3 弁護士をなぜ目指したか
——法学部に入って、最初から弁護士を目指したのでしょうか。
阿部 大学に入る時点で、弁護士を目指していました。当時、東京で将来暮らそうという気持ちはなかったのと、転勤が嫌だったので、できれば地元、私の田舎は福島ですが、そこで暮らしたいという思いが強かったのです。それで、自営業というか、専門職がいいと思っていました。私の実家は税理士事務所でしたが、税理士業務よりは弁護士業務のほうに興味があったので、法学部に進むことにしたんです。
——弁護士のどういうところに興味を持ったのですか。
阿部 これは刑事弁護という話ではなくて、高校生当時「サラ金地獄」という言葉をよく耳にしました。そうしたところ、利息制限法か何かを使って、悪徳貸金業者と闘うというような話を何かで読んで、そういう困っている人を助けたい、助ける仕事がいいなと思ったのがきっかけでした。多分、高校2年生ぐらいだったと思います。
4 印象に残った事件
——弁護士を20年されていて、阿部さんにとって特に印象に残った事件には、どういうものがありますか。
阿部 弁護士1年目の1999年秋、ある放火事件を担当することになったのですが、その事件がいろんな意味で印象に残っていますね。
——どんな事件だったのでしょうか。
阿部 経緯を言うと、最初はある弁護士さんが当番弁護士に行って、そのあと、うちの事務所の別の弁護士が捜査弁護を私選で受けたんです。被疑者本人は「自分がやった」と言っているわけです。あとで見ても、調書は全部自白調書です。自筆の上申書でも、7件放火したことを認めていました。
現住建造物放火未遂・器物損壊で起訴されていました。その先生が別の事件で忙しいので、同じ事務所で別の兄弁に変わりました。私の5期上なのですが、その兄弁から誘われて、その事件を担当しました。本人に会って話を聞いても、「いや、自分が火をつけたと思う」とか言ってるわけですが、何かおかしいと思っていました。
最初は、夢遊病か何かで責任能力の問題ではないかと考えましたが、第1回公判で、その調書を全部同意して進めるのは避けたほうがいいと思いました。その兄弁と相談して、第1回公判で、本人の認否としては「覚えていない」、弁護人の認否としては「争う」で、法336条2項で責任能力で主張する予定だと言い、第1回公判は終わったんです。
進行協議では「どういうふうに進行するんですか」と裁判所から詰め寄られて、「検討します」と返答したんですが、さあどうしようという状態だったんです。
——裁判所の進行指揮はだいぶ厳しいようでしたね。
これはわれわれだけでは手に負えんということで、遠藤事件を担当された阿部泰雄先生に相談しに行ったんです。「これ、どうやればいいでしょうね」という話をしたら、泰雄先生はその事件の目撃者調書を見るなり、「何だこれ、こんなことは経験則上あり得ない」とおっしゃるわけです。「これはもう、体験していない供述に違いない」と。言われてみると、確かにあり得ないような気がしてくるんです。
印象的なのは、車のタイヤに火をつけて燃やされたところを目撃したという人物の供述調書には、私の被告人らしき男が「タイヤにライターで火をつけたのを見ました」とあるのです。そして、「たまたま、そのときに飲んでいたウーロン茶の缶の中身を掛けて消しました」とか書いてあるわけです。缶入りウーロン茶の中身を、飲み口の形状からして、勢いよくものにかけることは不可能とおっしゃられました。
それから、被害者とされる男性が車と並んでいる写真のホイールと、タイヤについての実況見分調書的な捜査報告書の写真のホイールが違うのです。そこも言われてはじめて気がついたのですが、「ああ、なるほどな」と思いました。
——犯行日時にも問題があったようですね。
その犯行日時が、勾留状や起訴状に「4月下旬」と書いてあるんです。
被告人の調書では「火をつけたあと、彼女の所に遊びに行った」とか書いてあって、その彼女の日記と供述調書、そのほかの証拠を総合していくと、どうも犯行可能な日がないのではないかということになってきました。当時は期日間整理による証拠開示制度もないので、少しずついろいろな調査をしながら何回も現場に行ったりして、手探り状態でした。
目撃者も、もしかして警察に言わされているのではないのかという疑問があって、目撃者の前科を調べたら、目撃供述をしたあとに、シンナーの自己使用で略式命令を受けていることが判明しました。その目撃者に反対尋問で「目撃していたとき、何をしていたんですか」と聞いたら、「車のラジオでジャイアンツ戦のナイターを聞いてました」と言うわけです。そこで、さらに4月下旬で、ジャイアンツ戦のラジオ中継がある日を全部調べたら、どうも犯行可能日は存在しない、事件は架空のものだということになったんです。
また、この審理の中で、被疑者を取調べた警察官の尋問が行われました。弁護人が「赤い車が写っていましたね」と知らんぷりして尋問すると、その警察官は「いろいろな消防車も来ていました」と言うのです。でも、実況見分調書に映っているのは、単なる引っ越し業者の車なんです。裁判所はもう完全にあきれて聞いている様子でした。このように警察官の証言はほぼ崩壊したのですが、裁判所は捜査段階の自白に任意性を認め、自白調書を証拠として採用しました。
——犯行を認めている被告人の上申書については、どうしましたか。
被告人に、その上申書をどうして書いたかを聞くと、警察官から「上申書はなぞらされました」と言うわけです。
青年法律家協会が編集した『「平和と人権の時代」を拓く』(日本評論社、2004年)という本で書きましたが、その上申書をよく見ると、1文字残らず下書きの跡があって、全部写し取った跡がちゃんと残っているわけです。写真撮影して保全しましたが、そのあとにもう1回見たら、下書きはきれいに消してあった。結局、自白の信用性が否定されて、犯人性なしということで一審は無罪でした。しかし、裁判所は一言一句下書きされた上申書の任意性を否定しませんでした。一審判決が「事件が捏造された疑いを完全には否定しきれない」とまで書いたためか、控訴されましたが、控訴審の検察官立証は、捏造ではないという点に集中している印象でした。最終的には控訴審も無罪で確定しました。
それが登録して1年目の事件で、非常に印象的でした。特に「警察はこんなことまでするのか」ということで、驚きでした。
(2019年05月28日公開)