
プレゼン——初公判
初公判までの2週間、特段の変化もなく淡々と過ごしたという吉中さん。そして、裁判員の間は家を普段よりゆっくり出て、早く帰ってくるという生活に変化し、それまでの緊張とストレスの日常から解放されたそうだ。
やったことがない新しいことにワクワクして、仕事ではない毎日が始まるなって感じで気持ち的には楽でしたね。ちょっと家の掃除もできるかなって(笑)。
長年繰り返してきた日々の生活だからこそ、その変化が新鮮に感じるのだろうか。ただ、その代償は裁判員として苦悩する日々になるわけで、果たして釣り合うのだろうか。
初公判のときに、「緊張しないでください。今日はプレゼンみたいな感じで、事件の概要を検察と弁護人が話します。雰囲気を味わってください」と言われて、何が始まるんだろうって思っていたのですが、エレベーターが混んじゃって……。でも、法廷はすごい神聖な感じがして。弁護人寄りの席でした。意外と傍聴人がいて、被告人の奥さんと、その隣には父親なのか家族の人もいました。
被告人は、中国人の普通の若者で、中国のドラマとかに出てくる俳優さんみたいでした。黒いスーツを着て、困ったような、困惑した顔をしていて。中国に住む自分の親に5歳と3歳の子どもを預けているそうです。
冒頭陳述が大切だなって思いました。資料がすごく詳しくて、裁判員のための資料ですよね。裁判官とか弁護士はプロだし、そんなこと百も承知なことでも、わかりやすい言葉でかみ砕いて説明する。なるほどな、こういう裁判なんだって摑めました。
「プレゼン」と裁判長が言ったイメージを初めて入った法廷で、「見て、聞いて」理解したそうだ。その冒頭陳述への評価はどうだったのだろうか。被告人は否認していた。
(検察官は)わかりやすく説明してくれて、「ふーん」と思っていました。検察官はいろいろ証拠もあるから話が長かったんですけど、ベテランの人が上手にしゃべって、わかりやすくてドラマみたいでした。
(弁護人は)「無罪です」の一点張りなんだけど、あまりグチャグチャ言わず、覚醒剤とは知らずに荷物の受け渡しを請け負っただけで、ちょっとでも疑問があれば「疑わしきは被告人の利益に」ということです。そうハッキリと言い切りました。
心地よいトーンで滑舌良く展開される検察官の冒頭陳述は確かに引き込まれる。一方の、法理に徹した弁護人の威風堂々とした佇まいは被告人としては安心できる存在だろう。なかなか拮抗した序盤戦だ。この後に展開される双方の応酬に注目したい。そして、裁判長の訴訟指揮にも。
円ですか? 元ですか?——公判

被告人は、中国版SNSで知り合った依頼人から、違法な精力剤を日本に輸入したいから手伝ってほしいと頼まれて、メキシコタイル(メキシコの伝統工芸品)に練りこまれた約4キログラムの違法薬物を輸入したとされていた。
実際に受け取る人間でもないし、指示をしただけで(直接は)関わっていない。普段は日雇いの仕事でコツコツお金を溜めてきた。子どもを(日本に)呼びたいから高収入の仕事を探していて、たまたま今回の依頼を受けたという認識だって弁護人が言い切るので、「あーそうなんだ。じゃあこの人は騙されたかわいそうな青年で、この人無実なのかも」って思いました。
検察官は、「覚醒剤かもしれない」と思った時点で罪になるって、「かもしれないで罪にしていいんですよ」って。「かもしれない」で罪にしていいの? と思ったんですけど、だんだんこんなの「かもしれない」って思うに決まってるよね、という事実がいっぱい出てきたんですよ。
例えば、曖昧な報酬額。証拠類の翻訳人が、依頼人からの報酬を「8万」としていて、「8万円なんですか? 8万元なんですか?」って弁護人が突っ込んでいました。中国元だとすると、8万元は当時で約170万円になるわけで、違法精力剤の輸入でもらえる報酬なのかと。被告人は8万円だと言っているのですが、なんでギャラの部分だけ日本語でやりとりするの? 逆に、たった8万円のために危ない橋を渡るのかな、という疑問がひっかかりました。
検察官の理屈にはやや驚きだが、それを補うだけの不可解な事実が積み重なっていく。募る疑問を解消するためにも被告人質問の際、吉中さんは勇気を出して挙手をした。
「5歳と3歳の子どもがいる親でありながら、覚醒剤と知らなかったとしても、違法薬物を密輸したことに、親としての罪の意識はないんですか?」と聞いたら、泣き出してしまって、「子どもを引き取るために、がんばってお金を稼ごうと考えていたけど、今となっては後悔している」と答えてくれました。
そうしたら裁判長が、「後悔しているのならなぜそんなことをしたんだ?!」って割ときつく問い詰めて……。
意外な裁判長の割り込みに驚いていると、耳を疑う出来事がこの法廷では起きていた。
証人だった翻訳人の方が、弁護人に日本円か中国元か確認されているときに、「2年も前のことだからわからないですよ!」ってちょっと逆ギレというか声を荒げて、そうしたら裁判長が「そういうことを言い出すのなら出て行ってもらいますよ!」って激昂して。他にも被告人の奥さんが付き添いの人とボソボソ喋っていたら、「私語は謹んでくださいって言いましたよね!」とか、学生の傍聴人が荷物の詰まったリュックを持って入ってきたときも、「危険物入っていませんか? 危険物だったら出ていってもらいますよ!」って。その学生さんビクッとなっていました。
補充尋問の際に、「なんでもいいからどんどん聞いてください。いくらでもフォローしますから」と言ってくれて、私たちの前では優しい裁判長だったのに……。
裁判官の人間的な本質と裁判員仕様としての建前、評価は避けるが裁判官の本質は評議の際にも表れる。結局、補充尋問や質問においては、「聞けば聞くほどおかしいね」という感想だったという。
そして、論告求刑では、検察官から「懲役14年、罰金7,000万円」という求刑と、弁護人からの無罪主張の最終弁論がなされ6月24日に結審した。
実は、結審より前の21日は被告人の共犯者とされる人物(不起訴)の証人尋問が予定されていたのだが、この証人が出廷できなくなり休廷となった。しかし、「休みにせずに、ここまでの話をまとめる日にしましょうか」となって、いわゆる中間評議となった。
この日は一日自由討論みたいな感じで、時系列に整理しましょうって裁判官(左陪席)がホワイトボードに書き出して。裁判長が上手に意見を引き出してくれました。例えば、誰かが初めて意見を言うと、「いや、そこすごい大事ですよね! そこは気づかなかった」って感じで、その人をのせるのがうまいんです。そうやって一人ひとりに歩み寄って意見を言いやすい雰囲気を作ってくれました。
「円と元ておかしいよね」とか疑問は解消しないけれど、なんとなくわかった感じでした。でも、その日一緒に帰った裁判員の方と、「やっぱり主婦目線で見ちゃうよね」という話になって。幼い子どもが2人もいるわけだし、やり直す機会を彼に与えてあげるというのも大切なんじゃないかって。
裁判長の意外な側面によって闊達な議論が展開され、充実した中間評議となったようだ。ただし、時系列でいうと結審前、論告求刑と最終弁論がなされる前の話である。そして、ここからが本来の評議である。
ぐうの音も出ない——評議〜判決
まず求刑にビックリしたんです。最初は、なんで(懲役)14年の(罰金)7,000万円になったのか、という説明からしてくれて、覚醒剤(密輸)の前例をデータベースで示されました。執行猶予が付くケースとか、事件の内容と判決を見せてくれて、明らかに4キログラムとかになると10年超になるんですよ。その時に、「薬物の中でも覚醒剤は特別に重くて、執行猶予が付かないから裁判員裁判なんだ」って裁判長から説明されました。私からしたら、「いきなり10年!?」て感じだったんです。
罰金については、「どうやって計算しているか僕もよくわからないんです。割に合わないよ、このくらいのことをやったんですよ、というのを知らしめるためのものです」って。ちょっと曖昧で意味がわかりませんでした。
確かに、裁判長の説明は少しいい加減な気がする。示された量刑検索システムの範囲が12~18年とのことで、求刑の妥当性は理解したそうだ。ところで、否認事件であるという前提はどこへ行ったのだろうか。
21日の段階でいろいろな話が出て、(被告人に)覚醒剤かもしれないという認識はあったという方向でした。24日に求刑が出て、じゃあまずは有罪か無罪か、という確認はなかったんじゃないかな?
量刑のインパクトが強くて、表とかデータを見せられると……求刑が出る前(21日)は本当に自由討論だったんですけど、求刑を基準として考えるようになっちゃった。だから、有罪という方向でやっていきましょうって道筋が整えられていて……。本当は、ちょっと決めかねるという部分はあったんですけど……。
女性の裁判官(右陪席)から「裁判官の目から見て、私はこう思います」っていうしっかりした意見を言われて、もうぐうの音も出ないなって感じで、それまで言いたいことを言ってきたけど、さすがにもう言えなくなっちゃったという空気でした。
「疑わしきは被告人の利益に」、無罪推定の原則は冒頭陳述で弁護人が唱えたきりで、裁判長からの説示は記憶にないそうだ。さらに、トドメともいえるやりとりが起きる。
他の裁判員の方が、「刑期を終えたらどうなるんですか?」って聞いたら、「強制送還になる」ということで、奥さんとも離婚になるだろうって。
それを回避するためになんとかしてあげたいと思って、人の人生かかっているわけだし、彼は悪いことをしたしダメなことをしたけど、奥さんも子どももいて執行猶予でもなんでも更生のチャンスを与えてあげることはできないのかって言ったんです。そうしたら、女性の裁判官が、「そこは私は厳しく見ていて、やっぱりしてはいけないことをしたわけだから更生はないです」ってピシャリと言われました。
裁判長も、「最後に僕の意見を言わせてもらうと、(被告人は)嘘をついていると思います」って言って。さすがだな、何十年も経験を積んできたプロの目は見抜けるんだ、そっちが正しいんだって思っちゃいました。みんなで、裁判長やっぱりそういうふうに思っていたんだ、ちょっと(被告人が)かわいそうだよねって、でも仕方ないよねって。誰も反論しないしできない……。
裁判官の独立、裁判長の訴訟指揮権、判決も含めて当否は問わない。ただ、裁判員の目から見た1つの事実だ。議論の結果として、懲役12年、罰金6,000万円という判決を吉中さんたちは被告人に言い渡した。
被告人は俯いていました。奥さんが泣き出して。弁護人はがっかりしていました。
裁判長が、「今回、はっきりした事件じゃないから、どういうふうに話をもっていったらよいか。議論ができるのか? ふわふわした議論になるんじゃないか? と思っていましたけど、皆さんが一生懸命考えてくれて、いろんな意見を出してくれたから、自信をもって判決文を書けました」と言ってくれました。
確かに、いろんな意見が出てすごくよかったし、信頼もしてるし、話しやすくてよかったんですけど、私たちがいくらいろんなことを言っても意見として聞いていたということですよね。
吉中さんの悶々とした気持ちは治まらず、帰宅後に法学部の娘さんにぶつけた。娘さんは、学業の合間を縫って論告求刑や判決日を含めた3日間を傍聴していた。
かわいそうだし、更生の場を作ってあげたいと言ったのに、恥ずかしかったよって娘に言ったら、「いいんだよ、ママ。そういうことをできない人たちが裁判やっているのがまずいってなって、一般の人の声を聴こうって裁判員制度を始めたんだから、それは絶対言ってよかったんだよ」て言われて……救われました。
実は一番冷静に母の裁判員裁判を見ていたのかもしれない。娘さんに拍手喝采だ。
笑顔のない仕事——裁判後
公判中に仲良くなった同窓裁判員たちとSNSで繋がり、判決日には打ち上げもしたという吉中さん。晴れて裁判員経験者となった今、あらゆる意味で非日常だったその経験を振り返ってもらいたい。
最初は自分には関係ないと思ってて、でもやっぱり一般の人が法に関わる経験ができることはよいことだと思います。今回、やり切った達成感はあっても心からは笑えない、日常の達成感とはまた違うものでした。それと、裁判所の方たちは、毎日大変なんだなって、改めて尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
会社では、私が楽しそうで生き生きしているから、「行ってよかったね」って。裁判所は笑顔のない仕事。私には向いていない仕事かな(笑)。
長年、顧客満足度を高めるために、自らを高め磨いてきた吉中さんだからこその深い感想だ。今回の経験は必ず仕事に、その後の人生に役立つはずである。
(2024年12月18日/2025年1月5日インタビュー)
【関連記事:連載「裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語」】
・第1回 プロローグ
・第2回 よそよそしい4日間(味香興郎さん)
・第3回 許せない罪(西澤雅子さん)
(2025年04月11日公開)