9月10日のこと
2015年9月10日、雨の日、赤羽さん夫婦の生活を一変させる出来事が起こる。
「その日は朝から病院の予約があって、夕方まで近所の病院を回ってた。帰り道、ポンプ車が水をくみ上げてるところもあったんだけど、うちの近くは水がなくて、スイスイ通れたから、大丈夫だわと思って家に帰った」
「夜の8時ごろかな、親せきから家に『テレビに出てるけど大丈夫?』と電話があったときも、『今のところ心配ないよー』って答えたの。で、その電話を切ったら女房が、表でなんか変な音がしてるって言った。それで玄関を開けて外を見た」
「そのときにはもう遅かった。玄関の外に、腰くらいまでの水が来てた。車も浸かってて駐車場まで行けない。ありゃー、と思ったね。あんときは。もうだめだ、逃げられないって。怖さはなかった。ただ、あれーとだけ思った」
「あっという間に家の中に泥水が入ってきた。消防車も、市役所も、警察も来ない。なんの連絡もなかった。気づいたら身動きが取れなくなっていた」
「女房が聞いた音は、汚水のマンホールのふたが持ち上げられていた音だったんだね」
その日の朝6時、前日に降り始めた記録的な大雨(平成27年9月関東・東北豪雨)に端を発して鬼怒川が氾濫し、常総市の北部にある地区(若宮戸地区)で水があふれ出た。
昼12時50分、そこから南に5㎞ほど下った場所、上三坂地区の堤防が200mにわたって決壊。堤防を越えた水はどっと街に流れ込み、あわせて鬼怒川と小貝川の間を流れる八間掘川も決壊した。
川の水はみるみるうちに南下し、赤羽さんの住む鬼怒川下流地域のほうへと迫ってきていた。この情報を知らされないまま、赤羽さんたちは普段通りの夜を送ろうとしていたのだった。
水害の夜
「水は玄関からどんどん入ってきた。あっという間だった。私は女房の着物が入ったタンスの引き出しを必死で取り出した。そのほかのものは何も片付けることできなかった」
「その間、女房は2階に上がる階段の踊り場に座らせていた。はっと女房の顔を見ると、青ざめた顔で小刻みにふるえてるのよ。寒いのかー? と聞いたら、ううん、寒くない、という。女房はあまりの水の勢いにふるえていたのよ。失敗したなー、と思った。あの水を最初から見せなければよかった」
「水かさは、どんどんどんどん上がってくる。畳も冷蔵庫も持ち上がって、ふわふわ浮いてるの。においもすごい。あれは、ひどかった」
「その晩は一晩、女房と2階の部屋で過ごした。疲れてるからうつらうつらとはするんだけど眠れない。明け方まで、女房はずっとふるえていた」
「結局、ヘリコプターがやってきたのは翌日の昼過ぎ。弱っていた女房が先に救出されて、避難所になってた公民館に行った。私は残った。家はそのまま三日三晩浸かっていた」
赤羽さんの住む地域は、最後まで水がはけなかった地域なのだと、隣の染谷さんが教えてくれた。居間の柱は色が変わってしまって、3年の時を経た今も戻らない。
この水害で常総市の1/3にあたる40㎢が水に浸かった。洪水に飲み込まれた家屋の被害は全壊53棟、大規模半壊・半壊5,000棟超。床下・床上への浸水も約3,500棟に及んだ。
ヘリや地上部隊によって浸水から救助された人は4,300人超。人口の4割にあたる2万4,000人が被害を受けた。
水害による直接死2人。その後、12人が関連死と認定されることになる。
弱っていく芳子さんの横で
避難所に1週間、高齢者施設で1週間を過ごした頃。弱っていた芳子さんはそのまま重篤な状態に陥ってしまった。
「9月23日に孫が訪ねたら、うなだれていて、話しかけても返事がないという。そのまま病院に行って集中治療室で治療を受けた。女房は脱水症状で、言語障害になっていた。しばらくして持ち直したけど、そこから治療とリハビリの日々が始まった。入院を繰り返して、すっかり弱ってしまったね」
「年が明けて1月の終わり、先生が突然、今日個室に移りますっていうんだよね。それがどういう意味か分からなかったのよ私。女房がいなくなるってことは頭からなかったから。必ず元気でまたこの家に戻ってくると思ってたから。そしたら、病室の壁に機械がある。あれ? と思ったよね」
「2月の5日のことでした。皆さん虫の知らせってのわかります?」
「あの夜も7時半に帰ろうとしていてね──お見舞いのときはいつも7時半に娘と交替するんだけど──いったんドアのところまで行ったの、私ね。そしたら、ドアのところから一歩、踏み出せないの。それでまた戻ったの、女房のところへ。こうやって女房を見て、『母さん』って、そう言ったの。女房も私のことを見てるわけ。ずーっとこうやって。私も見る。あれが最後だったね。女房の生きてる姿ってのは。2月5日の夜7時半過ぎ。あれが最後だった」
「翌朝、病院から電話をもらって行ったら、無言の女房がベッドに横になっていた。亡くなったのは10時3分。直接の死因は肺炎でした」
「あんときにやっぱ泊まってやればよかったのかなあと思う。後悔してるね。やっぱりあそこで二の足を踏んだってことは……なんかあるんだろうね」
話しながら赤羽さんは、当時を思い出して顔を曇らせた。話を聞きながら私たち取材陣は何も言えない。隣の染谷さんが、「それは、微妙なところだね」とやさしく声をかけた。急に、柱に残った水の跡が目についた。芳子さんの不在が強く部屋の中に満ちた気がした。
(2021年05月14日) CALL4より転載