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第1回

映画監督・想田和弘さんと在外国民審査訴訟をめぐるストーリー

アイキャッチ

裁判という方法で声を上げる「それはゴミ拾いのようなもの」

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)


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 「私たちは、日本人だと思われていないのではないか」と、1993年からアメリカのニューヨークに住む映画監督・想田和弘さんは憤る。

 「海外に住む日本人だって日本の国籍を持つ主権者なのに、在外国民審査の権利はなく、主権者ではないというような扱いをされている。最近までは選挙権もありませんでした。私たちのことを『よそ者』だと社会がなんとなく思っていて、そのなんとなく思っていることを、法律の制度もなんとなく反映しているのではないか」

海外に住む日本人には、日本に住む日本人が普通にできることが許されない

 海外に住む日本人(在外日本人)は135万人を数え(2017年10月時点)、さまざまな分野で活躍している。彼らは2007年から、海外に住みながら国政選挙の投票(在外投票)ができるようになった。

 しかし彼らは今でも、選挙の投票と一緒に最高裁判所裁判官の国民審査をすることはできない。日本に住む日本人ならば当然に経験したことがあるであろう、投票後に配られる用紙の、裁判官の名前に×をつけて行う国民審査を。

 在外日本人が国民審査をできないということについては、以前にも訴訟が起こされており、すでに2011年には東京地裁で「憲法に違反しているという重大な疑いがあるが、まだその違反の状態を正すのに必要な『合理的期間内』にある」という判断が出されている。しかしこの問題はそれから放置されたまま、8年という期間が経っている。

 「それでもいいと思われているのでは。明らかに法律の不備なのに、国は変えようとしない。在外日本人を部外者として軽視する、ひとつの価値観のあらわれでしょう」法律の不備が放置されたままの現状を、想田さんはこう嘆く。

 想田さんは、同じように海外に住んでいた日本人から声をかけられたのがきっかけで、裁判の原告として声を上げることにした。想田さんを含む原告5人が、国民審査の権利を行使できる地位を求めて2018年4月に起こしたのが、この「在外国民審査」の訴訟だ。

映画を撮ることと行動すること/「小さな世界から大きな社会の構造が見える」

 想田さんは日米を行き来しながら主にドキュメンタリー映画を撮り、それを世界各国で公開する仕事をしている。

 「映画を作るということは、自分にはこんな風に世界が見えているのだということを他者と共有する行為です。すごく複雑な世界をできるだけ複雑なまま描く。言葉にならないことを描く。映画は社会・世界へコミットする一つの方法ではあるけれど、それはあくまでも自己表現であり、一義的なメッセージのためには作っていません」

 「それに対して、社会のあり方に対する活動や発言は、直接的なメッセージとして伝えている。一市民としての行為だと感じています。民主主義には、一人一人が自分の意見を表明し、議論することが必要ですから」

 「映画を撮ることと社会的な活動をすること。いま申し上げたように分野も目的も違いますが、僕の場合、どちらも日常の中のこと、身の回りに興味があるという点では共通しています。目の前に人間がいて、具体的な問題があり、その具体的な問題と付き合いながら生きていく、というのが人生だと思います」

 想田さんの代表作に、市議会議員の選挙活動の舞台裏を追った『選挙』がある。

 映画の中では、「街頭演説では党の名前と自分の名前を連呼するべし」「妻でなく家内と呼ぶべし」など、私たちが「選挙」と聞いてイメージする選挙活動が圧倒的なリアリティをもって繰り広げられている。

 「あの作品は、友人が立候補すると聞いて、単純に『面白そうだな』と思って彼の選挙活動の舞台裏を追いかけたのですが、そこにはとても興味深い世界が広がっていて、撮っているうちに、『あれ? ちょっと待てよ?』と考えることが多かった。そのころはまだ僕も未来に対して楽観的で、民主主義も市民社会も勝手に成熟するだろうと思っていたけれども、空洞化してしまった民主主義の姿を、すでにあの時に自分は見ていた。そのことに後から気づかされました」

(2021年03月12日) CALL4より転載

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