1 はじめに
2020年2月21日、法務大臣は、法制審議会に対して「近時の刑事手続における身体拘束をめぐる諸事情に鑑み、保釈中の被告人や刑が確定した者の逃亡を防止し、公判期日への出頭や刑の執行を確保するための刑事法の整備を早急に行う必要があると思われるので、その要綱を示されたい。」との諮問第110号を発した。
これに対応して設けられた「刑事法(逃亡防止関係)部会」(以下「部会」とする)は、同年6月15日に第1回会議を開き、以後同年内に8回の会議を開催して急ピッチで議論を進めている。ただし、2021年1月末時点で議事録が公開されているのは、10月30日の第6回会議までである。そこで本稿では、第6回までの議事録と第8回会議までの配布資料を基に、部会における議論の特徴と問題点について分析を試みることとする。
2 法制審議会への諮問事項と立法事実
上記の諮問、部会の設置に至った直接的な契機は、2019年に保釈中に逃亡した事例や、刑の執行のための収容に困難が生じた事例が相次いだことである。部会の第1回会議でも、「近時の主な逃亡事案」として、以下の5件が示されている1)。これらの事例の存在が部会の議論の前提となる立法事実である。
①懲役刑が確定した者の逃亡(令和元年6月)
第一審の実刑判決(懲役3年8月)に対する控訴を棄却する判決が確定した者が、収容のため来訪した地検職員らに対し、包丁を向けて脅した上で、逃亡した(4日後に身柄拘束)2)。
②勾留の執行を停止された被告人の逃亡(令和元年10月)
第一審の実刑判決(懲役1年6月)に対する控訴審の係属中に、医療機関への受診を理由 として勾留の執行を停止された被告人が、指定の日時までに出頭せず、逃亡した(4日後 に身柄拘束)。
③保釈を取り消された被告人の逃亡(令和元年10月)
第一審の公判期日への不出頭を繰り返し、保釈を取り消された被告人(累犯前科あり)が、地検に出頭した後収容される前に、庁舎外へ出た上、自動車に乗り込んで逃亡した (2日後に身柄拘束)。
④保釈を取り消された被告人の逃亡(令和元年11月)
第一審の公判期日への不出頭を繰り返し、保釈を取り消された被告人(懲役刑の執行猶予期間中)が、地検職員により車両で護送される途中、車外へ出て逃亡した(2日後に身柄拘束)。
⑤保釈された被告人の国外逃亡(令和元年12月)
第一審の公判前整理手続中に、海外渡航禁止などを条件として保釈された被告人が、同条件に違反し、本邦から不法に出国して逃亡した。
この5件のうち、⑤は日産自動車のゴーン氏の国外逃亡のケースである。このケースが報道されているとおり、弁護人も知らないうちに、計画的かつ組織的に適法な出国手続を経ずに海外逃亡を図った、ということであるとすれば、たしかに現行制度の運用改善では防ぐことができない事例と言えるかもしれない。しかし、①、③、④については、地検の職員が対象者の身柄の確保に失敗した事例である。現行制度の枠内で、逃亡を防ぐことができなかったのかが、まず問われなければならない。
また、報道によれば3)、②については勾留の執行停止が認められた事由(医療機関の受診)そのものの存在が疑わしかったのではないかとの疑問が残る事案である。これらは、新たな制度を創設する必要性を論じる前に、現在の勾留の執行停止の際の手続や検察庁における刑の執行手続の中で防ぐことができなかったケースなのかどうかを確認する必要がある。部会の議論状況の検討も、このような視点から行いたい。そのため、現行制度の枠内での問題解決を示唆する委員、幹事の発言は明示的に取りあげる。
なお、部会の構成という点では、逃亡防止・収容の確保のための規定の整備という、やや技術的な側面が強い検討課題が扱われていることもあってか、法曹三者と研究者、警察関係者以外のメンバーが委員や幹事に含まれていないことも特徴と言える4)。
◎執筆者プロフィール
水谷規男(みずたに・のりお)
1962年三重県生まれ。1984年大阪大学法学部卒業。1989年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。三重短期大学、愛知学院大学を経て、現在、大阪大学大学院高等司法研究科教授。専門=刑事法。主な著作に、『未決拘禁とその代替処分』(日本評論社、2017年)などがある。
注/用語解説 [ + ]
(2021年04月26日公開)