映画のはじまり
──今年3月に公開された映画『Winny』はたいへん好評を博しました。今日は、金子勇さんを演じた東出昌大さん、映画監督の松本優作さん、実際の裁判の弁護団メンバーのお一人であった秋田真志弁護士をお招きして、この映画制作の舞台裏や法廷場面から見えてくる日本の刑事裁判の実態などをお話しいただくことにします。
秋田 映画、すごいヒットしたみたいですね。動員はどのくらいですか。
松本 具体的な数字で言っていいのか、わからないんですけど、12万人くらいですね。
秋田 事前に、予想しておられた数字は?
松本 自分では、目標を高くしていたので、もうちょっといきたかったなというのはあります。でも、製作規模や上映館数を考えると、すごくよかったと思います。
秋田 映画祭にも出品していますね。5月は韓国(全州国際映画祭)、6月は上海(上海国際映画祭)ですね。
松本 韓国と上海。まだアジア圏だけですけど、Winny事件を世界の人に知ってもらえるきっかけが、映画を通してできたのはすごくよかったと思います。
秋田 そもそも監督がこの『Winny』を撮ろうとしたきっかけを教えてもらっていいですか?
松本 家入一間さんとか堀江貴文さんがやってる「CAMPFIRE映画祭」がありまして、そこで古橋智史さんという起業家の方が、たまたま知り合いから企画を出さないかみたいなことを言われた。そのときにたまたま「コインハイブ事件」が起きたんですね。
この事件が起きた後に出てたと思うんですけど、「また一人の天才がつぶされた」という投稿があった。この「またって誰なんだろう」と調べてみると金子勇さんに行き着いたんです。古橋さん自身も起業家として活動していく中で、壁を感じていらっしゃった時期があり、金子勇さんのWinny事件を映画にしたいという思いを、映画祭の企画コンペみたいなところでおっしゃっていました。
僕もたまたま別の仕事で、その映画祭には行ってました。そこで今回の伊藤主税プロデューサーに初めて会ったんです。僕も古橋さんの企画を見てたんですけど、Winnyの企画を「映画化しましょう」ということになっていったんです。その後、いろいろありまして、数カ月後に僕のところに話がきました。そのときは別の企画でWinnyの映画を扱った脚本があったんですけど、それは事件を真正面から描いたものではなかったんです。僕にやらせていただけるのなら、事件をゼロから調べ、自分で脚本を書きたいと相談しました。
秋田 どういうところから取材を始められたんですか。
松本 まずは当時の新聞のWinny事件の記事を全部集めていただきました。あとはネット上で調べられるだけ調べて、Winny事件をできる限り理解した上で、最初はWinny事件弁護団長の桂充弘先生に連絡しました。北尻法律事務所に行くと、壇俊光さんもいて、そこから2人に取材しながら、実際の裁判資料をいただいたりしてスタートしました。それは2018年ぐらいでしたね。
秋田 私も、東京の喫茶店で取材を受けたんですけど、あのときは法廷での尋問のところについてインタビューをされましたね。
松本 そうですね。秋田先生に当時の尋問資料をお渡ししたら、「なんて美しい尋問なんだ」って言われたのをすごく覚えています。
秋田 はは。全然覚えてないんですが、冗談のつもりで言ってておかしくないです。あの尋問は、事件の一つのターニングポイントでしたから、印象に残ってることには間違いないです。
松本 そのときに、『実践! 刑事証人尋問技術』(現代人文社、2009年)、『実践! 刑事証人尋問技術 part2』(現代人文社、2017年)の話もしていただいた。
秋田 これらの本のもととなる季刊刑事弁護での連載「刑事証人尋問技術」が始まったのがWinny事件の捜査が開始された2003年です。
東出 もう20年も経ったんですね。
起きた出来事を忠実に伝えたい
──Winny事件は最高裁で無罪が確定するまで7年も続いた裁判です。これを2時間程度の映画にするのは至難のわざではないかと思います。この映画の意図はどこにあったのでしょうか。
松本 最初、わからなかったんです。もちろん起きている出来事は大変なんですけど、終わるまでに7年以上ある裁判で、どこから手をつけたらよいのかわからなかったんです。映画にするとなったときに、最初にプロットという脚本の前にあらすじみたいなものを書くんですけど、誰に見せても難し過ぎてわからないとか、専門用語が多過ぎて、一般の人には伝わらないんじゃないかみたいなところがあったんです。
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(2023年07月24日公開)