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第2回

弁護士・児玉晃一さんと入管収容者の死亡事件をめぐるストーリー

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これまで20年の闘い、これから20年の闘い

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)


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 ここは閉じられた空間だ。

 ビデオの中で、ひとりの男性が苦しんでベッドの上を転げまわっているのを見た。彼は、「I’m dying」と叫んでいた。天井に取り付けられたカメラは、彼がなんども声を振り絞って叫び、ベッドの上を転げまわり、床に落ち、そして動かなくなるまでの8時間をそのまま映していた。

 叫び始めてから8時間のあいだに、一度の助けも来なかったことも一緒に映していた。男性は夜じゅう苦しんだのち、息を引き取った。

独房を映すビデオカメラ

 糖尿病の持病があった彼はそれまでも再三、体調不良を訴えていたが、容体が急変したあとも病院で治療を受ける機会は得られないまま亡くなった。翌朝、死亡が確認されたときには、血糖値は正常な基準の6~9倍にまではね上がっていた。

 「普通に考えると、この状態で放置するとかあり得ないでしょう」と、ビデオを止めて、弁護士の児玉晃一さんは穏やかな口調で言った。

 「でもここでは、こんなの正直、珍しくないんです」児玉弁護士が話したのは、亡くなった男性が閉じ込められていた入国管理局の収容施設のこと、そこで続けている長い闘いのことだった。

 男性は難民認定をめざしてアフリカのカメルーンから来日したものの、日本の土を踏むことのないままこの施設に収容されていたのだった(男性の遺族は、2017年9月、国と当時の収容施設所長に対して、賠償を求める訴訟を提起。児玉弁護士は遺族代理人を務めている)。

入管施設の闇「同じ人間だと思っていないのではないか」

 日本では、在留資格がなく、不法滞在・不法入国といったオーバーステイをしている人など、退去強制の理由がある人はすべて、入国管理局が施設に収容することができる。

 「収容施設は刑務所よりひどい環境と言われています」と児玉弁護士。「死亡事件も、今回に限ったことではないのです」

 死亡事件は自殺も含めて2007年以降、明るみに出ている範囲でも13件に及ぶ。

 収容施設ではさまざまな人権侵害が行われているといわれるが、医療を必要とする人を放置することも日常茶飯事だという。収容施設にいる人は、施設にいる間は自力で病院に行くことができない。それゆえに施設の職員には、病院に行けない「被収容者」の「生命・身体を保持する注意義務」がある。

 カメルーン人男性の訴訟では、遺族は、「男性の容態が悪化した後にも、施設の職員は医師に報告したり救急搬送をしたりせず、注意義務を怠った」と主張している。これに対して入管側は、「職員はカメラを通じて動静を確認し、翌朝には救急搬送して『適切な措置をとった』ため、注意義務に違反していない」と反論している。

 「入国管理局の職員は収容されている人の訴えを、どうせ病気のふりだと疑うことが多い。そこには、オーバーステイしているような外国人だから嘘をつくだろうという意識が見えます。同じ人間だと思っていないんでしょうね」

 入国管理局側によると、カメルーン人男性死亡当時、入管の診療体制は、平日の午後1時から5時まで庁内での診療を行う非常勤の嘱託医が1人(複数名の医師が日替わりで往診)だったという。

 この施設の収容定員は約700人である。医療体制を充実させるには当然お金もかかる。収容対象となった人の多くはオーバーステイの外国人ということもあり、その待遇に、国の予算をどこまで使うかというのは確かに難しい問題だ。

 それでも、と児玉弁護士は続ける。

 「彼らは確かにオーバーステイしたかもしれない。でも果たしてオーバーステイは、彼らがここまでの扱いを受けることを正当化することなのでしょうか。明らかに、彼らがしたこととされている仕打ちのバランスを失している、というのが、私の問題意識としてずっとあります」

入管案件に取り組みはじめたわけ「忘れられない事件がある」

 「忘れられない事件があります。弁護士になって2年目のこと。バブルがはじけたあとのことでした。自分の目の前で、小学生がふたり、入国管理局の収容施設に連れていかれたことがありました」

 整理された語り口に、児玉弁護士が何度も記憶を引き出し、苦しい思いで反すうしてきたことが分かる。

 「依頼者は、迫害されて国を出たイラン人の一家でした。入国当時はまだバブル期。バブル期には、観光ビザで入ってきた人たちがオーバーステイしてもつかまらなかった頃もありました。そうやって入ってきた外国の人たちが、単純労働の現場を支えていた一面もあります。彼らも日本にやってきて何年かは不法滞在でも問題なく住んでいたのですが、ある日、お父さんが職務質問にかかってつかまってしまった」

 「そのまま退去強制令書が出て、一家全員が収容されました。小学生だった姉弟もです。夏場で、雑居房のクーラーはほとんどきかず、窓から外も見えない。運動もできない。部屋の中にあるトイレには腰までの低い仕切りがあるだけで、音もにおいもつつぬけというひどい環境でした」

 「子どもたちをこんな屈辱的な目に遭わせるくらいなら強制送還に応じます、ひと思いにイランで殺された方がマシです、とお母さんが言って、一時的に外に出てきました」

 そのときに、難民申請をするために弁護士にアクセスがあり、児玉弁護士が担当することになった。

 「難民申請を手伝いながら、再び収容なんてさせないと思っていたのですが、入管当局に出頭しろと言われて、結局、捕まってしまった」

 「私はいったい何をやっているのだろう、と思いました。自分たちの仕事は彼らを外に出すことのはずなのに、目の前で小学生が連れていかれている。悔しかった。本当に悔しかった」

 最終的には国連に難民として認定されてノルウェーに行ったというこの一家の事件について語り終えたとき、児玉弁護士の声はふるえていた。

 「それから20余年、入管事件をやっています」

(2021年03月26日) CALL4より転載

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