事案の概要
本件の被疑者となったA氏は、同僚であるV氏ともう1名の同僚と3名で飲食をともにしていたところ、酔ったV氏から一方的に暴行を受けた。暴行を受けたA氏が、ナイフでV氏の腹部を1回突き刺したという殺人未遂被疑事件である。なお、本件は要通訳事件である。
取調べ拒否の弁護実践の内容と成果
1 取調べ拒否の申入れ
当職は、被疑者国選で本件を受任し、勾留決定翌日の2024年9月3日に初回接見をした。取調べ状況を聞き取ったところ、すでに弁解録取手続及びそれに引き続く取調べで数通の供述録取書に署名・押印していた。作成された供述録取書の内容を聞くと、殺意を否認しており、また、正当防衛状況に関する供述も行っていた。
当職は、A氏に対して黙秘を助言し、実際にそれ以降は、一切の供述を拒否している。
その後、9月5日の接見で、A氏は、黙秘権を行使すると言っているにもかかわらず、取調官から、同じ質問を執拗に繰り返されたり、(A氏の母国にいる)子どものことを考えろと説得されたりして、黙秘しているなかで長時間の取調べを強制されることに精神的な苦痛を感じていると訴えてきた。相弁護人と事前に相談していたとおり、A氏には取調べを拒否するように伝えた。黙秘権を行使する意思を明示しているにもかかわらず、連日長時間の取調べを受忍しなければならず、その間捜査官の説得に耐えなければならないのでれば、黙秘権は権利とはいえない。要通訳事件であるから、本人に対する説明は、できる限り具体的に、何をすればよいのか明確に伝えるように心掛けた。すなわち、「取調べは拒否できる」、「部屋の奥から一切動かない」、「明確に『出ない』とだけ言う(理由は説明しない)」、「悩んでいる様子を見せない」という内容を通訳人を通じて伝えた。
当初A氏は不安げな様子であったが、取調べを拒否する決意を固めたため、同日に本人の署名をした取調べ拒否の申入書を、留置管理課、捜査担当課、担当検察官宛にFAXした。
なお、本件の捜査を担当していたのは大阪府淀川警察署だったが、A氏の勾留場所は東淀川警察署だった。
2 二度にわたる強制連行
ところが9月8日、東淀川警察署から電話があり、A氏が接見希望をしていると連絡があった。当日接見すると、大阪府警察の信じ難い対応が明らかになった。A氏が取調べを拒否したところ、留置管理課の職員数名が居室の中に入って来て、手錠腰縄をつけられ、腰縄と身体を掴んで無理やり居室内に持ち込まれた車いすに乗せられたというのである。8日の強制連行では、東淀川警察署内の取調室に強制連行されたが、本人が黙秘する旨告げると、数分で居室まで戻されたとのことであった。すぐさま抗議書を送付したが、残念ながら抗議は奏功しなかった。翌9日に、またしても強制連行されてしまったのである。
9月9日午前中、捜査を担当している淀川警察署からA氏が接見希望をしているという連絡があった。すぐに淀川警察署で接見をすると、さらに信じ難い対応が明らかになった。この日もA氏が取調べを拒否すると、8日と同様に手錠腰縄をされ、車いすに乗せられて留置管理施設から出されてしまった。留置管理施設のある2階から、出入り口のある1階までは階段しかなかったが、A氏は自ら降りることを拒んだ。すると留置管理課からA氏を引き取った淀川警察署捜査官は、留置管理施設のある2階から1階までの階段を、A氏を抱えて引きずり降ろしたのである。A氏の足は何度も階段に打ち付けられた。このときもすぐさま抗議書を送付した。
取調べを拒否したA氏は、人ではなく、「物」として「運搬された」のである。
3 移送申立て
さすがに二度にわたる強制連行、しかも階段を引きずり下ろす行為は容認できず、裁判所に対して、A氏を大阪拘置所に移送するよう申し立てることにした。申立書(資料1)には、黙秘権を行使する意思を表明している被疑者に対して、意思に反して取調室に連行し尋問を受けることを強要することは、黙秘権侵害に他ならないこと、二度にわたる強制連行によってA氏の尊厳が傷つけられていること、弁護人からの抗議にもかかわらず二度目の強制連行と階段の引きずり行為が行われたことから、移送しなければ違憲・違法な捜査を止められないことを記載した。
二度目の強制連行があった9月9日に移送申立書を提出し、検察官意見書が返ってきた11日に裁判官との面談を行った。A氏からは、警察職員が強制連行の様子をビデオカメラで撮影していたと聞いていたため、裁判官に対して、撮影された映像を入手し、その内容も見たうえで判断してほしいと伝えた。裁判官としても強制連行の事実の疎明としてビデオの内容を確認することは必須と考えており、検察官に動画データを見せるように伝えるとのことだった。
翌12日、裁判官から連絡があった。裁判所から担当検察官に問合せをしたところ、四の五の弁解をして、動画データの提供は困難であると述べたようであった。裁判官は、検察官に対し、事実取調べとして動画データを提供するように求めたが、検察官はこれに応じなかった。裁判官は、検察官がビデオカメラ映像の開示を拒否したことを受け、弁護人の申入れにもかかわらず強制連行が継続しているという事情があれば、移送決定を出すつもりであると述べた。
すぐに当職がA氏と接見し、その後の状況を尋ねると、またしても信じ難い対応が明らかになった。A氏は、淀川警察署捜査官から、強制採血のための令状を呈示され、採血のために医療機関に行くと告げられた。A氏が、取調べにも行くのかと問うと、淀川警察署捜査官は、「それは終わってから話そう」と述べるにとどまった。令状があるのでA氏は部屋から出て、医療機関で採血を受けたが、捜査官は、A氏に何も告げないままA氏を取調室のある淀川警察署まで連行したのである。完全な騙し討ちであって、もはや無茶苦茶としか形容のしようがない。
もちろん抗議書を送付のうえ、裁判所に補充書(資料2)を提出した。その結果、13日にA氏の勾留場所を大阪拘置所に変更する旨の移送命令が出された。
なお、移送命令が出た9月13日は金曜日で、翌日からは三連休だった。後日第三分類を謄写したところ、検察官は、13日に裁判所から移送申立補充書に対する意見を求められ、意見書を出すのは連休明けの17日になると平然と回答していた。裁判所が再度問合せをした結果、補充書に対する意見書は作成しなかったようである。
4 検察官による準抗告と深夜の拘置所への移送
9月13日午後1時30分頃、移送決定がされた。しかし、午後4時51分に東淀川警察署に確認しても、検察官から移送指揮が出ていないということであった。午後5時に裁判所から当職に連絡があり、検察官から移送命令に対する準抗告と執行停止申立てがあったことを知らされた。検察官は、移送命令が出ているにもかかわらず、執行停止申立ても移送指揮もせずに3時間以上放置したのである。
検察官は準抗告申立書で、「刑事訴訟法198条1項の反対解釈として、逮捕又は勾留されている被疑者には取調べ受忍義務があり、被疑者を取り調べるに当たって、出房を拒否する被疑者に対して必要・相当な有形力を行使して取調室に出頭をさせて、その場に滞留させることができると解されている」、移送の必要性については「移送された場合でも、本件同様、取調べの必要に応じて、被疑者に対して出房・取調べに応じるよう説得し、健康上の理由でないことを確認し、何度か警告をしても、あくまでこれに応じない場合には、必要かつ相当な範囲で、腰や脇を持って車椅子に乗せて取調室に移動させるなどの有形力を行使することがあり得ることに変わりはないのであるから、移送の必要性は全く認められない」と主張していた。拘置所に移送されても違憲・違法な強制連行を行うと自ら宣言したのである。
検察官の準抗告は同日の夜に棄却され、A氏は、無事三連休前の13日深夜、大阪拘置所に移送された。準抗告棄却決定では、「留置担当者の行為が取調室への出頭を求めるに当たり必要かつ相当な範囲のものであると断じることが困難な状況にある」と判断し、「被疑者の身体の安全に配慮する必要性や、これまでの勾留期間や被疑者の態度等を考慮すれば、本件においては、捜査への弊害などの検察官の主張を踏まえても」原決定の判断は正当であると記載されていた。
5 傷害罪での起訴
上記の経過を経て大阪拘置所に移送された後、A氏に対する取調べは行われなかった。A氏に対する終局処分は、殺人未遂ではなく、傷害での公判請求となった。
まとめ
本件を担当した警察官や検察官の対応を見ると、被疑者の立場にある者を、尊厳ある人として扱っているとは到底思えない。黙秘権行使を宣言した被疑者を連日長時間取調べ、説得と称して尋問を続けるのである。移送申立てに対する意見を求められても、数日間平然と放置しても構わないと思っている。裁判所が移送命令を出したにもかかわらず、移送指揮も執行停止もせず、根拠なく留置施設に留め置いているのである。黙秘権侵害に対抗するには、やはり取調べ自体を拒否することが有効であることに確信を持った。
また、本件で移送後は取調べが行われなかったことを踏まえると、取調べ拒否に対して強制連行がなされた場合には(あるいは強制連行などなくとも)、私たちの依頼者を捜査機関に委ねるのではなく、本来の勾留場所に移送するように求めることも有効な手段であると感じた。
(『季刊刑事弁護』122号〔2025年〕を転載)
(2025年04月11日公開)