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第13回

クルド人のデニズさんと入管施設の収容をめぐるストーリー(前編)

アイキャッチ

外国人たちの絶望、死と隣り合わせの現実

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)

編集/杜多真衣(Mai Toda)


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 「奥さんが泣いてた。私もこのビデオを見るまで知らなかった、と言って。こんなひどいことがあったなんてと言って」

 デニズさんはアクリル板越しにいう。

 「このビデオが出たときに、施設の中にいる人で『私もこういう扱いをされた、裁判をやりたい』という人たちが何人も声をかけてくれた。それは勇気になってる」

 入国管理センター職員の複数人が「痛い、痛い」と言うデニズさんを羽交い絞めにして喉をしめつけたり 、腕を締め上げたりする動画が昨年末インターネット上に公開されたことで、密室だった入管の状況が今までより少し知られるようになった。

 クルド人の難民申請者であるそのデニズさんは今、入国管理センターで職員から暴行を受けたことなどに対して国家賠償を求める訴訟を起こしている。

牛久入国管理センターへ

 都心から2時間余り、電車とバスを乗り継いで、鎌倉街道のバス停を降りるときに、盛り土を巻き上げる風がチリッと音を立てた。

 都心より肌寒く感じるのは、ここが牛久大仏にほど近い田舎道であるからというだけでなくて、その牧歌的な路傍に「牛久入国管理センター」と書いた道標がまるで標本ピンのように掲示されていたからだった。

 街道を背にしばらく林と平地に挟まれた道をゆく。

 10分歩いた。私の少し前に、長いオーバーコートを着た女性がひとり歩いている。ほかには人も車も通らなかった。途中その女性は、「牛久法務総合庁舎」と書かれた三角屋根の建物に入っていった。

 Googlemap上「牛久入国管理センター」はまだ先にあったが、その建物で足を止めると張り紙が目に入った。

 「敷地内の撮影を禁ずる」的な文言が書かれてあり、そこがつまり入国管理センターらしかった。冬の枯草の中で、ドーンと無機質に広がる建物の、硬質な照り返しが青い空に映え、この敷地はどのくらい広いのだろうと私は想像した。

 「奥さんと会えるのは1か月に1回だけ、30分だけ。この施設の中には、それで愛をなくしてしまう人もいる。離婚したり、子供と会えなくなったり。私の奥さんは待ってくれてる、でもそれも苦しい」

 アクリル板のむこうでデニズさんがいう。道中、私の前を歩いていた女性も、その冬の日に私と同じようにバスを乗り継いで、誰かの面会にやってきた人なのだと、そのときに思い当たった。

 6つ並んだ面会室のそこここから、ガタガタと人の気配がするのが急に聞こえた。

白く無機質な建物が広がる牛久入国管理センター

収容の実態と暴力

 難民申請中の外国人や、オーバーステイなど非正規滞在の外国人を収容する入国者収容所入国管理センターは、全国に2か所ある。そのうちのひとつがここ「牛久入国管理センター」。

 世界的にも問題になっている日本の制度は、入管法違反の容疑があれば、外国人を無期限で収容できるということ。(刑事事件だと容疑があるだけでは拘束できないし、有罪判決を受けても刑期があるのと比べると、「全件収容」「無期限収容」には首をかしげたくなる)

 CALL4で外国人の入管収容にかかわる訴訟の取材をするのは2回目だった。1件目は、難民申請中のカメルーン人が入管施設内で病気を発症し、8時間放置されて死亡したという事件だった。そのときに担当の児玉晃一弁護士は「収容施設は刑務所よりひどい環境」と話した。

 デニズさんは、品川にある東京入国管理局への収容を経て、2017年から牛久の入国管理センターに収容されていた。入国管理センターでの暮らしは4年に上る。

 2019年のはじめデニズさんは、長く終わりの見えない収容のストレスに耐えかね、センター職員に向精神薬を要請したが薬は交付されなかった。

 そこでデニズさんが抗議したところ、複数の職員が部屋に入り(デニズさんによると10〜15人、センターによると5人)、デニズさんの手首をひねってこめかみや顎を突き上げた。さらにデニズさんは独居房に収容されて、後ろ手で手錠がかけられた両腕を締め上げられ、その後5日間の隔離処分を言い渡されたという。

 (センター作成の報告書でもデニズさんを「うつぶせに制圧した」旨、「手錠を両手後ろ手に施した」旨は記されており、訴訟の中でセンター側も、デニズさんの顎を押さえたことは認めている。)

 その後、デニズさんは不服を申し立て、センター側も申立てには理由ありと判定したが、具体的な救済措置は取られなかった。

入管施設の被収容者数と2007年以降の死亡事例。3年以上の長期収容者も

「餓死」という衝撃

 収容されている外国人の中には、劣悪な住環境や、先の見えない収容に絶望し、自殺を選んだ者もいる。もう1か所の入国管理センターである長崎の「大村入国管理センター」では2019年6月、ハンガーストライキをした外国人が餓死した。

 面会室の中でデニズさんを待つあいだ、喉が渇いて仕方なかった。アクリル板を隔てて2人ずつしか座れない小部屋に、乾燥した暖房の空気がよどみ、蛍光灯の真っ白な光を不夜城の夜に感じて息が苦しい。

 閉じられた特殊な場所に緊張しているのかもしれない。でもこの「閉じられた特殊な場所」のさらに奥に、デニズさんたちが暮らす居住空間がある。

 職員に話してロッカー室に戻り、お茶を口にふくむといつも以上に甘く感じた。私はハンストのことを考えていた。

 デニズさんも3度、ハンストをした。体重は13キロ減り、デニズさんは衰弱した身体で仮放免されたが、2週間経つとまた収容された。それをもう一度。今またデニズさんは収容されている。

 大村での餓死事件をきっかけにハンストが広まり、衰弱した被収容者に仮放免が出るケースもあったことから、ある時点では200人近くの収容者が仮放免を求めてハンストをしていたという話もある。

 身体を壊すこととひきかえにしか抗議ができない状況はどういう状況なのだろうと、なかなか想像ができない。

懲罰房にいるときの様子

(2021年09月24日) CALL4より転載

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