6 K-Ben NextGenの目指すもの
――今(2020)年の春に「K-Ben NextGen」 という団体を立ち上げていますが、その目指すところを簡単にお願いできますか。
山本 今まで刑事弁護は市民にも嫌われる、すごく暗い世界だったというか、弁護士の業務としてもあまり日が当たらないというか、あまり人気がないという側面があった。だから、刑事弁護に携わる人は、そういうものだと思って我慢して、一件一件、一所懸命やっていくしかないんだみたいな気持ちを持っている人が多くて、刑事弁護をする人が外部に向けて、刑事裁判や刑事弁護の実際について発信することはあまりなかったわけです。
刑事弁護は社会にとって必要なことだし、社会正義を実現するものです。そういうことを一般の人にも分かってもらうための努力は、少なくともしなくてはいけないだろうというのが「K-Ben NextGen」の目指すことの一つです。
もう一つは、今まで刑事弁護の担い手は、刑事弁護に熱意のある一部の弁護士でしたが、その人たちは弁護士会の中で少数派です。刑事弁護というものを弁護士にとってもっと人気のあるものにしなくてはいけないし、そのためには、刑事弁護の魅力をもっと修習生や若手弁護士に伝えて、誤解を恐れずに言えば、もっと気軽にできるような、そういうプラットフォームをつくる、そういう必要があるのではないかと思って、それを事業としてやろうということで立ち上げました。
――設立指針の中で、「刑事弁護の高度化と専門化」ということを言われていますが、今後、刑事弁護はそういう方向に向かうのは必然でしょうか。
山本 少なくとも、裁判員裁判対象事件など公判前整理手続に付される事件や、否認事件は既に専門化が進んでいるのではないでしょうか。ちゃんとした質の弁護を提供しようとすれば、普通の民事事件の感覚ではできない世界になっているかもしれないですね。
7 日本の刑事裁判で、どこが一番問題か
――先ほど裁判所の問題が出ていましたが、今の日本の刑事裁判の中で、どこが一番問題でしょうか。
山本 一つだけ挙げろと言われたら、身体拘束です。
――身体拘束自体がみんな理不尽なんでしょうけれど、特にこんなにひどいというのはありますか。
山本 「こんなのはひどい」と言っても、なかなかそれが裁判官に分かってもらえないこと自体に問題があると思います。
例えば覚醒剤使用を認めていて絶対有罪が明らかな人を、何でずっと身体拘束しておく必要があるのかを一般の人に話しても、「そんなやつ、入れとけばいいじゃん」とみんな思うわけです。その意識を出発点から変えなければいけないという気はしています。
――市民の中には、「逮捕されれば有罪だから閉じ込めておけ」という「有罪推定」みたいな感覚がありますね。そういうのを、どのように直していけると思いますか。
山本 そのための「K-Ben NextGen」だと思います。団体として発信するというのは結構意味があると思っています。その発信の内容も、例えば海外の制度などを紹介して、日本はこんなに遅れているということを訴えていく。
この間も、「K-Ben NextGen」主催で、海外に留学している弁護士を招いて研修をしたのですが、アメリカでは、逮捕されて24時間以内に起訴されて、その後そのトライアル(裁判)までに90%以上は保釈で解放されます。保釈金の額も日本に比べるとかなり低廉です。
というのは、外国では裁判は、一般的に検察官に代表される国家と被告人は対等なものだと理解されているからです。当然片方を閉じ込めておくことは不正義だというのは、誰でも分かるはずです。日本には「罪を犯した人と思われる人を捕まえてお上が裁く」みたいな認識がどこかにあるんですかね。少なくとも、裁判所がそんな感覚のままやっているのは、本当に愚かだと思います。
――普通、大学や法科大学院で、無罪推定など刑事手続の原則は必ず教わっていますが、そうした人たちが裁判官になって、何でああいう愚かなことをするんでしょうか。
山本 それは、この原則というのはあくまで原則だということです。例えば、身体拘束がないのが原則ではあるが、どういう場合が原則であるかは法律には具体的に示されていないわけです。そうすると、過去の事例を踏襲するという発想になります。
――先例を踏襲するんですか。
山本 裁判官も人間ですし、自分が法律を学んだ身で分かりますが、原則はみんな分かっているけれど、その原則はどこに当てはまるというか、どの程度の嫌疑があったら、どの程度の罪証隠滅の可能性があったら拘束していいのかということは、当てはめの問題としか与えられてないわけで、その当てはめが緩すぎるというだけの話なので、善意に解釈すれば、学んだ原則を忘れたということではないとは思います。
――長期の身体拘束はどのようにすれば、改善できると思いますか。もちろん、一般市民にきちんと刑事手続の原則を理解いただくことも必要でしょうけれども。
山本 難しいですね。何かそういう答えがあるなら、既にそういう世界になっていると思います。現状の中でどうすればいいかは、かなり難しい、絶望的ですね。
――絶望的でも、日々の受任した事件では、とにかくやることはやる。
山本 弁護士自身の認識もきっと変えていかなくてはいけない。否認している事件のほうが保釈されにくいみたいな常識が今はありますが、その常識が間違っていることを、弁護士会全体が言えるようにしないといけないと思います。
身体拘束されていることは、あらゆる意味で不自由であると思うのですが、刑事手続の中で言えば、根本的な問題は対等な防御権を奪っていることです。対等な防御権を奪っているところが、僕は一番問題だと思っています。
身体拘束されていると、会社に行けないので職を失ってしまうということ自体ものすごくインパクトのあることですが、それを言ってもあまり説得力がないと思います。刑事訴訟の構造から言って、防御権が不十分にしか行使できないという状況を、もっともっと知ってもらうべきだと思います。
それは具体的に、例えば接見でアクリル板があるのかないのかで全然違うし、例えば書類のやりとりを直ちにできるかできないのかは全然違うし、あらゆる意味で違います。
――実際にアクリル板がないことのよさを具体的に言ってもらえますか。
山本 アクリル板のないことのよさは、まず一つには感覚的な話です。これは人と人とのコミュニケーションの問題にかかわります。今はコロナ感染防止でアクリル板を立てて面談をすることがあります。が、それはコミュニケーションの重要な一部を放棄していると思います。アクリル板越しでも同じだという人もいますが、それは一種の壁です。信頼関係をそこなう壁です。
被疑者・被告人の前だと横柄になってしまう弁護士が結構いるんですが、その原因は多分、相手が被告人という立場ももちろんあるんですが、アクリル板の効果は絶大なんだろうと思います。何か隔てられている、それで弁護人は守られている。そして、外の人と内の人ということで、目に見えるかたちで序列がはっきりされている。その影響は計り知れないと思います。
そういうものがなく、対等な当事者としてきちんと話せることで、依頼人の意見を十分に吸い上げられると思います。同じ話をするのでも、在宅のほうが何千倍もやりやすいです。
――それは、打合わせの時間が十分取れるという意味ですか。
山本 それもありますが、物理的なものもとても大きいです。例えば「そこでちょっと絵を描いてみてよ」とか、そういうコミュニケーションとか、「今パソコンの画面に表示するから、ちょっとそれを見ながらやろうよ」とか、そういうことがアクリル板があったら全くできないので、そういう物理的な弊害は大きいですね。
(2020年11月28日公開)