労働としての普遍性
「仕事って、いやになるときも、やったーってなるときもあるじゃないですか」自身もキャストとして働いた経験がある支援団体SWASHのげいまきまきさんが言う。
「それって、どの職業でもそうなんじゃないかなって思う」
私たちは、自分が経験したことのない業界の仕事を、いったいどれほど知っているのだろう。ステレオタイプというものはきっとどの職業にもある。仕事をして実際に感じることや悩みは、自分の仕事以外は直接は経験できない。だからすぐにイメージで語られる。
性風俗業界に対するステレオタイプやイメージは、中でも大きい。それは、「性」がそれぞれの道徳観と密接に結びついていて、「性を扱うこと」「性を仕事として扱うこと」の感覚が人によってかなり異なるからだ。
「セックスワークは、お客さんからの人気がお金にも反映される仕事。サービスの内容にも、各々のワーカーの体力面や、性についての線引き・価値観といった、いろいろな要素が合わさって組み立てられていく。ワーカーごとの違いが反映された仕事だと思う」と、げいまきまきさんは語る。
弁護団は原告や支援団体にたくさんの質問をしていた。調べてから来るという前提はあるが、たくさん知ること、知ろうと思うことは大事だと思った。そしてそこでは、お互いの仕事をリスペクトを持って話すことがなにより重要だった。
「あの、『家庭での性的な行為は良くて、サービスとしての性的な行為はダメ』という価値観は、なぜあるのでしょうか?」インターンの学生が聞いていた。「同じ人が家でご飯を作るのと飲食店のスタッフとしてご飯を作るのは両立しますよね? 性に関わる仕事だとNGという感覚があるのはなぜなのでしょうか?」
「それはやっぱり、『性的な行為は固定的な関係性の中で行われるべき』という『慣習的な価値観』が根強いからだと思います」げいまきまきさんが答えた。
「愛情や親愛についても、男女や家庭、一対一の安定的な関係性を築くことへの価値観が『好ましい』とされるし、それがまるで『正しい』価値観のように扱われている。そうした視点からは、性的な行為をサービスとしてやり取りすることは不安な驚きになるのかもしれません。
でも、そうした驚きの感情と、セックスワークを仕事として考え、安全な働き方を考えることは、別だし、別に考えてほしいなと思います」
道徳と「社会通念」
道徳観は作られる。どこまでが当たり前で、どこから不道徳か、なんて、本当のところは明確には分からない。
その時代時代に応じて、「正しいということが確からしいこと」が何かしら、流動的ながら、存在している。それを疑う人もいるし、疑わない人もいる。
でも、いま自分が身にまとっているその「道徳観」が知らず知らずのうちに、誰かを傷つけているという可能性——ひとつの既に存在する業界を「知らないもの」として自らの世界と別の場所に置き、「ちゃんとした仕事じゃないから」支援の枠外でも良いとしているという可能性——については、どうだろうか。
「道徳観と法律って、別の問題だと思っていたんですよね」原告が、提訴を決意したときのことを振り返る。
「でも、別の裁判の話なんですけど、この6月に名古屋の裁判で、『同性パートナーは事実婚と認められない』『だから犯罪被害者給付金を受け取れない』という判決が出ましたよね。あの判決の中で、同性カップルが事実婚にあたるか否かは『社会通念によって判断される』という言葉が使われていたのを見て」
「裁判の判決って、法律とか、もっとかたいもので判断されると思っていたのですが、そのときに、『社会通念』というものも判断に関係あるのかって、改めて不思議に思いました。社会通念とは何だろうかとも思いました。社会通念は道徳観から作られることもあるだろうし、その関係性も気になりました」
「社会通念が何なのか、私にはまだハッキリ分かりません。でも、この訴訟を通じてセックスワークとほかの仕事との『差別的取り扱い』が憲法違反と認められることで、『性を扱う仕事』も『社会通念』上、正面から『仕事』と認められるかもしれない。そうしたら、『仕事として』そこで働くキャストの安全にも目がいくようになるんじゃないかと思うんです」と原告。
「訴訟が、セックスワークやそれに関連する法律とは何かって考えるきっかけのひとつになれるかもしれない」
「性はこうあるべき」を裁判所はどう扱うか
「訴訟を通じて、今回明らかになった問題を広く知ってほしいと思っている。でもそれに、怖さもある。反対意見もあるのは分かっている。性風俗そのものに批判的な人もいるし、給付金なんて受けるべきじゃないという人もいるでしょう」
「それに、同業者には、給付金の問題で声を上げるより、自分の店の売上を確保したほうがいいのではとも言われて、それは確かにと思いました。潰れたら元も子もないですから」
「でも、それでも訴訟をやろうと思った、業界全体の話として問題提起することにした。それは、コロナの影響が大きいです。コロナがやってきてから、世の中のいろいろなことが明らかになってきて、自分自身のことや自分のいる業界のことも見えてきた。世の中を変えていこうという声が様々な業界で出てきているのを見て、この動きは私たちの職業でも当てはまるかもな、と思った」
「だから、今コロナで社会が動いているときにこそ、問題提起をしたいと思ったんです。業界全体のことになる責任は感じています」
原告はきっぱりと言う。ここに至るまでに原告自身の中でもたくさんの葛藤があり、不安があり、それでも立ち上がって、今も考え続けている原告が、まぶしく見える。
この訴訟では「国の不給付が差別にあたるか」が争われるが、同時に、性風俗業界の中での「職業選択の自由・職業活動の自由」を国がどう考えるかも問われている。
「性を扱う仕事って、いろいろな側面があると思っています」と原告は言う。
「それに、性に対する価値観や、性を扱う仕事に対する考え方って、人によってほんとに違う。違うから寛容になった方がいいだろうと思いますし、『こうあるべき』となると差別につながるんだと思います」
「では、『こうあるべき』という道徳観を、裁判所はどう扱うのだろうか。それを、訴訟を通じてこれから注視して行きたいと思います」
(2022年01月07日) CALL4より転載