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第23回

野村ダム緊急放流による水害訴訟をめぐるストーリー

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「両親は帰ってこない。それでも事実を知りたいと思った」

取材・文・構成/原口侑子(Yuko Haraguchi)

撮影/木村コウ(Kou Kimura)

編集/杜多真衣(Mai Toda)


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 山の端をつたう朝霧が一掃されて、よく晴れた春の日。私たちは四国の西部、愛媛県西予市にある野村町を訪れた。

 高台の愛宕山公園からは、野村の町を割って流れる肱(ひじ)川が見えた。雲一つない空が、川沿いに立ち並ぶ家々を照らし出す。

愛宕山公園から見下ろした野村の町

 流域に10万人が暮らす一級河川・肱川は、野村町の3キロメートル上流にある野村ダムでいったん窄(すぼ)まり、瀬戸内海へ向かって北上する。くねくねと蛇行する様子を見ながら「日本の国土には、1万4,000余の一級河川が、血管のように張り巡らされている」のだと思い起こす。

 「あの日から、3年が経ちました」

 これは、豪雨の際、ダムからの放流によって家族を亡くした肱川流域の住民の話である。そして、すべての「川とともに生きる」人たちの話でもある。

水害後、放置された建物の中

ダムに溜まった雨を一気に放流した野村水害

 『……北日本に停滞していた前線や台風7号の影響により、日本付近に暖かく非常に湿った空気が供給され続け、西日本を中心に全国的に広い範囲で記録的な大雨となった』

 気象庁はこの大雨を「西日本豪雨」と名付けた。

 2018年7月7日の早朝、西日本豪雨を受け、愛媛県西予市にある野村ダムの管理事務所はダム内に溜まった水を事前の周知なしに「緊急放流」した。「緊急放流」(異常洪水時防災操作)とは、ダムの水位が上がりきった後、流入量をそのまま放流することだ。

 この緊急放流によって、野村ダムの下流に位置する西予市野村町には最大で毎秒1,750立方メートルの水——その量は、25メートルプール(500トン)を一瞬で満たす——が流れ込んだ。

2018年7月7日の水害時に撮影された光景

 この水はすぐに流れ込んで、人口1万人に満たない野村の町に、死者5名と約650棟の浸水被害を引き起こした。

 「ダム管理事務所が急激な緊急放流を実施したこと、住民への伝達が遅れたことによって、被害が出た」

 被災した住民や死亡した住民の遺族が、損害賠償を求めて、野村ダムの管理事務所を管轄下に置く国(国土交通省・四国地方整備局)と西予市を訴えている。

 「こうした緊急放流が行われたのは、中小規模洪水対応のダムの操作規則が硬直的に運用されて、大規模洪水に対応しようとしなかったため。私たちはダム管理事務所が流域住民の生命と財産を第一に考えて管理してこなかったという問題を問いたい」

 肱川の東岸に住んでいた入江須美さんは夫の善彦さんを亡くし、その数軒並びに住む小玉恵二さんは義母のユリ子さんを亡くした。

 西岸に住んでいた大森さん夫妻は、町の外に住む長女ら家族と会えないまま、亡くなった。

原告である故・大森さん夫妻の長女(左)、小玉さん(右)

知っていれば義母を迎えに行っていたのに

 「あの朝は、前夜から雨が降り続いていた。でも家の前に流れる川を見ても、水位は上がっていなかった」

 そう振り返るのは、川沿いに25年間住む小玉さんだ。

 「以前の大雨の時には水は段階的に上がってきたので、浸水した場合に備えて、朝6時ごろから、自宅の1階にある店舗の畳を移動させ始めました」小玉さんは畳屋を営む。

 「まだ浸水まで時間があると思っていたので、私の妻は、我が家から川下へ200メートルの場所にある義母の家に寄って、『後で迎えに来るからじっとしているように』と伝えました」

 「それから二人で6時半ごろまで畳の積み上げ作業をしました。今思えば、その間に、義母を助けに行けばよかった。その間に、避難していればよかった」

 「でも、そのときには緊急放流のニュースも届いていませんでした。あんなに一気に水が来るとは思っていなかったから、避難の時間もあると思っていた。義母の家は徒歩2、3分の場所。あと5分でも早く分かっていれば、助けに行くことができたのに」

 小玉さん夫妻が作業を終えて外を見たとき、堤防の土手に水が越えてきた。驚いた二人は軽トラで逃げようとしたが、上流からも下流からも水がおしよせて、車はたちまち動かなくなった。

 同じころ。入江須美さんは、夫の善彦さんを家に残し、朝6時ごろ職場に向かったが、土砂崩れに遭遇して引き返してくる途中だった。

 「雨がすごいので、近くの小学校の駐車場に車を停めた。6時40分すぎまで断続的に夫と電話していましたが、『避難、避難』という夫の声を最後に、電話が通じなくなった」

 「それから2時間くらい、何が起こっているのか分からなかった。とにかくひどい雨なので、私は駐車場に停めた車の中で待っていました。町が水びたしになっていて、それはダムの放流によるものだと知ったのは、水が引いてきて地元の人に様子を聞いたときでした」

水害時、屋根に登って避難する人々

 逃げ遅れた人々の最期

 濁流の中で小玉さん夫妻は車を捨てて、必死の思いで民家の屋根の上にのぼった。

 「民家に逃げ込んだ後、義母に電話したが、すぐに途絶えた。それが最後でした。私たちはご近所さんと一緒に、雨に打たれて震えながら、水が引くのを待ちました。水は屋根のすぐ下まで来ていた」

 小玉恵二さんの義母のユリ子さんは、平屋の自宅で亡くなっていた。

 「車で逃げる途中、入江須美さんの夫の善彦さんを見かけました。彼も避難しようとしたのでしょう、車の横に立っていました。その後、数台の車が流されていくのが見えました」

 入江善彦さんは、乗り込んだ車の中から脱出できなくなって、亡くなった。

 同じころに、西岸に住む故・大森さん夫妻も、自宅の一階で避難の準備をしていた。その間に緊急放流が始まった。緊急放流は、一気に放流することから水の勢いが強く、水のまわりが速くなる。家や車は20センチメートル程度でも浸かると、水圧でドアや窓が開けられなくなる。「最大毎秒1,750立方メートル(水に重量換算すれば1,750トン相当)」の放流水の直撃を受ければ、20センチメートルなど一瞬で埋まる。

 町に流れ込んだ水は地面から7メートルまでの高さに達したという。20センチメートルの浸水など一瞬だ。急に濁流に包囲されて逃げられなくなり、水が窓を破るのを待つ恐怖はどれほどのものだっただろうか。

 「亡骸の傍らには避難用と思われる服の詰まったバッグがあった。二人は逃げる準備をしていたんです。放流の時間を知らされていなかったから、切羽詰まってなかったのだと思います」故・大森さん夫妻の長女は言う。

 「避難の準備をしているときに、不意打ちで水が来たのでしょうね。考える暇もなく、一瞬で水に溺れて、亡くなった。考えるとぞっとします」

 ダム管理事務所は住民への周知をしなかった。のみならず、関係機関である西予市に対しても、緊急放流を6時50分であると伝えていた。実際の緊急放流は6時20分に行われた。これは住民にも、関係機関にも不意打ちだった。

水害後放置された三島町集会所

(2022年06月10日) CALL4より転載

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