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第1回遠山大輔弁護士に聞く

刑事弁護が性に合っている

先人たちの知恵と努力の継承

京都の法律事務所にて。2018年12月3日


弁護士らしさとは

——そこで必然的に、弁護士志望になっていくわけでしょうか。

遠山 実際は成績も悪かったし、多分、裁判官や検察官に「なりたい」といってもなれませんから。性格からすると弁護士以外ないでしょうね。

——弁護士らしい性格というのは、どういうものですか。

遠山 やっぱり国と警察が嫌いっていう、信じないっていう気持ちがどこかに潜んでいたのでしょうね。それはもう間違いありません。

——学生時代は、弁護士ってどんなことをやっているのか、どんなイメージだったんですか。

遠山 正直いってイメージはあまり持っていませんでした。ただ、サークルの先輩が京都で弁護士をしていたので、その姿も見ていたので、その影響もあったと思います。刑事系の科目が得意だし、『季刊刑事弁護』は面白く読んでいましたので、刑事事件には強い関心がずっとありました。

——生まれは熊本の八代市ですが、近くで免田事件1)があって、熊本地裁八代支部で1984年に再審無罪判決が出ていますね。

遠山 1983年が再審無罪判決で、私が9歳でした。免田栄さんをめぐるまわりの雰囲気をなんとなく覚えています。地元の『熊本日日新聞』に「免田死刑囚、今日審判」とかなんとか書かれた記事があって、次の日に見たら、「免田さん、晴れて無罪」、42年間の人生は……と書いてありました。死刑囚の人が「さん付けになるっていうことはどういうことか、祖父と話したような記憶です。免田事件はすごく身近だった。免田さんの地元が無罪判決後も免田さんを受け入れないという雰囲気も、私はほぼ同じ場所に住んでいので、よくわかります。

——弁護士志望ということで、司法試験の勉強をして、卒業してから受かったんですか。

遠山 在学合格ですが、大学に8年いましたからね。八回生で司法試験に合格しました。その後、2002年に、京都弁護士会に登録しました。

——遠山さんが弁護士登録したころは、京都の弁護士の数は350人くらいで、2018年12月で800人を超えそうですね。人数が倍になっているのですが、仕事の面では影響はあるのでしょうか。

遠山 私自身はあまりないと思っているんですが、若い人はなかなか大変でしょうね。増える前から仕事をしていたので、そのときのお客さんからの紹介とかがありますから、事件が来るんです。ただ、最近登録した先生たちはそれまでの積み上げもないし、法律相談の割り当ても以前よりは少ないし、厳しいだろうと思うんです。間違いなくパイの取り合いの面はありますから。当番弁護士も昔は年7、8回割り当てがあったのに、今は4、5回になっています。

印象深い事件

——話は変わりますが、刑事事件の弁護を15年間続けていますが、その中で印象深い事件はありますか。

遠山 被告人が無罪になった後、別の事件で逮捕されたという経緯も含めて、舞鶴事件2)は印象深いですね。あとは、Winny事件3)です。ご本人はもう亡くなりましたが、ご本人との交流も含めて懐かしいですね。Winny弁護団ではものすごく勉強させてもらった。この事件をやっていなかったら、今の私は多分ないです。多分、舞鶴事件もやっていないですね。

——Winny事件では、どんなことを学ぶことができたんでしょうか。

遠山 弁護士登録3年目でした。捜査から公判まで全部です。大阪の秋田真志弁護士中心の弁護団で、刑事弁護をフルコースでやりました。そこで記録の読み方から、調査の仕方、書面の書き方まで全部見て学びました。Winny事件は逆転無罪判決で自分たちの活動が報われました。それで刑事弁護から抜けられなくなりました。

——無罪判決を取らないと、刑事弁護に対するモチベーションはあがらないでしょうか。

遠山 全然違うと思います。私は幸いに、この事件のに京都で1個無罪をとらせてもらっていたんです。3年目、7年目、10年目16年目という感じで無罪をとらせてもらっています。

——無罪を結構もらっていますね。「一生に一つあるかないか」と言われている無罪判決ですから。

遠山 今までの事件は、弁護団に参加させてもらって、ほかの先生方のお手伝いという感じでした。昨(2018)年の6月に詐欺事件で逆転無罪を取ったのは、やっと自分の力で取れたなっていう感じでした。舞鶴事件で、小坂井久先生の控訴趣意書を見せてもらっていなかったら、無罪は取れてなかったと思います。

注/用語解説   [ + ]

(2019年02月04日公開) 


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