call4 stories

第4回

三木由希子さんと情報公開/個人情報保護を巡るストーリー

「声を上げることで制度を育てる」自分たちの情報を守るために市民ができること


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市民の側も情報の使い方を考えることが大切/それは個人情報保護も同じ

 情報の管理を行政の側に任せっきりにしていたら、何が問題となるか。

 情報をめぐる公と市民の緊張関係をつくって、公が持つ情報を適切に使うという議論は、情報公開だけではなく、個人情報の保護にも当てはまる。どちらの制度の目的も、行政の保有する情報を制度的な管理下に置くことで、権力機関を民主的にコントロールするということ。

 「メディア規制が問題になった個人情報保護法が制定されたとき、行政機関対象の個人情報保護法も全面改正されました。これらが施行されたのは2005年。個人情報保護への意識が高まっていました。しかし、こうした動きと真逆の個人情報を公開する仕組みがありました。今から話すのは、2006年に住民基本台帳法が改正されたときのこと」と三木さん。

 「これは実は市民側のイニシアチブで始まったのです」

 2005年当時は住民基本台帳に記載された住所・氏名・生年月日・性別の情報を、市町村で申請すれば誰でも閲覧することができた。

 「住民情報は当時、だだ洩れで、事業者のダイレクトメールの情報源になっていました。そこで、私たちが市民からボランティアを募って100か所ほどの自治体で調査をしたところ、さまざまな問題が明らかになったのです」

 住民基本台帳の自由な閲覧を許していたことが、悪徳商法や高齢者の消費者被害の温床となっていた。名古屋市で片親家庭の子どもをねらった強制わいせつ事件が起こったときには、逮捕された男の家宅から大量閲覧の転記データが出てきた。

 「もともと自治体も住民基本台帳法に問題意識を持っていて、過去にも法改正を求めていたので、調査結果が報道されると、改正を求める動きが出てきましたし、閲覧制度の運用ルールを変更していきました。多くの地方議会で法改正の意見書が採択され、少数ですが閲覧制限条例を議員提案で制定したりと社会が動き始め、当初は改正するつもりはないという立場だった総務省も、法律の改正に向けて動き出しました」

 「議論のきっかけを市民側がつくり、声を上げ、ついには制度も動かしたというケースでした」と振り返る三木さんは、市民が議論し行動することで個人情報保護の制度も育っていくと指摘する。

三木さんが闘う理由

 三木さんは1990年代半ばから情報制度をめぐる活動を続けている。クリアリングハウスの活動のほかにも、東京都の情報公開条例改正のための懇談会や、国立市の情報公開・個人情報保護審議会や長野県の情報公開・個人情報保護審査会の委員を務め、さまざまな局面で情報公開や個人情報保護関連の制度作りに関わってきた。

 三木さんが20余年前に活動を始めたきっかけは、情報制度を利用して自分の情報を開示請求したことだ。

 「私が大学に入学したときのこと。センター試験の得点は、今でも出願のときは自己採点の結果に頼るほかないですが、加えて事後的にも本人が知ることはできなかった。進路選択に必要な情報も教えてもらえず、変な仕組みだなと思っていました」

 「大学入試センターは国の機関ですが、当時はそこに得点の開示請求を認める仕組みがなかった。たまたま公立大学に入学することになり、そうすると大学が持っている得点は自治体の条例を使って本人開示請求ができると聞き、通い始めた4月に開示請求をしました」

 はじめは「単純に利用者として自分の情報をなぜ知ることができないのかという、仕組みの是非を問う気持ちだった」という三木さんだが、「私の請求が認められると、受験した人すべての人に同じように開示されるようになるわけで、私の請求はパーソナルだけどパブリックなものだと気づいた」という。「社会を変えるきっかけになるかもしれない」と。

 このときの請求は不開示となり、不服申立をしても変わらなかった。共に活動していた公益社団法人自由人権協会(JCLU)の弁護士に報告したところ、「裁判をしないのか」と提案された。

 すぐにJCLU所属の弁護士がプロボノ活動で弁護団を作り、後押しを受けた三木さんは在学中に訴訟を起こすことを決めた(今でもJCLUは三木さんが抱える4つの情報公開訴訟を全面的にバックアップし、クリアリングハウスと活動を共にしている)。

 訴訟は地裁・高裁で敗訴し、最高裁で不受理となった。しかしその間に情報公開法が施行され、入試情報の開示のあり方が変わった。

 事後の本人通知の仕組みが始まってすぐの2001年に、山形大学で入試判定ミスが判明した。

 「入試判定ミスは、学生が入試の得点の本人開示請求をしたことではじめてわかったことでした」

 「私が訴訟を始めたとき、『あなたは合格したのになんで知りたいの?』と聞かれ続けました。でも、適正な入試を行うためには、合格・不合格にかかわらず、受験生に得点を知らせること自体が重要だったと分かった。私が在学中に持った問題意識は間違っていなかったんです」

声を上げる意味

 それから20余年。情報化社会のもとで、公的機関と情報の問題はよりセンシティブになってきた。

 「社会全体の議論する姿勢も変わってきています。いま、言論は多極化・分極化している。ときに感情的に分かりやすい極に世論が極端に引っ張られることもある中で、議論の仕方は考えないといけない」と三木さんはいう。

 「情報をめぐる問題も、より多くの人に理解してもらえるように発信し、議論をしなければなりません。情報公開に関しても、ただ単に、記録の非公開はおかしいと批判するだけではものごとは変わりません。情報公開は、公的機関にとっても、適切に仕事をしていることを明らかにする機会の一つです」

 公的機関に、情報公開を一般市民の信頼を獲得する手段であるととらえてもらうといった対話の方法も考えなければならないという。

 「問題提起をする人がいることが大事なんです」と三木さん。

 「誰かが説明を求めないと、社会はそれが問われる前提で物事を運ばない。誰かが言わなければ何も変えられない」

 「今のままで困っていない人もいます。でも、問題があっても気づいていないだけかもしれない。困っている人はなかなか可視化されないですし、困っている人ほど声を上げるのが難しい。だから誰かが声を上げなければならない。それに情報に関する制度は、公開・非公開を争うことで育てていくものだからです」

 三木さんが闘い続けてきた情報公開や個人情報保護の分野に通じるミッションは、権力機関の民主的コントロールだ。公の活動には必ずチェックがついて回らないといけない。「知る権利」はそのための武器のひとつなのだということが、三木さんの20余年の闘いから伝わってくる。

 「知る権利は大事です」と話す三木さん。「だけどそれは、守ってもらうものでも誰かに保障してもらうのを待つものでもなく、自立した市民が行動して自ら獲得するものです」

 「制度ができても、作っておしまいではない。制度があるだけではだめで、社会をよくするために自ら権利を行使しないと物事は変わらない。理不尽な仕組みに対して怒るより、どうするかを前向きに考えて、やれることをやる。住民基本台帳法改正の議論が実ったときのように『自立した市民』の行動で制度が動くこともあるし、そうでないこともあります。やれることはあります」

 三木さんのまなざしは、この訴訟のさらに先を見すえている。

(2021年04月23日) CALL4より転載

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