袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で、元プロボクサー袴田巖さん(86歳)の弁護団と裁判所、検察による5回目の三者協議が3月14日、東京高裁(大善文男裁判長)で開かれた。焦点になっている「味噌に漬かった血液の色の変化」をめぐり、検察は独自の味噌漬け実験や法医学者の見解に基づく意見書を提出。「長期間味噌に漬かった血痕に赤みが残る可能性はある」と主張し、弁護団に真っ向から反論した。高裁は6月以降に法医学者ら専門家の証人尋問を実施する方針を示した。最高裁の差戻し決定(2020年12月)から1年半を要して、差戻し審の審理はヤマ場を迎える。
「血液」と「血痕」の違いを強調
弁護団が昨年11月に提出した法医学研究室の鑑定書は、血液が味噌に漬かると、味噌の中の塩分や弱酸性の環境によって血液を赤くしているヘモグロビンが変性・分解、酸化し褐色の別の物質に変わるため、数日~数週間で赤みは失われると指摘した。数カ月後には、血液中のたんぱく質と味噌の糖分が結合して起きるメイラード反応も加わり、「1年以上味噌に漬けた場合、血液の赤みが残ることはない」と断じた(詳しくは『刑事弁護オアシス』の拙稿「『袴田事件』弁護団が差戻し審へ学者の鑑定書/『1年以上味噌に漬かった血液に赤みが残ることはない』」をお読みください)。
これに対し検察は、血液を付けた布を味噌に漬け込む新たな実験を始めた。その結果と、法医学者2人の見解を検事が聞き取った供述調書を併せる形で意見書にまとめ、2月24日に高裁へ提出した。
意見書はまず、審理のテーマになっているのは、犯行着衣とされている「5点の衣類」に付着した「血痕」であることを強調し、「血液」ではなく「血痕」の色調の変化に焦点を当てるべきだ、と主張した。そのうえで法医学者の見解をもとに、血痕の場合は血液に比べ「化学反応は起こりにくく、起こるとしてもその反応速度は液体よりも遅い」とし、血液の色調の変化を実験に基づいて考察した弁護団の鑑定書は「『血痕』についても妥当すると言える根拠を示していない」と批判した。
「血液の凝固や乾燥が血痕の色調変化に影響」
検察は新たな味噌漬け実験を昨年9月に開始した。20代~50代の男女15人から血液を採取して約100枚の布に付着させ、味噌に漬けて定期的に血痕の色調の変化を観察しているという。
実験の条件をさまざまに設定しており、付着させる血液の量や布の厚さを変えたり、静脈血とともに動脈血を用いたり、複数人の血液を混合したりした。味噌に漬け込むまでの時間は、血液を布に付けた当日だけでなく、3、5、10、18日後の5通りで実施。味噌は、5点の衣類が発見されたタンクの味噌と原料配分を同様にして約100㎏を仕込み、水道水とともに、肥料による汚染を想定して硝酸を含む水も使った。さらに、嫌気度の高い状態を作るため、チャックの付いた袋に脱酸素剤と一緒に布を入れるなどした。
その結果、血液を多量に付着させた布は、味噌に漬けてから約5カ月後でも血痕に赤みが残っていたという。検察は意見書で、学者の見解を引く形で「血痕全体に化学反応が起こる前に、時間の経過に伴い、凝固や乾燥などにより化学反応が起こりにくくなった可能性が考えられる」と分析した。同様に、血液を布に付けてから味噌に漬けるまでの時間に着目し、「味噌漬けされるまでの間に凝固、乾燥したことと、その進行の程度が、血痕の色調変化に影響している可能性が考えられる」としている。
以前の実験で血痕が黒色化した理由を釈明
検察は差戻し前の高裁審理でも、別の法医学者に依頼して同様の味噌漬け実験(以下、「N実験」)を実施している。最高裁は2020年12月の決定で、その実験結果について「血液の色は遅くとも味噌漬けから30日後には黒くなり、5カ月後以降は赤みが全く感じられない」と評価。「少なくとも、長期間味噌漬けされたことが血痕の色に影響を及ぼし得る要因等について、専門的知見に基づく検討の必要性を認識させる」として、審理を高裁に差し戻す大きな理由とした。
検察は今回の意見書で、N実験で血痕が黒色化した理由を釈明した。N実験が抗凝固剤の入った採血管を使用していたことが分かったとし、今回の実験結果と比較する形で「血液の凝固が阻害されたことにより、味噌漬けによる化学変化が促進され変色が進行した可能性が認められる」との見方を示した。そのうえで「N実験で現れた血液の色の変化から、1年以上味噌漬けされた5点の衣類の血痕に赤みが残ることはないと断ずることはできない」と強調した。
意見書は結論として「今回の味噌漬け実験の結果と専門家の知見に基づく考察から、長期間味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性は十分に認められる」と述べている。
「実験の条件設定に問題」と弁護団
三者協議は非公開で行われ、終了後に弁護団が記者会見して概要を説明した。
弁護団はこの日の協議に合わせ、検察の味噌漬け実験が「条件設定に問題があり信用できない」(笹森学弁護士)と批判する意見書を提出した。実験の問題点として、実施した部屋の温度や布を漬けた味噌の量、嫌気度が高い環境の作り方、味噌に漬けるまでの期間を列挙。血痕に赤みが残った布があるのは、5点の衣類が見つかった「味噌タンクで想定される環境とは乖離した条件設定が原因であると考えられる」と主張した。
一方で、弁護団は協議の中で検察に対し、味噌漬け実験を続けるよう求めた。小川秀世・事務局長は、検察の実験でも「開始から半年で、味噌が色づいていなくても血痕は黒褐色化している」と見立て、死刑判決では5点の衣類は1年以上味噌に漬かっていたとされることから「あと半年経って味噌が濃くなれば黒色化するのは間違いない」と狙いを明かした。検察は「実験の目的は達した」と継続に難色を示したが、高裁が血痕の色調変化を現地で「見てみたい」との意向を表明し、結局、5月23日の次回・三者協議までは続けることになったという。
弁護団は意見書で、血液と血痕の違いについて「血痕は味噌が生成する水分である『たまり』と接触することにより血液と同様に水溶液となり、(弁護団が出した)鑑定書の述べる化学反応は進行する」と反論している。N実験に関する検察の釈明に対しては、笹森氏が会見で「化学的にほとんど無視していい主張で(弁護団は意見書でも)反論していない」と一蹴した。
証人尋問は5月の協議で正式決定へ
証人尋問をめぐり、高裁は予定者やスケジュール、尋問事項、所要時間を次回協議で示すよう弁護団と検察の双方に求めた。弁護団は、昨年11月提出の鑑定書を担当した2人の法医学者を申請すると表明。検察は証人尋問の実施に反対はしなかったが、この日は具体的な人名を挙げなかったという。次回の三者協議で正式に実施が決まる見通しだ。
弁護団は、裁判所が検察の実験に興味を示していることを「良い兆候」と受けとめており、証人尋問を「良い結果に向けた通過点」と位置づけて準備を進めるとしている。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2022年03月16日公開)