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第12回

同性婚訴訟と坂田麻智さん、テレサ・スティーガーさんのストーリー

自分のアイデンティティに自信を持って、愛する人と生きていく


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今でも不安がある

 「去年やっと永住権がとれたのですが、それまではずっと就労ビザで日本に住んでいました」というのはスティーガーさん。

 「ずっと不安でした。私たちはアメリカで法的に結婚しているのに、日本では配偶者ビザをもらえない。働けなくなったらすぐに追い出されてしまうし、就労ビザが出ても、次の更新で何年分もらえるかもわからない。不安定な状況が長くつづきました」

 男女であれば、結婚すれば配偶者ビザをもらえる。永住権も3年経れば申請できるという。

 「不安はそれだけじゃない。私は麻智の法定相続人ではないので、もし麻智が亡くなったら、一緒に購入したこの家は自動的に相続できない」

 「結婚って、愛し合う二人の関係を、分かりやすく証明するものなのに。そんな証明がない状態が私たちです」

 「私たちも男女のカップルと同じで、不安を少しでもなくして、ふたりで長く仲良く住んでいきたいんです」と、坂田さんが続ける。

 「若いころは愛する人と一緒にいられたらそれでいいと思っていたけれど、歳をとるとだんだん社会の仕組みも分かってくる。男女だったら事実婚でも多くのことが保障されている」

 「でも私たちは同性カップルというだけで、遺言をしておかなければ財産も相続できないし、遺言通り相続できたとしても、通常より多くの税金を支払わなければならない。それに病気やけがをしても付き添える保証もありません」

 「家を買うとか一緒に暮らし始めるとか、男女カップルと同じようなライフイベントがあるのに、その都度、いちいち足かせがある。男女だと考えなくてもいいことを考えないといけないし、結婚できる権利もない。それはおかしい、国が認めてしまっている差別ではないかと思うんです」

ふたりの決意

 同性婚制度がないことで、男女カップルと同性カップルのあいだに社会保障の格差ができているのは明らかだ。

 「もう20年も前に、」と坂田さんは振り返る。「東京で原告になっている西川さんと、『20年経ったら日本でも結婚できるようになってるんじゃない?』と話をしていたことがあります。『20年経っても結婚できないようだったら、裁判だよね』って」

 「漠然と、きっといつかできるようになるよねという気持ちがあった。だって、同性婚ができても誰も困らないし、むしろ幸せになる人が増えるだけと思っていたから。でも気づくと20年経っていて、あるとき、『ヤバい。このままだと死ぬまでに制度できないかも』と焦り始めた」

 「そろそろ動くときかもしれない、裁判を起こすにはどうしたらいいだろうと考えていたところで、友人の弁護士さんとこの訴訟の話になった。だから、訴訟の原告になることへのためらいは全くありませんでした」

 「私も、たくさんの人達が声をあげることでアメリカの制度が変わっていくのを見ていたから、いつか日本で同性婚訴訟に参加できるならやりたいと思っていました」とスティーガーさん。

 「アメリカでは、どんなテーマにも絶対、白か黒かの意見を持たないといけないという風潮があって、それはそれで分断も生まれやすいし、しんどく感じるときもある。一方で日本は、白か黒か、賛成か反対かという自分の意見をあまり表明しない。それは『どっちでもいい』と『よく知らない』の裏返しであり、無関心や知識のなさだとも感じます」スティーガーさんは日米の違いを指摘しながら続ける。

 「アメリカから日本に来た私自身は、アメリカの『白か黒か主義』は好きではないけど、声をあげることにより、何かが進んでいくとは思う。日本では、意見が形成されないのでいろいろな動きが始まりにくい。同性婚の問題もそうで、誰も話したがらない。それでは何も変わらないと思ったのが、訴訟への参加を決めた理由です」

 アメリカでも、動きが始まってから40年以上の時間をかけて制度ができた。そのあいだに世界各国はつぎつぎと同性婚を合法化し、G7の中で同性カップルに結婚の権利を保障していない国は今や、日本だけだ。

 2005年にカナダ、2013年にフランス、2014年にイギリス、2015年にアメリカ、2017年にドイツの順で同性婚制度が成立し、イタリアには同性婚制度の代わりに、同性カップルに結婚同等の権利を認める制度がある。

同性愛者であることに悩まなくていい社会に

 格差は社会保障の面だけではないと坂田さん。

 「同性カップルが男女カップルと平等に扱われるようになることで、自分の存在を肯定できるようになる人はいっぱいいるはずなんです」

 「人生って、ほかにも悩まないといけないことがいっぱいあるじゃないですか。恋愛や仕事のこと、家族や友人のこと、生活や老後のこと、あげていくときりがありません。性的指向の悩みを乗り越えた私たちだって、いろいろ悩みながら生きている」

 「でも自分のセクシュアリティや性的指向に悩んで、ほかの悩みに行き着かない人もいるし、行き着く前に命を絶ってしまう人だっている。セクシュアルマイノリティであることで、未来を描けなくて、立ち止まってしまう。そんな社会は間違っているし、私たち世代で終わりにしないといけない」

 「平等なスタートラインに立って初めて、未来を描けるようになる。同性が好きだからといって引け目を感じることなく、自分を殺して人一倍がんばらないといけないと思うこともなく、希望や夢を持って生きられる社会になってほしい」

 「そういう社会は、当事者でない人にとってもプラスになります」とスティーガーさんが続ける。

 「自分を否定することには意味がない。悩まなくていいことは、悩まなくていい。同性婚制度ができることで、愛し合っているふたりが誰でもわかりやすく、一緒にいることができる社会になる。それは、セクシュアリティや性的指向、ジェンダーのアイデンティティによって自分を否定することがなくなる、大きな一歩になるはずです」

このままにすることは差別を強化することになる

 京都で坂田さん・スティーガーさんの話を聞いた翌日のこと。ところ変わって、東京地裁では「結婚の自由をすべての人に訴訟」(同性婚訴訟)の期日が開かれていた。

 裁判は傍聴席の定員オーバーで、傍聴抽選券が配られることになった。原告団はじっと裁判官の反応を見守り、満席の法廷は固唾をのんで、「大きな一歩」への挑戦を見守っている。

 「現行の法律は、同性カップルの婚姻の機会を永久にはく奪し、『同性の婚姻は尊重に値しない』というメッセージを社会に対して出しつづけ、差別を強化しつづけています」

 弁護士は、原告たちの思春期の苦しみを法廷で代弁し始めた。

 死にたかったという原告のこと、早く歳を取りたかったという原告のこと、自分を隠し、否定しながら生きていたという原告のことを。

 「原告らは、育った場所も年代も家庭環境も異なるにもかかわらず、性的指向によって、思春期にみな一様に、将来を悲観し、差別感情を内面化する経験をしています」

 「原告らの経験は社会の差別意識のためであり、その差別意識を生み出しているのは、法のあり方や存在自体です」

 原告の何人かが、弁護士の言葉に頷く。坂田さんとスティーガーさんが暮らす町家の輪郭が、静寂の内に浮かび上がる。

 その中には、坂田さんが「自分はセクシュアルマイノリティだからダメなんだ」と思っていた長い時間や、スティーガーさんが「自分は何者か」を分かった瞬間が含まれている。そしてふたりが出会い、自らのアイデンティティに自信を持ち、ともに生きるようになってもまだ、あの家はふたりのものではなく、制度は変わらないという事実が、行くあてもなく法廷を漂っている。

 「私たちは乗り越えた、もう大丈夫だ」と言いながら、ふたりは今でも、自分たちの愛し合う関係が差別を受けていることを分かっている。

 「憲法24条の趣旨は、個人の尊厳と、両性の平等です」弁護士は続ける。

 「婚姻は、人が社会生活を営む権利・利益と結びつく重要なもの。同性間の婚姻を認めないことは、婚姻について同性カップルの自律的な決定を奪い、『個人の尊厳』を、深く毀損するものです」

 「愛する人と結婚すること」は、人間の尊厳と深くむすびつく「基本的人権」である。同性婚の制度を通じて日本社会が「愛」を平等に扱うようになり、愛し合う全「ふうふ」の「人権」が守られるようにならない限り、ふたりの不安は完全には消えない。

(2021年09月10日) CALL4より転載

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