向けた桜井さんの強い意志とともに、その生き方へのエールと、これからも元気で活躍してほしいという金監督の願いが込められている。

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 「オレの記念日」は10月8日から東京・ポレポレ東中野で公開。以後、全国各地で順次公開の予定。詳しくはホームページにて。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2022年10月04日公開)


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