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第21回

声をあげた田中先生と訴訟をめぐるストーリー

「次の世代へ向け教育現場の働き方を変えなければいけない」


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時代の変化「学校に求められることが増えてきた」

 「仕事は、どんどん増えています」と田中先生。

 「38年間働いてきて思うのは、時代が下るにつれて業務量は増えてきているということ。地域や保護者が学校に求めることが、多くなってきた」

 たとえば小学校近くで交通事故が起こると、「朝の登校指導」を教員は月1回担当する「ことになる」。たとえば新型コロナウイルス対応で教室の消毒が必要となると、IT化の流れで校務支援のソフトを導入することとなると、現場の教員は必要となった業務に応じて、各自担当する「こととなる」。教員たちが業務に費やす時間が増えるが、調整はない。7時間45分の勤務時間は、既存業務で埋まっているからだ。

 「こうした業務は、提案があれば職員会議にかけられて、現場教員の仕事になります。職員会議は、時代の流れの中で、多数決ではなく、校長が決めるものになりました。つまり、いったん職員会議を通ると、その業務はなし崩し的に『私たち現場の教員がやる業務』になるんです。現場教員の私たちに、『自主的・自発的』な取捨選択はできない」

 「教員の数も、時間も、有限です。にもかかわらず、労務管理をするべき校長が、取捨選択をできていない。校長先生も保護者や地域からのリクエストとの間で板挟みになっているとは思いますが、内部から削れるのは校長しかいない。

 私たち教員は、事実上決まったことを、やるしかない……」田中先生は悲痛な叫びをあげる。「私たち教員は、労働者としての権利を無視されているのと等しい」

 「さらに問題なのが、これから教員になる次世代への影響です」

 教員を目指す学生の数は年々減っているという。教員採用試験の倍率は下がり、学生たちも働き方の実態を見て尻込みする。人材不足は深刻だ。

「教育の研究に費やす時間がない」という状況を変えたい

 朝業務や、学級・学校経営、その他の報告書作成などの事務に要する時間は、毎日1時間半を超える。一般事務に要する時間が多いことによって、授業準備や生徒指導などの、「担当教員以外では代替できない業務」の時間は圧迫される。

 そうすると、こうした「代替困難な業務」から教員たちが学び、よりきめ細かな教育のあり方を探求する時間は残されているだろうか。

 「教育というのはとても個別的で、専門的な業務だと思うんです」というのは、教育学を研究する大学院生の佐野良介さんだ。

 田中先生の訴訟提起からしばらくして、訴訟をサポートし、署名や広報の活動を通じて超勤問題の議論を広める「支援事務局」ができた。佐野さんもまた、「この問題は他人ごとではない」と口をそろえる支援事務局のひとりだ。

 「教員って、本来『専門家』のはず。目の前の一人一人の子どもに対して、どうあるべきか、最善の答えを探していく、医師に近い職業のはずです」

 「なのに今は、専門家が専門を深める時間を持てずに、日々の事務作業に追われている。一般的な事務を終えるだけで勤務時間が12時間だと、探求の時間を作ることもできない」

 佐野さんはこれから、『どのように現場の個々の子ども視点できめ細かい教育ができるか』というテーマで研究を進めるという。

 「子供たちがどう学んだかは教育現場によってそれぞれ違う。それを個別の事実から読み取り、教員相互で共有できるようにしたい。でもそのためには、教員が個別の事実から学ぶための研究の時間が確保されていないといけない」

 「この裁判によって、教員の労働環境が整って、よりよい教育を議論する時間が教員に確保されるようになってほしいと思うんです」

教育学を研究する大学院生の佐野良介さん

 働き方改革をすべての業界に

 「私はずっと疑問だったんです」というのは、経済学部に通いながら教職課程を履修する大木さくらさん。大木さんもまた、田中先生の訴訟支援事務局のメンバーだ。

 「例えば銀行は、窓口が15時に閉まるけれど誰も文句を言わないですよね。でも、教員の先生たちは保護者対応を、18時を過ぎてもやっている。やらないと文句を言われたりもする」

 「この数十年で女性が社会進出して、以前のようにお母さんたちが日中に学校に来ることができなくなったこととも関係あるのではないかと思います。でもその時代の変化の中で、学校は、夜遅くまで残業するという方向になってしまっている。銀行のように定時で終わりにせずに」

 「私は今、『女性の社会進出と教員の働き方改革』について論文を書こうとしています。これから働き始める自分自身の問題でもあるからです」

 公立教員の中にも女性教員は多い。小学校だと半数を超える。

 「教員と児童・生徒の保護者は、働く時間が同じです。どちらか一方の働き方を見直すだけでは足りないのかもしれない」大木さんは続ける。

 「最近では、保護者対応も、意見交換のためにLINEやメールを使うなど、テクノロジーを使ってやっている学校もあります。そういうところから変わっていくのかもしれないとも思います」

 デジタル化を教育業界にも及ぼさない理由などないはずだ。そう思いながら大木さんの話を聞いているうちに、法廷が開いた。

教職課程を履修する大木さくらさん

教育業界のあり方を議論する前提で

 法廷には、田中先生の勤めていた小学校の歴代校長先生が、証人として、二人出廷した。裁判官は校長に、「業務を整理する努力はしましたか」と聞いた。

 校長たちはこの質問に答えられなかった。

 現状の「働かせ放題」の構造では、労務管理者である校長たちには業務整理の努力をするインセンティブがない。そしてたとえ校長が「努力した」と言ったとしても、「努力をしてもどうにもできない量の一般的事務」が現場に残る。

 この事務作業に追加の人的リソースを確保するためには、その財源を確保するための提案をボトムアップで、しなければならない。これは現場にとっては、とても重いプロセスだ。

 「内部からは変えられない、仕組みを変えるしかない」「裁判をするしかない」——そう言った田中先生の言葉がよみがえった。

 専門家である教員が専門を深めるためには何が必要か。

 積み上がった一般的事務はどこまでが子どもたちのために必要か。誰が何の業務をどう処理するべきか。一般的事務を担う人材もまた、入れるべきではないのか。

 活用するべき人材は地域コミュニティの中に数多くいるのではないか。児童が学校で出会う大人が、専門家の教員だけでなく、バックオフィスの事務局の人たちがいるのはプラスなのではないか。それが、様々な職種の「大人たち」に対するリスペクトにつながるのではないか。

 子どもたちにとっての「社会」である学校で、子どもたちがよりよく生きるために、本当に必要なものは何なのか。私たち大人が子どもたちに伝えるべき「人間らしさ」とは、何なのか。

 「よりよい教育」を目指して、現場からも議論すべきことはたくさんある。そしてこれから38年を働く佐野さん・大木さんが言うように、その議論の前提となるのは、「教員の労働環境が整うこと」「労働者としての権利が認められること」だ。

訴訟提起から2年半を経て

 「毎朝、登校してきた児童たちと、廊下や階段で会う。そのときに児童たちと話して様子を聞くのが、私が1日で一番好きな時間です」田中先生は法廷の中で、裁判官席を見てゆっくりと話す。

 「今までは、長時間勤務で大変ということはありましたけど、やっぱり教員という仕事は楽しかった。でもそれは、権利とか、待遇の理不尽さに対して、今までの私が無知だったからです」

 「今、訴訟を始めて、おかしいことが見えるようになってきた。見えてしまったら、おかしいと言わないといけない。それはけっこう、苦しいことでした」

 訴訟提起から2年半が経つ。さいたま地裁の法廷前には、一般傍聴人がずらっと列を作っていた。満席になって入れない人もいた。

 報告会にも多くの人々が訪れた。オンライン中継を視聴する人たちがいれば、京都から駆け付けた学生たちもいた。多くの「働く人たち」「これから働く人たち」が、裁判の行方をかたずをのんで見守っている。

 「私は、たった一人でこの訴訟を始めました」、田中先生は言う。「自分たちの世代から次の世代へ向けた最後のお務めだと思っていたから、最初は、支援も要らないと思っていました」

 「でも今、若い世代が関心を持ってくれていて、私の中でも気持ちの変化も出てきた。私は、自分の自己満足であれ、次世代に引き継ぎたくないという気持ちで始めたから、まさにその次世代の若者たちに響いたということは本当に嬉しいことです」

 2年半にわたる裁判も、次の5月の裁判期日で弁論終結、あとは判決を待つのみとなる。

 「あと少し、私は自分のできることをやるだけです」田中先生は言う。

 この裁判が、これからの教員の働き方を、労働者の権利のあり方を左右する。

(2022年05月13日) CALL4より転載

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