8 刑事司法改革の課題とは何か
——司法改革のことが出てきましたが、平成になってから刑事訴訟法の大きな改正が何度かあります。その中で、どんな点がまだ課題として残っていると思われますか。
阿部 刑事裁判の諸悪の根源は、検察官控訴が認められていることだと思っています。逆に言うと、これさえなければ、極論ですが刑事司法改革なんて必要ないと、私は思っています。
当然ながら、「二重の危険」理論ももちろんありますが、無罪判決があったということは、合理的疑いがあるということの典型だと思います。それを控訴して、結論が引っ繰り返るというのが全く理解できない。少なくとも、一審の裁判官は、合議事件だったら3人のうち2人だし、単独事件だったら、その裁判官が「合理的疑いがある」と言っているのですから、合理的疑いがないと控訴審で判断されるのは、根本的におかしいと思っています。
これさえなければ、本当の意味での司法改革はほぼ終わりではないかと、私は個人的に思っています。袴田事件は現在、最高裁に特別抗告中ですが、とっくに無罪になっていたはずです。名張事件の一審は無罪ですから、これもずっと昔に終わっている事件です。
——検察官控訴問題は、再審ではかなり言われるけれども、通常審では、検察官控訴廃止の声はあまり挙がってきません。それは、どうしてでしょうか。
阿部 刑事裁判は検察庁が国家の権威を持ってやっているんだから、良心的な裁判官にどんどん無罪判決を出されちゃ困る。そうしたら大混乱になるとでも思っているのでしょうか。検察の意を汲んだというと怒られますが、刑事裁判官の意識が捜査機関寄りになっているのかも知れません。
9 裁判員制度の是非
——司法改革の目玉の一つとして裁判員裁判がありますが、裁判員裁判を実際にやられたことありますか。また、それに対して、どういう印象を持っていますか。
阿部 少ないですが、あります。裁判員裁判に対しては、あまり肯定的に評価する気はありません。
——肯定できない点はどこにありますか。
阿部 私は、刑事裁判は生き物というか、ある程度時間をかけて検討していくうちに、その事件の真実とまでは言いませんが、正体が見えてくるのではないかと思っています。
最初に申しあげた放火事件も、ずっと反対尋問や調査をやっていて、「ああ、こういうことなんだな」と思うようになったのは、事件も終わりのほうでです。いかに証拠開示がされたとしても、裁判にはいろいろな経過があって、公判で、証人が捜査段階の資料の中でも言っていないようなことを言い出したりする。そういう中で、さらに調査を重ねて、実際こうなんだということが明らかになってくるので、公判前の段階で、弁護人の主張を明らかにさせられることが肯定できない点の一つです。
特に死刑事件ですと、公判が長くかかるかもしれません。その長い中でいろいろな人の話を聞いたりすると、被告人が事件に向き合うことができます。それは、裁判所にいる時間ではなくて、時間の経過です。例えば、第1回公判があって、第2回公判があって、被害者の尋問があってと、さみだれ式ではあるものの、そのさみだれ式の中で、考えることによって、自分のしたことへの思いが深まっていくだろうという感じはします。「今日は何があった」「こういう話を聞いた」ということを反芻するのは、被告人が房に戻ってからが多いとは思いますが。公判前整理手続を経て一審集中審理だと、あまり深まる時間がない印象を受けます。
もう一つは、口頭主義の反面ですが、特に認めている事件だと、被告人に「何が、いつあって、どうだった」という事実経過を質問・供述するための準備に時間と労力が制約されます。その関係で、被告人の事件に対する反省の深まりとか、弁護人がその事件の核心に迫る余裕というのか、時間が、総体的に足りなくなってしまうような気はします。
一方で、これは私の偏見かもしれませんが、裁判員裁判での量刑が、市民の人たちからすると自分たちと同類だと思うような事件は比較的軽くなり、自分たちとは違う世界の人だと思うと重くなる傾向があるように思います。前者の典型が介護殺人や軽い強盗傷害で、後者の典型が性犯罪だと思います。その意味で、従前言われていたように、被告人に裁判員裁判を選択させることは、あってしかるべきではないかという気はします。
10 刑事弁護のこれからの課題は?
——最後です。阿部さんにとって、刑事弁護のこれからの課題はどんなことでしょうか。
阿部 課題の一つは、弁護士全体の底上げになるでしょうか。つまり、弁護士層全体としての取組みといったことが進められないと、裁判所に対して対等にものを言っていくことに限界があります。例えば、仙台だと、裁判員裁判の事件で、起訴されてからそれほどたたない時期に初回打ち合わせをやります。そこで、裁判所が弁護側に対して「大まかな主張をしろ」と要求してくることがあります。それに対して、「いや、証拠開示も受けていないので、それはできません」と言うと、全部否認の前提で「長い期日の予約をしたい」と言ってくる裁判長がいます。
そういう場合に、それに屈しないで「それなら、入れてみろよ」と。そういう弁護士が5人ぐらいいたら、裁判所はパンクするので、やるわけはないと思います。そういうことに対して、弁護士層全体として取組みがきちんとできることが課題だと思います。
裁判所や検察庁は組織として態勢を組んでいるのに、弁護士会は、ある意味、個人事業者の集まりですから、表現は悪いですが「スト破り」みたいなことをやられたのでは、弁護士層の力が半減します。
——それは弁護士会としての取組みですが、阿部さん自身は、刑事弁護についてこういうことをやりたい、こういうことをしていきたいという希望はありますか。
阿部 刑事弁護は、「日々これ研鑽」だと思っています。事件数が少なくなってきたことと、私自身が司法改革の絡みで、「法テラスという役所は許容できない、あんなところとは契約しない」という態度なので、もう10年以上、国選弁護を受けていなくて、私選しかやっていません。そうすると、ただでさえ仙台では刑事事件が少ないという状態ですので、被疑者国選制度が始まって捜査段階から国選弁護人がつきますし、弁護士の人数も増えていますから、私選の刑事弁護をやる機会がゼロではないものの減ってきています。もちろん被疑者国選制度の実現はすばらしいことですが、反面私自身の実践の機会が大きく減少しており、そのことには危機感を覚えてはいます。弁護能力の維持も含めて日々研鑽で、がんばりたいと思っております。
——ありがとうございます。
(了)
(2019年05月28日公開)