刑事弁護人としてのモチベーションの上げ方
——無罪判決を取れば、すごくやりがいもあるし、刑事弁護人としては、本当にやっていてよかったと感じますね。ただ、一方で、そういう事件ばかりではないと思うんですが、そういうときのご自分のモチベーションの上げ方には何かあるんですか。
遠山 極端な言い方をすると、モチベーションが下がることはあまりないんです。認めている事件でも、「この人って、人生いろいろあってこうなってんやな」という感じで見ていますから。人間観察って言ったら被疑者・被告人には失礼かもしれませんが、そういうところに関心が行ってしまうんです。そうすると、被疑者・被告人から罵詈雑言を吐かれても、あまり気分は良くないですけど、それで落ち込むということはありません。
——そうすると、刑事弁護が性に合っているという感じですか。
遠山 合っていますね。評価はみなさんにお任せしますが、私自身は天職だと思っています。自分で言うのも変ですけど、お坊さんみたいな感じなんです。やっぱり難しい事件もあって、無罪をとれないこともあります。「それは逃げや」と言われるかもしれませんが、「これは人生の一部や」とその人なりに受け止めていただき、次にまた歩き出してもらわないといかんと思います。これが刑事弁護の奥義とは決して言わないけども、そういうスタンスを持っています。
被疑者・被告人とのコミュニケーションの取り方
——被疑者・被告人は物分かりのいい人ばっかりではないと思うんですが、被疑者・被告人とのコミュニケーションは、どういうふうに取っているのでしょうか。
遠山 説明を尽くすということが基本です。「この人って、これを言うてほしいんやろうな」とか、「これは絶対言うてほしくないんやろな」というところに心を砕きます。被疑者・被告人が一番気にしていることは何かをつかむようにしています。そうすると、不思議なことに話が通じるようになってくるんです。極端な話、結果なんかどうでもいいというか、結果は分かっていて弁護人に会いに来てほしいだけとか、自分が家族に見捨てられないようにしてほしいとか、あるいは共犯者との関係でこうありたいとか、裁判手続とは別のところに本人の希望がある場合があります。それを外さないようにしています。
——そういうことにいつ頃気が付いたんですか。
遠山 先輩方と酒を飲んでいるとき、自慢話を何回も、しかも同じ話をする先輩がよくいますが、私は「へえ、あ、そうなんですか」ってずっと相手ができるんです。多分、それも小さいときから身についた特技です。
その生い立ちのような話ですが、祖父は校長先生になるような学校の先生で、保守派なんです。そういう祖父と父が家の中で共存しているんです。1989年だと思うんですけど、うちの父が「アパルトヘイト(否!)国際美術展」の責任者になって、活動をしている真っ最中の夕飯時のニュースでした。南アフリカで白人の警察官が黒人を警棒でしばいとる映像が流れたんです。祖父がそれを見て、「おお、やれ、やれ」と言ったんです。もう地獄でしょう。そこで空気が「バリーン」と張り詰めました。父が絶対にテーブルをひっくり返すと思ったんですが、すーっと出ていった。あとで、父から「大輔はどう思った?」と聞かれました。どう答えようか、必死に考えたのを覚えています。いろんな意味で空気を読まなきゃ平穏には生きていけなかったんです。
——子どものときからそういう訓練を受けていたということですね。人の言うことを聞くことは苦にならないんですか。それは、弁護士にとってうってつけな性格ですね。
遠山 それを刑事弁護の技術的に言うと簡単なことなんです。最初の接見時に時間を長めにとることです。おしゃべりする時間を長くすることです。被疑者・被告人には帰りたい素振りは1回も見せてはいけません。それだけで、その後の被疑者・被告人とのつながりが全然違います。接見時間が10分、20分だったら、被疑者・被告人は、この弁護士さんは自分の言うことを聞く気がないなと思いますからね。だから、私は最初の接見では、1時間以上絶対に時間を取るようにしています。もし例外的に時間が取れないときは、「ごめんなさい、今日は45分しか時間がないですけど、また何日後に来ますから」と言って始めます。話を聞いてあげると言うとおかしいですが、そこからでないと弁護方針も何も決まりませんし、そこが一番大事な点ですね。
——それは、弁護士の仕事にとって本当にいい性格ですね。それは子どものときの生活環境が影響したということですが、司法研修所ではそういうことは研修されないんですか。
遠山 それはないですね。テクニックとして接見の最初にちゃんと挨拶をしろだとか、「『今一番困っていることとか、気になっていることは何ですか』とか聞きなさい」という研修をやっています。私もそういうことは習いましたが、習ったことプラス自分の特性でうまくいってるんだろうと思います。
残念ながら、被疑者・被告人に対して構えて入ってしまう人が少なくありません。それは、自分は絶対犯罪をしないと思っているからではないでしょうか。私はそう思っていません。自分も間違ったらあっち側にいたというか、それは確信に近いものがあります。親が離婚していたらとか、あのとき親が死んでいたらとかと思うと、間違いなくあっち側にいったような気がします。だから、被疑者・被告人に会うことにあまり抵抗がないんです。
(2019年02月04日公開)