生徒の調査書の成績を教員に改ざんさせ、その謝礼に現金を受け取ったとして加重収賄罪などで有罪判決が確定した静岡県立天竜林業高校(当時)の元校長、北川好伸さん(74歳)の再審請求・特別抗告審が異例の展開を見せている。約6年前、地裁段階での証拠開示勧告に対し検察が「ない」と説明していた贈賄側の取調べメモについて、今年1月末になって最高検が「見つかった」と開示。北川さんの弁護団はその内容を分析し、贈収賄の実行日の特定につながったとみられる目撃が実際には不可能だったとする抗告審申立補充書を最高裁へ提出した。弁護団は、再審請求の棄却決定は取調べメモという重要な証拠を検討しないまま出されており破棄されるべきだ、と主張している。
贈賄罪が確定した元市長も再審請求
北川さんは校長だった2006年に、2人の生徒を推薦入試に合格させようと教員に指示して調査書の評定点をかさ上げしたとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた。また、うち1人の生徒の祖父である元静岡県天竜市長、中谷良作さん(90歳)=贈賄罪で罰金70万円が確定=から2006年と2007年の2回、謝礼として現金計20万円を受け取ったとして、加重収賄罪に問われた。
北川さんは捜査段階から一貫して犯行を否認し最高裁まで争ったが、2010年に懲役2年6月・執行猶予4年の判決が確定した。その後、中谷さんが「(贈賄を認めた)自白はすべて虚偽だった」と証言を翻したのを受けて、2014年に再審請求。しかし、2016年に静岡地裁浜松支部が請求棄却の決定を出し、2021年に東京高裁も支持したため、最高裁へ特別抗告している。中谷さんも2020年10月に再審請求し、浜松簡裁で審理が続いている(北川さんに対する東京高裁の決定については『刑事弁護オアシス』の記事「天竜林業高・元校長の再審請求、東京高裁も棄却/抗告から4年半、三者協議も開かないまま」をご参照ください)。
「証拠内容の精査が不十分だった」と検察が謝罪
事態が動いたのは今年1月末だった。最高検から北川さんの弁護団へ、中谷さんの取調べメモが見つかったと連絡が入った。地裁浜松支部の勧告を受けて2015年10月に静岡地検浜松支部が中谷さんに関する捜査報告書などを証拠開示した際に、検事は「開示したもので証拠はすべてである」旨を述べていたという。
弁護団によると、1月末に最高検の会議室で取調べメモが開示された際、地検浜松支部長は「本来であれば2015年の再審請求審で開示されていなければいけなかったものが発見された」「当時の担当検事による証拠内容の精査が不十分だった」と謝罪したそうだ。
開示された取調べメモは318枚。内訳は、手書きメモや資料が166枚、ワープロで打ったものが152枚だった。中谷さんが任意の聴取を受け始めた2008年8月21日から逮捕を経て略式起訴される10月15日まで、警察による聴取の様子が詳細に記録されていた。
物理的に不可能な「目撃」証言
弁護団が分析したところ、疑惑が浮上した。
確定した判決によると、2007年の現金授受は12月10日に校長室で行われたことになっている。中谷さんの手帳には、この日の欄に「9:00銀行」と書かれており、検察は午前9時に銀行に行き、その後に車で5分ほどの同校へ向かったと筋立ててきた。同校職員(当時)のAさんがこの日、「出張に行く際に校舎の玄関で中谷さんに挨拶した」とする供述調書があるため(ただし検察は確定審で証拠請求せず)、弁護団はここから日にちの特定につなげたとみている。Aさんは午前11時15分ごろに学校を出発していた。
ところが、中谷さんの取調べメモには、「9:00銀行」は開店時間を書いたもので、実際には午前10時半に銀行へ行って保険契約の話をしており、「手続きに1時間くらいかかった」との供述が記されていた。中谷さんは11時半ごろまで銀行にいたことになり、11時15分に同校を出発したAさんと校内で顔を合わせるのは「物理的に不可能」(弁護団)なことが判明した。
「覚えていないと何度も言った」
北川さんは現金の授受自体を一貫して否認しており、有罪確定後に直接Aさんに面会して話を聞いている。Aさんは中谷さんに会ったことについて「全く記憶がなかった」が、同僚だったBさんが「『Aさんが中谷さんに挨拶しているのを見た』と話している」と警察に言われ、「その人が言うのなら」と調書が作成された、と説明したという。
そこで、北川さんがBさんに聴き取りをしたところ、Bさんは「『覚えていない』と何度も言ったのに警察が調書を作ってあり、『関係者からも聞いて総合的にこういう状況にあった』『あなたは見ている』みたいな感じで言われた」と当時の聴取を振り返ったそうだ。Bさんは検察に対しては「覚えていない」と話し、その結果、検事調書は作成されなかったという。
弁護団は取調べメモで判明した状況と2人の説明を申立補充書にまとめ、4月20日に最高裁第1小法廷へ提出した。「(中谷さんが)10万円の賄賂を北川さんに渡したとのストーリーは、すでに完全に崩壊した」と強調している。
弁護団の海渡雄一弁護士は提出後に記者会見し、「中谷さんは『自白』した後も贈賄の日にちを供述できなかった。警察は、Aさんの出張の記録がある12月10日に北川さんと会ったことにすれば日付が特定できると考え、『目撃者がいる』と言って中谷さんに自白を迫ったのだろう。12月10日というのは警察の誘導で作られた日付だ」と捜査を批判した。12月10日の中谷さんの行動にかかわるすべての捜査資料の証拠開示を要求している。
取調官に土下座をしたとの記述も
開示された取調べメモには、警察官と中谷さんの生々しいやり取りが記載されていた。
「自白」に至るまでの過程で、中谷さんがマスコミの過熱取材に苦慮しておりメディア対応をした警察に恩義を感じていたこと、また、記憶違いに対して取調官に「嘘をついた」と追及され土下座をしていたことが分かった。「自白」の際には取調官が「絶対に(供述を)覆さないという信念を持って」「覚悟を決めて話すべきだ」と強い口調で迫っていた。中谷さんが精神的に揺れ、追い詰められていった様子が浮き彫りになった。
当初の「自白」では緑茶セットを現金10万円と一緒に渡したと詳しく説明していたのに、同時期には緑茶セットを購入していないことが捜査で判明した後であっさり撤回するなど、「犯行」の核心部分のいくつかの点で中谷さんの供述が不自然に変遷していることも明らかになったという。
中谷さんは「自白」した理由について「厳しく追及され捜査機関の意向に迎合してしまった」と話しており、弁護団は取調べメモによって「自白」が警察の誘導によるものだったことが裏づけられたとみている。今回分かった問題点を申立補充書にまとめ、3月末に最高裁へ提出した。取調べメモについても「自白」前後の時期のものが欠落しているとして、さらなる開示を求めている。
最高裁が自ら再審開始決定を
4月20日の記者会見には北川さんも同席し、「こういうことを警察や検察はやったんだ、と世間に知らせてほしい。裁判所の目を開かせてほしい」と訴えた。
中谷さんは、北川さんの確定審の公判でも「自白」と同様の証言をし、それが贈収賄の唯一の証拠になった。中谷さんは2人の有罪確定後に否認に転じ、北川さんの再審請求審では2015年に地裁浜松支部の証人尋問で「すべて虚偽だった」旨を証言したが、信用性を認められなかった。
弁護団は、取調べメモが確定審の段階で開示され、それに基づいて中谷さんの尋問が実施されていれば、中谷さんの「自白」に信用性がないことが明白になり、北川さんに無罪判決が出ていたと主張。また、北川さんの再審請求は重要な証拠を見ないまま棄却されたとして、最高裁に対し高裁の棄却決定を破棄するとともに、北川さんと中谷さんの年齢も考慮して審理を差し戻さずに自ら再審開始決定を出すよう求めている。
一方、最高検は1月末に取調べメモを開示した際に「(今回開示した)証拠の内容を踏まえても再審請求棄却の判断は揺らがない」と主張する意見書を最高裁へ提出している。今後、弁護団の申立補充書に反論する意見書を出すことが見込まれ、弁護団はそれを受けて裁判所、検察との三者協議を開くよう最高裁へ申し入れる方針だ。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2022年06月14日公開)