2006(平成18)年2月15日夜、鹿児島地方裁判所刑事部の3人の裁判官は鹿児島県志布志市で「異例の」現場検証を行った。
鹿児島選挙違反事件は、2003(平成15)年の2月から3月にかけて、候補者・中山信一が鹿児島県議会選挙のために志布志市四浦地区懐集落の民家で4回の会合を開き、有権者を買収したとして起訴したものだ。
検察は4回の会合のうちすべての日付を明言できず、2003年の2月8日夜と3月24日夜の2回を特定しているが、中山信一には両日ともにアリバイがあった。
3年前の2月8日夜、中山は志布志市内のホテルで同窓会に出席していた。同窓会は午後7時に始まり、同窓会会長である中山は開会の挨拶を行い、9時頃に始まったカラオケで歌ってもいる。
もともと検察の主張では、中山はホテルから約20キロ離れた懐集落で午後7時30分から9時まで会合を持ったというのである。アリバイが出てきて困惑したのだろう、検察は、中山が同窓会を抜け出して懐集落で会合に出席した、と主張するようになった。
検察の主張する(可能性として最大の)1時間半あまりの時間に市街地から山間の懐集落に出かけてわざわざ会合を持てるものか。現場検証は中山の弁護人の提案を受けて、大原英雄裁判長率いる合議体が決定したものだ。
現場検証のおもな目的は、同窓会の開かれたホテルから懐集落への移動時間を確かめることだった。2006年2月15日午後7時過ぎ、志布志警察署前に裁判官、書記官、検察官、被告人、弁護団が落ち合い、3台の乗用車に分乗して7時40分にホテル前を出発した。起訴事実の2月8日と同じような気象で、雨が激しく降っている。市街地から約10kmは道幅の広い県道、田之浦という集落から谷に降りていく約10kmはつづら折りの山道で、対向車と離合できないほど狭い道幅が続く。
出発点、別れ道、懐集落にカメラが配置され、検証に立ち会う人々を乗せた3台の車を報道陣を乗せた車が追いかけた。わずか十数名の集落を目指して、数倍する人々を乗せた車の行列約10台がつながって山道を走る異様な光景であった。
裁判官を乗せた車が懐集落の会合があったとされる家の前に到着したのは午後8時17分過ぎ、往路の所用時間は37分26秒だった。裁判官たちは会合のあった家を確かめ、再び帰路を検証した。帰りの道の所用時間もまた37分33秒を要した。
検察の主張と現場検証の結果をつきあわせると、中山が抜け出した1時間半の時間のうち移動時間は1時間15分、会合の時間は15分ということになってしまう。雨の降る夜の山道をラリーカーのように飛ばせば、いくらか時間は縮められるだろうが、そもそも選挙で頼りになるであろう同窓生約50人と語り合う機会を抜け出して、地域社会に大きな影響力があるとも思えない10人を買収に出かけたというのは不自然きわまりない話である。
警察と検察が会合の日取りを決めた根拠は、中山信一の農場に勤める被疑者女性のタイムカードにあったようだ。午後の仕事を休んでいる日を選べば、家を会合に貸した女性が準備をする細部が、供述調書にいきいきと描けるからだろう。
日付が特定されたもうひとつの、3月24日の会合では、中山信一の妻・シゲ子が登場する。女性は会合の世話をするため台所に立ち、台所の窓からシゲ子がふだん乗っている灰色の外車を見たと語っている。ところがその日、シゲ子の外車は車検中で、シゲ子は代車のカローラに乗っていた。供述調書には、被疑者女性が会合のために芳香剤を置いたところまで細々と書かれているという。
調書の中に車種や服装といった細部を丁寧に描いておけば、その場を知りもしない裁判官はコロリと騙せるのだ、という検察側の経験則がそこに生きている。ここまで細かく描かれている調書をもとにしたものならば、間違いはあるまいと、裁判官が検察の力量にもたれかかって裁判官自身の目を使おうとしない構造が透けて見える。
存在そのものがきわめて疑わしい2月8日の会合で、中山は集落の人々に「奥さんの顔を見たい」と請われた、と警察は集落の人々に語らせた。そして、中山信一が志布志の西はずれにある鍋という地域を挨拶に回っていた3月24日の夜、あるはずのない外車に乗ったシゲ子と信一が志布志の東のはずれにある懐にオバケのように現れて住民を買収しているのである。
任意同行の取調べで、警察官が市民を脅しすかしして創り上げた、まるで怪談のような筋書きをもとに、裁判所は「無罪の推定」をより働かせやすいはずの、一貫して否認している人々の勾留延長を認め、保釈請求を却下し続け、半年から1年をはるかに超えて人間生活を拘束している。
代用監獄や拘置所の生活は、普通人から見れば「有罪をもとにした刑罰」以外の何ものでもない。そうでないと裁判官が思うのなら、裁判官自身が恒常的に拘置所に寝泊まりして、裁判所に通勤すればよい。
志布志事件の被告人たちは、今も困惑し、心の傷をもてあましている様子が見える。怒鳴りつけた刑事も起訴した検察官も証人として呼ばれることはあっても、自分の生活を裁判で犠牲にしているわけではない。「叩き割り」という強引な取調べで傷つき、勾留で生活基盤を脅かされ、名誉を汚された根拠はどこにあったのか。
「何もないことが、なぜ本当にあったかのように権力によって語られ、自分たちが裁判の席に座っているのはどういうことなのか?」
この不条理を呑み込むことは大きな苦痛であろう。
今年(2006年)5月17日の公判は、怪談を生んだ供述調書を証拠として採用するかどうかが審理される大きな山場だという。裁判官の倫理観が問われる。
(文中敬称略)
(季刊刑事弁護46号〔2006年4月刊行〕収録)
(2019年06月12日公開)