call4 stories

第17回

羽田空港新ルート設定取り消し訴訟をめぐるストーリー

都心の真上をゆく飛行機


12

政策目的と地域の暮らしは両立できるのに

 今回、羽田新ルートをめぐる訴訟が今までの航空訴訟と少し違うのは、増便をしても新ルートを使わなくとも、「増便の利益」と「地域の暮らし」が両立できる可能性があることだと黒田さんは言う。

 「私たちは、増便という政策目的自体は否定していません」と黒田さんは言う。

 「私たちが主張しているのは、増便には新ルートを設定する以外にもいろいろな方法がありえるということ。それなのに唯一の方法でもない『新ルート設定』というやり方を強行することに異議申し立てをした、それだけです」

 飛行機の便数は羽田滑走路の改造でも増やすことができるという学術論文があり、航空管制の見直しや他空港での吸収などといった代替手段も存在するという。

 「両立できる可能性があるのに、両立をあきらめたまま、『地域の暮らし』が無視されているのが問題です」

 「それに、都心の上を飛ばすことで増える便は、実は1.1万便だけなんです。これは、現在の離発着回数44.7万回に対して2.5%にも満たない。その2.5%のためだけに政府は危険な新ルートを開いた。本当にそんな必要があったのか?」

 「増便はしてもかまわないんです。でも、2.5%の増便という政策目的のごく一部を達成するために、リスクの多い新ルートで飛ばしている。これはあまりにコストパフォーマンスの悪いやり方です」

「同じ空のもと」に住む人たちが集まった

 須永さんと黒田さんは渋谷区に住み、訴訟提起の前から新ルート設定の見直しを求める「渋谷の空を守る会」で活動を続けてきた。

 「初めは区議会議員のビラで、新ルートが開始されるという話を知った」という須永さんは、「大田区の方と一緒に反対活動を始めるうちに渋谷区の人も加わりました」

 「渋谷区の空を守る会」は新ルート見直しを政治に働きかけていたものの、2019年5月の統一地方選挙では、見直しについて芳しい結果が出なかった。

 そのときに須永さんが「黒ちゃん、こうなったら裁判やるしかないよね」と、黒田さんに声をかけたという。

 「政治に訴えてもうまくいかないから、裁判で争うしかないと思いました」黒田さんが当時を振り返る。

 「それが原告団形成の始まり。最初はまわりも、『国と訴訟? なかなか勝てないんじゃない?』とか『お金はどうなの?』などと、反応が良くなかった。

 でもそれに対して、自分たちはこう進めていきたいという説明を、2019年の9月10月ごろから行っていき、今は多くの人が集まってくれました」

「分断はさせない」

 住民の中で反対派と賛成派の間の争いが起こっていないというのもまた、この訴訟の特徴のひとつだ。須永さんは「住民の間で分断が起こらないよう、地方行政を補助する町会長たちに対して説得を始めたんです」と振り返る。

 「今年の1月のこと。渋谷区で町会長105人の集会があった。その会では新飛行ルートの議題は『仕方ないね』で終わったようでしたが、町会長の一人に意見を聞いたところ、『一人ひとり聞いたら反対の人もけっこういると思うよ』という。それじゃあ一人ひとり聞いてみようか、となった」

 須永さんは町会長たちを説得し、「都心低空飛行の中止を国に求める要望書」に対して町会長署名を集めようと決意した。

「渋谷区じゅうを、自転車を漕いで一軒一軒回りました」

  須永さんは当時のことを話す。

 「目の前でドアをピシャッとやられたこともあるし、話を聞いてくれない人もいた。聞いてくれても、趣旨には賛成だが名前を出したくないという人もいた。会えなかった人もいるし、やっぱり大変でした」

 奮闘の末に、町会長全105人のうち、過半数の53人が署名に応じた。

 「地方行政を補助する立場の町会長の中にも、行政の決定との間で板挟みになって葛藤している人、増便という政策目的に対して新ルートは正しい手段だと言い切れない人はいたんです」と須永さん。

 「私たちは、行政の関係者だからといって彼らを敵にしてしまうのではなく、彼らの話も聞き、説得するやり方で行きたいと思った」

これはみんなの話

 「これは、一部のルート直下の人だけの問題ではないんですよね。騒音は分かりやすいけど、ほかにも、たとえば都庁のある新宿副都心に突っ込んだらどうか? 実害を今受けていないから分からなくても、影響のある人は多いんです」

 「墜落事故は、海から着陸して海の上に出る時代にも起こっていた。では事故がもし人口密集地に起こったらどうなるか。それに対する恐怖感が強い人とそうでない人がいるのは確かですが、実は多くの人にとって、自分ごとになる話なんです」

 「原告団にも、サポーターとしても、たくさんの人が手を挙げてくれています」と、黒田さんは言う。

 「原告団は、様々な地域に住む人が立場やイデオロギーを超えて集まって、同じ空の下でルートの見直しを求めています」

 「サポーターの皆さんも、いろいろな形で参加してくれています。航空業界の経験がある人はアドバイザーとして支援してくれているし、街頭での活動で協力してくれている人もいる」

 「資金面での援助をしてくれる人もいるし、今後、裁判に傍聴に来ると言っている人たちもいる。引退世代だけでなく、さまざまな年齢層を巻き込んでやっています」

訴訟を通じて

 須永さん・黒田さんと支援者たちの街頭活動を、取材チームが撮影してきた。写真には、長い梅雨が明けた後、暑い夏の恵比寿駅前で声を上げる原告団と支援者の様子が写っていた。

 「町はすでに騒音によって変わってしまった。やっぱり許せないという気持ちが大きい」須永さんは言う。

 「私は50年間、恵比寿に住んでいて、今の町が気に入っています。人生があと10年か20年か分からないけど、『今までの環境を自分の子どもや孫に残してあげたい』って思うんです」

 「もう現に飛び始めてしまった中で、行政処分取り消しの権限を持つ裁判官に対して直接訴えかけたいと思っている」と黒田さんは言う。

 「政治の側もこのテーマについて、国土交通省を抑制する役割があるはずなのにそれができていない。だから裁判をするしかない。政治と違って訴訟の場では、裁判官が審判役として判断します」

 「日本はアメリカなどと異なり、今まで一般の人が訴訟でアクションを起こすという文化が薄かったけど、今回の件では裁判という場をきちんと使っていきたいと思います」

 今までだって、国が「大きな」目的を達成するために我慢してきた人たちがいた。それに対して声を上げて、その声が届いた人たちもいたし、届かなかった人たちも、声を上げることすらできなかった人たちもいた。

 でも、今まで「我慢」があったことが、今我慢を強いられている人たちの我慢を正当化することにはならないし、国の側もこれまでつぶされてきた多くの声から学ぶ必要があるのは確かだ。

 「大きな」目的にだけとらわれて、地図を地図としてだけ見て、線を引く。「ルート下に住む人々」を解像度を上げて見ない。

 こうしたやり方が常態化すると、「ほかの手段もある中で不合理にルートを設定する」といった今回のような運用が起こる。

 この訴訟は、「それで良いのか」と問いかける訴訟だ。

 もっと解像度を上げるべきなのではないかという問題提起だ。

 見上げる飛行機が近くなってしまった住民たちからの、「空の上からも人間を確認してくれ」という要求だ。

(2021年12月17日) CALL4より転載

12

こちらの記事もおすすめ