袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で焦点になっている、味噌に漬かった血液の「色」の変化について、元プロボクサー袴田巖さん(85歳)の弁護団が学者の鑑定書と意見書を東京高裁(大善文男裁判長)へ提出した。血液を赤くしているヘモグロビンは、弱酸性で塩分を含む味噌の影響で変性・分解したり酸化したりして褐色の別の物質に変わるため、血液は短期間で赤みを失うと分析。死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」の血痕には赤みが残っており、「1年以上タンクの味噌の中に隠されていたとは言えない」として、「袴田さんの犯人性は完全に否定された」と結論づけている。
最高裁は昨年12月の差戻し決定で、事件発生の1年2カ月後に現場そばの味噌タンクから味噌漬けの状態で見つかった「5点の衣類」の血痕の「色」に着目した。死刑判決は1年以上味噌に漬かっていたと判断したが、発見直後の血痕は赤みを帯びていたとされ、弁護団は独自の実証実験の結果を踏まえて「発見直前にタンクに投入された捏造証拠だ」と主張。検察による実験でも味噌に漬けた血液は1カ月すれば黒くなったことから、最高裁は血液の色の変化について「専門的知見に基づく検討の必要性」を指摘した。
弁護団は差戻し前の高裁審理で「味噌に漬かった血液は、血液中のたんぱく質と味噌の糖分が結合して起きるメイラード反応によって黒色化する」とする学者の意見書を提出しており、最高裁はこれについて高裁で十分な審理がなされなかったことを差戻しの大きな理由とした。差戻しにあたって「メイラード反応その他の味噌漬けされた血液の色調の変化に影響を及ぼす要因についての専門的知見の調査」を求めており、差戻し審での最大のテーマになっている。
ヘモグロビンの変性・分解や酸化で赤みは消える
弁護団は差戻し後に、血液を付けた布をさまざまな条件で味噌に漬ける実験を続けたが、いずれの場合も血液は短期間で黒色化した。メイラード反応にはある程度の時間を要するため、最高裁決定が触れた「その他の要因」の解明に注力。血液分析を専門とする法医学者の研究室の鑑定書とともに、弁護団がまとめた意見書を11月1日に東京高裁へ提出した。
意見書によると、血液が味噌と混ざると、弱酸性と塩分の影響で赤血球の細胞膜が壊れる「溶血」が起こる。血液の赤みの基となるヘモグロビンが漏出して変性したり分解されたり、さらに酸化したりして褐色の別の物質になるために、数日という短期間で赤みは失われると強調した。
法医学者の研究室がpH(水素イオン指数)の値を変えた溶液に血液を混ぜる実験をしたところ、熟成した味噌と同程度のpH5(弱酸性)の方がpH7(中性)よりも強い溶血が確認された。また、一般的な味噌の塩分濃度と同程度の10%の塩化ナトリウムを加えると浸透圧が高まり、pH値にかかわらず顕著な溶血が認められた。
弁護団は「味噌内の環境が溶血を促進させることを裏づけている」と立論。鑑定書は褐色化について、5点の衣類のように「麻袋に入れて味噌に漬けられた衣類の場合、味噌の成分が浸透しさえすれば数日の範囲で起こりうる」と記した。
数週間の中期的にみると、さらに分解が進んでさまざまな色の物質となり、それらが混ざることで血液は茶褐色から黒茶褐色の色調に変化するという。弁護団は「この時点ですでに赤みは失われている」とみている。
数カ月の長期的には、メイラード反応も加わって混色化し、「黒茶褐色から黒褐色の色調に変化する」と分析した。鑑定書は結論として「中〜長期間の保存において、赤みを保っていることはあり得ず、1年以上味噌に漬けた場合、血液の赤みが残ることはない」と断じている。
メイラード反応も生じていた
メイラード反応をめぐっては検察が7月末、2人の学者の見解をもとに、差戻し前の弁護団の主張に反論する内容の意見書を高裁へ提出している。5点の衣類が漬かっていた味噌が淡色のままだったとされることを根拠に「血痕の赤みを失わせるような褐変を伴うメイラード反応が進行していたとは認められない」と判断し、血痕に赤みが残る可能性はあると主張した。これに対しても弁護団は今回、メイラード反応を研究する別の学者による意見書を提出し、検察に反論した。
弁護団は学者の意見書をもとに、5点の衣類が漬かっていた味噌が淡色だったとしても、仕込んだ時点の原料(煮大豆や米麹)の白色と比較して褐変は進んでいるのだから「メイラード反応は最終段階にまで至っていた」と見立て、味噌と同じ環境下にあった血液でもメイラード反応は生じており、褐変は進んでいたとの見解を示した。
そして「味噌漬けにされた血液の化学的変化を長期的にみれば、ヘモグロビンの変性・分解、酸化等にメイラード反応が合わさって進行することにより、血液はより黒褐色化ないし黒色化する」と総括した。
「最高裁の宿題を完全に果たした」
弁護団は11月5日に記者会見し、鑑定書と意見書の概要を説明した。「色」問題を担当する間光洋弁護士は「再審開始に直結する専門的知見が得られた」と力を込めた。
西嶋勝彦・弁護団長は「最高裁が示した宿題を完全に果たした。5点の衣類は袴田さんのものではないとはっきりしたので、これ以上の審理は必要ない」と述べ、速やかに再審開始決定を出すよう高裁に要請。小川秀世・事務局長も「新しい科学的な鑑定ではなく、すでに分かっていたことを味噌に当てはめただけなので、動かない知見であり、決定的な証拠と考えている」と主張した。
弁護団と裁判所、検察との次回の三者協議は11月22日に予定されており、小川氏は「それまでに検察の対応を決めてもらう」と早期結審を目指す方針をアピールした。
◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう)
朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。
(2021年11月16日公開)