事件の風土記《3》

【志布志事件】公権力の傲慢さとそれを追認する裁判所

志布志事件 その2

毛利甚八


  • 懐集落の入口にある古風な棚田
    懐集落の入口にある古風な棚田。水落としの様式など江戸期以前から続く構造を持っている。

はじめに、きわめて粗末な物語があった。

「新人候補が、わずか3カ月の選挙運動で当選できるわけがない。金を配ったに決まっている」。

これは捜査員の言葉である。選挙違反の容疑で勾留された当選県議・中山信一の妻で、2003(平成15)6月初旬から273日もの勾留を受けた中山シゲ子に向かって、刑事が吐いた言葉だ。そのFという刑事は「五当三落」という言葉を繰り返した。選挙に際して5000万円を使えば当選し、3000万円では落選するという意味だという。

「当選したからには選挙違反をしたに違いない」。

この言葉を字義どおりに解釈すれば、どのような選挙であれ新人の当選者全員を逮捕しなければならないわけで、言うそばから破綻する詭弁にすぎない。しかし、十数名の容疑者を任意同行し、うち12人を平均で160日余り(最低88日間、最高395日間)勾留し、個人の金融口座を凍結して生活を脅かし、自白を迫った刑事および検察官と逮捕令状や勾留延長を認めた裁判官の行動を支えていたのは、この程度の思い込みだったようだ。

20034月の統一地方選挙・鹿児島県議会議員選挙で、中山信一は定数3の曽於郡選挙区に無所属新人として立候補した。すでに3人の前職が立候補しており、本来ならば無風の選挙区に町議を1期務めただけの中山が挑んだ形だった。しかも万全の準備をしたわけではなく、選挙のわずか3カ月前に立候補を表明し、家業の焼酎製造やスナック菓子の原料であるサツマイモを商いするなかで生まれた農家との人脈を頼りにした選挙だった。

前職の県議3名はすべて自民党で、土建業や畜産業などで地元に強い力を持つ事業家1人と農林族の大物国会議員の後ろ盾を持つ2人である。中山の落選は確実と見られていた。ところが開票してみると、前職を退けて3位での当選であった。

その翌日に中山と縁戚関係にある男性が志布志署に任意同行を受けた経緯は前回(その1)で紹介した。男性がビール口事件と呼ばれる買収容疑を否認したために、刑事はみずから創作した男性の家族のセリフを踏ませるという珍妙な捜査(踏み字事件)を行ったあげく不起訴としている。

その代替案として生まれたのが、ある集落の買収容疑だった。志布志町四浦地区の懐集落は宮崎県境に近い山中にある。当時、懐集落は920人で、谷の斜面にわずかな棚田や畑を養う老齢者の多い土地である。ある朝、そこに白いレンタカーに乗った捜査員が現れた。集落の主要な道に捜査官を配置し、それぞれの家を同時に訪れるという大げさな捜査網を敷いて、刑事たちは年寄りたちを任意同行した。そして4月の終わりから6月にかけて次々に逮捕、勾留していった。

容疑は中山信一・シゲ子夫妻が選挙前の2月に4回にわたり懐集落を訪れ、集落の人々11人に合計191万円を渡したという荒唐無稽なものであった。

これは差別として言うのではない。歴史学的な観点から見て、懐集落の生産体制や景観は近代以前のものが過半であり、戦後の政治が過疎を加速させ衰弱させた土地であることは明らかだ。掲載した写真の棚田は、中世から続く水落しの構造を持つものだ。その集落のたたずまいを見て、懐集落の人々が経済的・政治的にどの程度の力を持つか、という判断を誤る人はよほど常識の欠落した人である。

しかも集落の人々はトップ当選を果たした有力事業家の前職県議の支持者たちで、選挙前には前職の後援会が募った会費制の小旅行に出かけた人もあったという。

筆者はこの一連の事件に激しい怒りを感じているが、その最も大きな要素は、選挙違反事件の立件で手詰まりになった捜査陣が、架空の選挙違反を創作する際に、簡単に屈服できるという理由でこの地域を選んだように見えることである。公権力を自由に操れるという思い込みの傲慢さ、それを行使するにあたって反撃能力のない弱者を選ぶ卑劣さ。勾留という生活と精神を脅かす手段で自白を迫る暴力性。捜査陣のこれらの行動を、逮捕令状発行や勾留延長の手続の度に裁判所が追認しているのだ。

こうした捜査が続くなか、中山信一と中山シゲ子は2003年64日早朝に逮捕される。レンタカーに乗った捜査員が自宅に乗りつけ、十数人の刑事が自宅に入った。信一に手錠をかけ、拒否する信一に上着をかぶらせた。外に出ると、申し合わせたようにテレビ局や新聞社が集まっていて、逮捕劇を取材した。

「誰がマスコミに知らせたのですか?」

信一が車の中で尋ねたが、捜査員は答えなかった。

1時間後にはシゲ子が逮捕された。女性の捜査員が1人ついて後部座席に乗り込んだ。

その日のうちに、中山信一は鹿児島西署に、シゲ子は鹿児島中央署に運ばれた。ともに100日間にわたる代用監獄生活が始まったのである。

2人は翌日から取調べを受けるのだが、「選挙違反はしていない」と否認を続ける。それを覆すために刑事たちが吐いた言葉を、夫妻の記憶から記録しておきたい。

「はじめは責任を取れ、の一点張りです。事件のことについては何も聞かない。とにかく買収された人が認めているから、お前は有罪が確実なんだ、と。つまり議員を辞職しろと迫るわけです」(中山信一氏)

不思議な話である。捜査員は選挙違反を捜査しているのではなくて、中山信一を辞職させて繰り上げ当選が実現するように促しているようだ。まるで政治運動である(中山氏は繰り上げ当選の期限が過ぎてから県議を辞任)

妻・シゲ子の場合。

「鹿児島中央署に着くと、人定尋問のような質問をされ、それから逮捕令状を見せられました。そのなかに私たちからお金をもらったという人たちのリストがあって、6人が10万円ずつもらったことになっていました。翌日から取調べが始まると、刑事は厳しく問い詰めるようになりました」(中山シゲ子氏)

Fという四十がらみの背の高い痩せた刑事は、否認を続けるシゲ子に次のようなことを言った。

「お前はしてないと言っても、見ている人がいるんだ。会合の席でどこに座ったかも、どんな洋服を着ていたかもわかっているんだ」。「見た人がいるのに来てないということは、お前は双子か。それともお前は女優か」。「息子や娘も逮捕する」。「会社もなくなる」。「裁判はいつまでかかるかわからない。金をドブに捨てるようなものだ」。「お前の弁護士は民事はできるが、刑事は不得意だから負けるぞ」。

読み上げられた調書がおかしいと思い、シゲ子が読ませてくれと言うと、Fは激怒した。「卑怯者」と叫ぶと、タバコの空き箱をシゲ子の後方に投げつけてみせた。

いったい何を論じる必要があろうか?

(文中敬称略)

(季刊刑事弁護44号〔200510月刊行〕収録)

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(2019年06月07日公開)


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