3 証拠開示の方法論
―― 証拠開示に関連して、山本さんは、証拠開示請求について「山本方式」とも言われる方法論を確立していますが、どうして証拠開示請求に興味を持ったのですか。
山本 「人・場所・物方式」とか「山本了宣方式」とか呼ばれていますが(後者は私が付けたわけではありません)、もともと、このやり方を初めに紹介したのは2011年の秋で、だいぶ昔の話です。私自身は、もともとは証拠開示に特別な関心を抱いていたわけではなく、ただ、「とても大事なはずなのに、やり方がもやもやしてよくわからない」というイメージを持っていました。
私が1年目に経験した事件では、弁護団会議で何となく議論して、「ああいう証拠が、要るんじゃないか」みたいなことを思い付いて、それをまとめて、開示請求をして、返事が返ってきて、それを見て、また会議をして、ああだこうだと言って、また開示請求をしてという繰り返しでした。これは今でもよくあると思います。そういうやり方で、本当に肝心の証拠が取れるのか、もう一つ落ち着かない感じでした。
―― そこが出発点ですか。
山本 事実認定に関心が強かったので、その延長なのですが、当時の自分の考えていたことの1つとして、「事実」ってそもそもなんだろうか、という疑問がありました。構成要素という観点で言うと、まず人、場所、物という3つの要素があって、そこに時という要素を組み合わせることによって事実というものが出来上がっているのではないか、というモデルに、ひとまず行き着いていました。
これとは全く別の流れなのですが、証拠開示請求書を書いているときは何となく毎回同じ型というか、パターンがあるような気がしていました。そこから、「証拠は結局事実を扱っているわけなのだから、事実の基本要素である人・場所・物で証拠を記述できないか」ということを、ふとひらめきました。
実際にそれに沿って書き並べてみると、このモデルで証拠開示の識別事項が全部記述できるし、きれいに網羅できることがわかりました。これが2011年の秋のことです。
―― それから、それが普及していったわけですね。
山本 当時、大阪弁護士会で、公判前整理手続や否認事件などの実務研修の講師を担当することになって、その研修の打ち合わせのときに、「こういうのを考えている」と提案したら、「それ、いいんじゃないか。今度の研修でそれを紹介したらどうか」と言われました。当時は今よりだいぶ粗かったのですが、研修でそれを説明すると、「これは衝撃的だ。コロンブスの卵だ。パラダイムシフトだ」と好評でした。
大阪では、それが何となく定番になって、大体毎年それを研修で話すことになっていました。2016年ぐらいから、全国各地で研修する機会がありまして、そうこうしているうちに定番になっていったと思います。
証拠開示シミュレーターという簡単なアプリも作ってみました。これは実用品というよりも、体験用ですね。人・場所・物方式は、短いプログラムに表現できるくらいのシンプルなルールなのだということの、実証実験みたいな意味もあります。
4 法曹への道に入った理由
―― 話は変わりますが、山本さんがそもそも法曹の世界に入った、また弁護士を志望した動機はどんなところですか。
山本 私はもともと教育学部にいて教えることに関心があったのですが、学校の先生というのはなんだかイメージと違うなというのがありました。人の相談を聞いて、解決策を考えたり説明したりするのが自分は結構好きなんじゃないかということや、自分の判断で仕事ができるほうがいいというところから、弁護士志望に傾いていきました。
―― 弁護士になって、最初に入ったのは後藤貞人先生の事務所ですか。
山本 そうです。 早稲田大学のロースクールで、四宮啓先生とか高野隆先生がおられた頃で、お二人の実演型の授業を受けたこともあったのですが、修習の時点でも刑事弁護をたくさんやりたいというふうには、特別には思っていませんでした。ただ、司法研修所テキスト、いわゆる白表紙で、事実認定の刑裁の読本は面白かったと記憶しています。
―― その頃から、事実認定に興味をもっていたのですね。
山本 修習地が奈良になりましたが、当時、奈良弁護士会ではに高野嘉雄先生がお元気で活躍しておられ、修習生はしっかりとしごかれました(笑)。弁護修習の中で、修習生に弁論要旨を起案させて、講評し、ディスカッションするというものがありました。
弁論要旨を書く課題があったので、自分なりに書いたところ、それが、高野嘉雄先生に大絶賛されるという出来事がありました。
弁護修習の際は朝守令彦先生にお世話になりましたが、「山本さんにはぜひ刑事弁護をやってほしい」と言っていただいていました。ただ私はそれでもまだ「刑事弁護をやりたい」と思っていなかったのですが(笑)、就活で「大阪で普通の事務所を紹介していただけたらうれしいです」とお願いすると、刑事系の先生を次々に紹介してくださいました(笑)。
―― それが後藤先生との出会いですか。
山本 最初、後藤先生からは、「部屋がありません」と返事が返ってきたのですが、朝守先生が「高野嘉雄さんも絶賛しているお薦めの逸品です」ともう1回押し込んでくれました。そしたら、「1回会ってみようか」というお返事が来ました。私のほうは、「あれっ?」という感じの状況です(笑)。ただ、大先生だし、一度お話できるのは貴重な機会だ、ということで、ともかく事務所にうかがいました。そういう流れだったので、刑事弁護への熱意を語るとか、先生のところで技術を磨かせていただきたいとか、そういうことさえ何も言わず(笑)、2、30分雑談していただいて帰ってきました。
それから、2、3日したら、「来てくれていいよ」という返事をいただきまして、私のほうは120%断られるつもりでいましたので、「えっ?」と思いました。1週間ぐらい、「どうしようか」と迷っていましたが、なかなかない機会ですし、お世話になることにしました。
―― 後藤先生の印象はどうでしたか。
山本 初めの印象では、言葉がすごく短いのですが、独特の迫力がありました。
―― 後藤先生から学んだことで特に残っていることはありますか。
山本 入って初めの頃は、記録の読み方とか、いろいろ教えていただきました。振り返ると、修習生から弁護士になりたての頃は、そのあたりすごく適当にしかできていなかったなと思います。例えば、この記録に付いている添付書類のこれが、元はどこにあったかを探っていくといった作業がありますが、当時の私の感覚では、「えー、そこまで細かくチェックするんだ。すごい」というぐらいでした。そういう見方というか、やり方をいろいろ学びました。
(2021年09月17日公開)