当番弁護士制度が全国の弁護士会で導入されて、今年で30年になる。1990年9月に大分県弁護士会が名簿制(パネル方式)で、同10月に福岡県弁護士会が待機制(ロータ制)でそれぞれ当番弁護士制度を開始した。さまざまな困難を乗り越えて1992年10月、全国の弁護士会で実施することに漕ぎ着けた(大出良知『刑事弁護の展開と刑事訴訟』参照)。ここに、日本で初めて身体拘束された被疑者に対して弁護士が速やかに接見し無料で法的援助をする制度が実現した。
このほど、当番弁護士制度導入の経緯を知ることができる記事が2つ出版された。1つは、イギリスの当番弁護士制度を日本に紹介した村岡啓一弁護士のインタビュー記事(「この弁護士に聞く」39回・季刊刑事弁護109号6頁以下)である。もう一つは、「弁護士が創る、弁護士が育む法制度」と題する座談会(『多様な社会を実現する司法〔2022年度法友会政策要綱〕』4頁以下)である。
当番弁護士制度導入前史は、1989年に遡る。当時、日本弁護士連合会は刑事訴訟法40周年を記念して、「刑事裁判の現状と問題点──刑訴法40年・弁護活動の充実をめざして」をテーマとする第32回人権擁護大会シンポジウムを、同年9月に松江市で開催し、どうしたら日本の絶望的な刑事裁判を甦らすことができるか、そのために弁護士は何をしたらよいかを模索していたときである。
前記インタビュー記事によると、村岡弁護士は、接見交通権について研究しようと留学した先のイギリスで、たまたま当番弁護士を体験することができた。この村岡弁護士の紹介で、刑事裁判の改革を推進していた日本の弁護士会、弁護士は当番弁護士制度の具体的なイメージをはじめて持つことができた。
同じ時期、東京弁護士会の会派である法友全期会が、その10周年記念シンポジウム(同年10月)のテーマの中に当番弁護士制度をすえ、報告者として村岡弁護士を招いた。これについて、前記『2022年度法友会政策要綱』の座談会で、竹之内明弁護士がその経緯を詳しく発言している。弁護士会のなかでも最大の会員を擁する法友全期会が当番弁護士制度に関心をもったことによって、その実現にはずみがついた。4年間の準備の末に、前述のように1992年に全国実施が実現した。このことが後に、弁護士の悲願であった被疑者国選弁護制度の実現につながったことは言うまでもない。
その背景には、次のことがあった。「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」という診断で有名な平野龍一論文(「現行刑事訴訟の診断」、1985年発表)に見られるように、日本の刑事裁判の病理が噴出していたこと。さらに、1980年代になって免田事件など死刑事件が再審で無罪になったが、その原因究明が不十分で、防止のために具体的な法改正が行われなかったこと。その刑事裁判をなんとかしなければならない、そのためには刑事弁護の充実・強化は不可欠だとする共通した意識がマグマのように弁護士会、弁護士の中から噴出したことである。制度改革の前に、自分たちができることはなんでもするという弁護士会、弁護士一丸となった活動が、当番弁護士制度に結実したのである(当番弁護士制度導入のさらに詳しい経緯は、福岡県弁護士会編『当番番弁護士は刑事手続を変えた——弁護士たちの挑戦』を参照)。
現在、刑事弁護における最大の課題は、取調べへの弁護士立会いである。その実現のためのヒントを当番弁護士制度実現の過程から得ることができるだろう。
(な)
(2022年01月26日公開)