2011年7月23日の午後、桜井昌司(さくらい・しょうじ)さんと杉山卓男(すぎやま・たかお)さんは佐賀県にいた。
鹿島市は有明海に面した地方都市である。
町中にエイブルホールという名の市民ホールがあって、約300席ながらオペラやクラシックコンサートが似合いそうな、瀟洒な造りである。
ここで桜井さんと杉山さんが主演するドキュメンタリー映画『ショージとタカオ』が上映される。午後と夕刻の2回上映だが1回目から前売券を持った人々が押し寄せ、異様な熱気。通路にもバックスペースにも補助椅子が出て、とうとう人が歩きまわることもできなくなった。
『ショージとタカオ』は鹿島市出身の映画監督・井手洋子さんがてがけたドキュメンタリーだ。
1990年代半ば、井手監督は頼まれてコンサートの記録映像を撮った。それは服役中の桜井さんが獄中でつくった歌を歌う、布川事件の支援コンサートだった。
「コンサートが温かい雰囲気で、主催者や音楽家の人たちがこんな風に支えようとしている獄中の二人って、どんな人たちなんだろう? そう思ったのがきっかけですね」(井手監督)。
1996年11月、まず杉山さんが仮出獄。2日後に桜井さんが仮出獄する。井手監督はその情報を得て、とりあえず二人が塀の外に出てくる様子をカメラで撮ることにした。それが十数年におよぶ映画製作の始まりだった。
二人は1967年8月の事件発生直後から別件逮捕を受け、虚偽自白を迫られ、拘置所と刑務所で通算29年間の身体拘束を受けている。逮捕時の二人は20歳を超えたばかり。社会人として人生を築く時間のほとんどを、裁判と刑務所の暮らしに費やしたことになる。
それでも仮出獄後の桜井さんと杉山さんにじめじめした悲壮感はない。
井手さんのかまえるムービーカメラは、二人が29年ぶりのシャバ世界に帰還する様子をとらえていく。電車の切符を自動販売機で買う方法がわからないタカオ。テレホンカード式の電話の操作に戸惑うタカオ。撮影者である井手監督は、思わずカメラ越しにアドバイスする。
どこかとぼけた個性を持つノッポのタカオは仕事をみつけ、アパートを借りてシャバに軟着陸していく。一方、元気でチビのショージは土建の仕事に汗を流し、古びた実家を改築して落ち着いた生活を取り戻していく。そして、まもなく二人とも伴侶をみつける。
冤罪事件を扱った2時間半を超えるドキュメンタリーだというのに、会場にはひんぱんに朗らかな笑いが起こる。井手監督の「二人を冤罪被害者という記号ではなく、生活者としてとらえたい」という意思が、映画を通じて桜井さんと杉山さんの体温や生活実感を観る人にやわらかく伝えるのである。
映画は二人の仮出獄から2010年の再審裁判の開始までの14年間を記録して、ようやく2010年に完成した。そして第84回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門で第1位を獲得するに至る。
「仮出獄の時は、この先どうなるのかわかりませんでした。半年ほど頻繁に撮影しましたが、時には喧嘩したりすることもあって、以後は時々撮影に出かける感じでしたね。撮影した時間は通算で300時間程度です。こんな映画になったのは、二人の個性がおもしろかったからです。チビとノッポの絶妙なコンビなんですよ」(井手監督)
鹿島市で上映会のあった日の午前中には太良町の中学生とのこんな対話もあった。
中学生 「29年ぶりに刑務所を出て、驚いたことは何ですか?」
桜井 「街が汚いことだった。昔は道端にあんなにモノが捨ててなかったからね」
刑務所の中で「今を精いっぱい生きるしかない」と悟った桜井さんは、刑務所の中で音楽を楽しみ、詩を書き、仮出獄の後も常に前向きだ。
桜井さんは獄中で書いた詩を、中学生の前で朗読し、「一生懸命生きよう」と訴えた。
同じ質問に答えた杉山さんは飄々とした答え。
「エスカレーターの乗り降りが怖かったね。それから女子高生のスカートが短くてびっくりしました」(杉山さん)
そして、杉山さんは「うちの子が行ってる神奈川の中学生に比べれば君たちはいい子だね」と言って会場を笑わせた。
鹿島市での上映会は、井手監督の同級生が発起人となって実現した凱旋公演だった。地元出身の映画監督が成功したことを祝うあたたかい空間の中で、桜井さんと杉山さんは監督の身内として、くつろいだ時を過ごした。
井手監督は、「撮り始めたからには、せめて裁判や再審運動に役に立つ時期に仕上げたい」と考えていたという。しかし、この映画は司法の動きとは別の側面を持っていたようだ。
冤罪被害者の生活をポップに表現したことによって、裁判や冤罪といった堅苦しい制度の枠を突き抜けた、桜井さんと杉山さんの人間としての存在証明となっているのだ。映画『ショージとタカオ』を観た我々は、冤罪の恐ろしさや権力の醜さを憎むこと以上に、ただただ桜井さんや杉山さんを好きになってしまうのである。
冤罪によって社会から隔離された人々にとって、もっとも欠乏するものの一つが、ごく普通に隣人から愛されることではないだろうか。そういう意味で、この映画は桜井さんと杉山さんを人間として救済している。
2011年5月24日に水戸地裁が再審無罪判決を下して以来、桜井さんと杉山さんは多忙な日々を過ごしていた。
日弁連前の宣伝活動、東京高裁へ控訴断念の要請、東京・銀座街頭での宣伝活動、水戸地検への控訴断念の要請といった活動を行い、各弁護士会の求めに応じてシンポジウムなどに参加している。
無罪が確定し、これからようやく刑事補償請求の手続に入るのだという。
嬉野温泉につかり、鹿島市の上映会を終えた翌日、有明海の干潟で泥遊びをする子どもたちを眺めた午後に、二人は横浜のシンポジウムに出席するため佐賀を離れた。
この1年半の間、私は冤罪事件のその後を追って被害者の方々の話を聞いてきた。
冤罪に傷つけられた人々の怒りは風化しない。語り始めれば、つい昨日のように、取調室で怒鳴り散らす捜査官の顔が、思い描いた事件の構図に被疑者を押しこめようとする検察官の老獪な表情が、被告人を信じようとしない裁判官の冷酷な目が、それぞれの冤罪被害者の脳裏に浮かび上がるのがはっきりとわかる。冤罪事件の傷は決して癒えないし、過去の記憶として薄らいでいくこともないようである。
ただ一つの道があるとすれば、その傷を力いっぱい抱きしめることである。思いもかけない形に歪んだ自分の人生を受け入れて、それでも前に進んでいく。私が出会った人々を支えていたのは、そんな、死に物狂いの勇気だった。
(季刊刑事弁護68号〔2011年10月刊行〕収録)
(2024年08月09日公開)