1 はじめに
清水こがね味噌事件(袴田事件)((事件名は現在の報道では、「袴田事件」と呼ばれていますが、被疑者・被告人の名前を事件名にすることは、犯人視することになりますので、本来は「清水こがね味噌事件」あるいは「清水事件」というべきです。しかし、ここでは、一般に流布された「袴田事件」と表記します。))の再審公判は、事件から57年が経過した2023年10月から、静岡地方裁判所(國井恒志裁判長)で行われています。再審開始までの57年は88歳の袴田巖さんには、あまりにも残酷な長い時間でした。速やかな無罪判決により、袴田さんの名誉と人権の回復が行われるべきです。再審公判を通して、警察による違法捜査や検察の証拠隠し等を検証し、司法権力の犯罪が厳しく問い直されるべきです。
袴田さんは、事件から50日目の1966年8月18日に不当逮捕されました。そして、1968年9月11日に静岡地裁で死刑判決が下され、1980年11月19日に最高裁が上告を棄却し、12月12日に死刑が確定しました((袴田さんは最高裁決定前の1977年3月14日付で最高裁へ上告趣意書を提出し、事件を「机上の空論である」と必死の無実の訴えと、許すことのできない警察、検察による冤罪の告発を繰り返し書き綴っています。
私たちは、袴田さんの無実の訴えと冤罪の告発を改めて受け止めるため、上告趣意書の朗読会を2020年6月30日から2022年11月15日まで24回開催しました。また、無実をより一層明らかにするため、冤罪のシナリオとも言うべき検察の冒頭陳述の検証作業も併せて行ってきました。朗読会と検察の冒頭陳述の検証作業を進める中で、警察の捜査状況について当時の新聞記事から読み解くことにしました。この報告はその成果の一つです。))。
袴田さんが逮捕された1966年8月18日、地元の静岡新聞をはじめとして、全国紙の朝日、毎日、読売、サンケイ各新聞やブロック紙の中日新聞、東京新聞も、実名、顔写真入の逮捕記事を掲載しています。いずれも、事件直後に押収した袴田さんのパジャマに付着していた血痕が被害者の血液型と一致したとして、犯人視するものです(新井直之「冤罪に手をかすジャーナリズム——冤罪事件と報道」〔法学セミナー増刊『日本の冤罪』(1983年)84頁〕も、逮捕報道について検証していますので、参照してください)。
その逮捕報道の中で、逮捕直後、袴田さんを「(何をするか分からない危険な)精神障害者」とする識者談話を掲載した記事が多数見られます。以下では、これらの記事を中心に、逮捕当時の報道の内容と問題点を浮き彫りにします。さらに、掲載した各報道機関に対して記事掲載の経緯と掲載責任に関する質問状を送付したので、各社のそれに対する回答についても検討します。
2 精神障害者差別に基づく記事を五紙が掲載
袴田さんが任意で取り調べられた5日後の、1966年7月9日付東京新聞(静岡版)及び中日新聞が「犯罪原因研究会」の調査結果を基に、県立精神病院長の「分裂病者の凶行」(東京新聞)、「二重人格の分裂病者」(中日新聞)とのコメントを掲載しています((東京新聞と中日新聞の関係につきまして、差別記事掲載五紙に後述のとおり要請書を送り回答を求めた中で、東京新聞編集局長から「中日新聞から提供を受けた原稿をそのまま掲載したと思われます。なお、東京新聞が中日新聞と経営統合するのは昭和41年10月1日ですが、41年当時、既に双方の記事を交換しておりました。」(2021年3月25日付より)との回答がありました。このことから東京新聞と中日新聞記事を並列的に検証することとしました。))。また、袴田さんが逮捕された翌日の1966年8月19日付静岡新聞では袴田さん逮捕直後の事件報道とは何の脈絡もなく、静岡大学教授の「精神病質、異常性格の持ち主」とのコメントを掲載しています。
さらに、起訴前日の1966年9月8日付読売新聞が、静岡新聞でコメントしている静岡大学教授が「典型的な二重人格」と述べている記事を、本文記事とは無関係に掲載しています。そして、袴田さんが起訴された後に、毎日新聞静岡支局長(当時)が署名記事のコラムで、袴田さんを「極端な異常性格」との見出しでコメントしています。
以上のように、五紙の精神障害者の差別、偏見に基づく記事は、各々袴田さんの逮捕前、逮捕直後、起訴前日、起訴後と各紙で連続的に掲載されていました。
そこで、以下では、精神障害者の差別、偏見に基づくこれらの記事に関して、詳しく紹介します。
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(2024年04月06日公開)