はじめに
取調べ拒否は、簡単で、実に効果的だ。これほど有用な実践が今まで広がらなかったことに驚いている──というのが、率直な感想である。
いくら「黙秘する」と言おうが、取調べが止まず、「説得」という名の押し付け、貶め、揺さぶりが延々と続く現状において、被疑者はいまだに取調べの「客体」であり続けている。被疑者が「客体」という立場から解放され、刑事司法の闘う「主体」としての地位を獲得していく、そのために、取調べの拒否ほど強力な手段はない。
事案の概要
本件は、被疑者がいわゆる特殊詐欺の受け子の実行犯と共謀し、引き出し行為を行ったという疑いをかけられた事案である。被疑者は、同様の事案で、3度の逮捕・勾留をされ、そのうち2度に勾留延長をされた。
被疑者は、自身の関与を一貫して否認している。
以下述べる実践の結果、調書を取られることは一切なかったが、職業安定法違反及び窃盗で公判請求され、今後公判廷において争っていく予定である。
取調べ拒否の実践
被疑者は、特殊詐欺になど絶対に関与していない、と強く否認しており、私は取調べの拒否を助言した。
被疑者は以前、事実を争わない事件において、弁護人の助言で黙秘をした経験があり、ましてや本件のような否認事件で黙秘することの重要性は理解しやすかったようで、取調べの拒否にも抵抗がなかった。
実践としては、RAISの「実践マニュアル」が丁寧に指南してくれているとおりであって、私自身は特に苦労も工夫もしていない。同マニュアルの書式の通告書を、担当検察官や担当警察官及び警察署長、留置を所管する警務部に送付した。被疑者には、房から出ないこと、しかし無理矢理連れて行かれそうになれば、公務執行妨害罪に問われる危険があるため、房から出たうえで黙秘すること、を助言した。
果たして捜査機関からどれほどの抵抗があるのか、と幾分緊張しながら臨んだのだが、取調べ全体を通じ、基本的には予想したよりもずっと容易に取調べが拒否できたといってよい。
まず、最初の2日間で、被疑者は2回、房から出ないことに成功した。しかし、3回は房から出させられ、「いつ言い分を言うのか」「反省していないと思われるよ」などと、典型的な供述強要をされた。これは黙秘権侵害に他ならない、違憲違法な措置だとして、抗議文を担当検察官及び担当司法警察員・同担当者所属警察署長・刑事課長に宛て送付した。
抗議を受けたため、その後は、「お前今日は行くのか」「行きません」というだけの簡単なやり取りで、取調べを拒否できるようになった。留置担当者は、毎日房にはやってくるが、取調べに出すことを端から諦める態度になったのである。
ただし、再逮捕後の弁解録取の機会を捉え、取調べをされたり、検察官調べについては「義務だから」などと意味不明なことを言われて連れ出され、取調べられたり、ということも発生した。さらに、押収品を還付するからとの名目で部屋から出され、騙し討ちのように、警察官が、捜査側のストーリーの押し付けをする、弁護人の悪口を言うといった事態も起こった。これらの際には、抗議文を送付し、厳重に抗議した。被疑者は、捜査官に吐かれた数々の暴言を、指折り数えながら覚え、部屋に帰って急いで被疑者ノートに記録し、私に教えてくれた。そこで、その内容を全て織り込み、抗議文を出したのである。不測の事態に対しても、取調べ拒否の実践に慣れ、その効果を実感してきていた被疑者は、適切に黙秘でき、調書が作られることはなかった。今後は、このような事態をそもそも生じさせないよう、一層厳しく注視していく実践が必要である。
取調べ拒否の効果
取調べ拒否のもたらす効果は絶大である。
被疑者は「取調べに行かないのは、精神的に本当に楽だ」という。
被疑者は不当に取調べられたこともあったが、その際、否認事件の取調べがいかに理不尽で苦痛なものかを経験し、取調べからの解放の効果を、身をもって実感したということであった。
取調べ拒否の結果、当然に、調書は一通も作られていない。本件は、公訴提起され、これから公判で闘っていく必要があるが、調書という足枷なく、証拠開示を十分に受けたうえで、戦略を立てることができる。
そして、取調べ拒否は、弁護人の負担も圧倒的に軽い。取調べに対して、黙秘をさせるという方法を取っていた時代には、「黙秘を貫けないのではないか」「脅されているのではないか」と気が気ではなく、毎日の接見が欠かせず、被疑者に取調べ内容を聞くためにも膨大な時間を要した。しかし、被疑者が取調べを拒否すれば、弁護人も過度な心配は無用となり、不当な取調べ内容の確認に時間を割かれることなく、より積極的な弁護活動に注力できる。
取調べ拒否の効果、それは、被疑者が圧倒的な供述の自由を手に入れ、自らが「主体」として、取調べをコントロールできることである。事案によっては、「取調べは拒否するが、弁護人が立ち会えば話す」という実践を行い、被疑者が発信したい情報のみを的確に伝えることも可能ではないか。
取調べ拒否の実践の基にあるもの──それは、弁護人という専門家が寄り添うなかで、被疑者という一人の人間が、国家権力からの制約を受けずに、自由に考え行動するという、基本的な人権の思想である。
身体拘束の長期化のおそれ?
取調べ拒否によって、身体拘束が逆に長期化することはないのか?──心配する被疑者もいよう。検察官が、「被疑者の取調べ未了」を理由に、勾留延長を申し立ててくるのではないか?
結論として、そのような心配は無用である。
本件において、「被疑者取調べ未了」を理由にした勾留延長の決定に対し、私は、準抗告を申し立てた。準抗告裁判所は、携帯電話解析等の捜査未了のため、勾留延長自体は認めたものの、「なお、原裁判は、勾留期間延長の理由の1つとして被疑者の取調べの未了を挙げているが、被疑者が別件被疑事実での勾留以降、取調べのための出房を拒否し、出房した際も一貫して黙秘している状況を踏まえれば、これを延長理由として挙げることは適切ではない。」と判断した(高知地決令6・10・7LEX/DB25621077)。取調べを拒否する被疑者に対し、取調べ未了を理由に勾留延長をすることは許されないことを明確にしたもので、極めて適切な判断である。弁護人からすれば、至極当然の結論ではあるが、このような判断の地道な積み重ねが、取調べ拒否が身体拘束の長期化になど結びつかないことを、既成事実として確立させていくといえる。
取調べ拒否は、身体拘束の長期化を招くどころか、人質司法を瓦解させるものである。
すなわち、取調べ拒否により、被疑者が「主体」として取調べをコントロールすれば、取調べは空洞化していくほかない。本来、勾留の目的は、逃亡と罪証隠滅の防止である。ところが、現状では捜査官が「取調べ」を目的に、逮捕・勾留を求め、裁判官が漫然とこれを認める事件がどれ程多いことか。目的達成のための手段の相当性を問うのは、法の常であるが、現在の人質司法では、明らかに目的に沿わない身体拘束が乱発されているのである。真に罪証隠滅・逃亡を疑わせる合理的な理由があるケースは、ごく一部のはずである。取調べが空洞化し、無駄なものとなれば、身体拘束が、本来の勾留の目的に沿ったものに相当限定されていく。そうなれば、悪しき人質司法は崩壊するほかない。人質司法の打破のためにも、日々の取調べ拒否の実践が不可欠である。
「取調べ拒否権」の確立
取調べ拒否は、「黙秘権」を実効化するためのもの、といわれる。
しかし、私は、法文にはない「黙秘権」という言葉自体に強い違和感を覚える。
「黙秘権」というとき、そこには、「取調べはいくらでもやるが、黙っていてもいいよ」、そのような受け身のニュアンスがある。延々と続く執拗な尋問に対して、じっと沈黙し、耐え続ける被疑者、という構図が浮かぶ。弁護人の方から、わざわざ「黙秘権」と呼ぶことは、取調べ受忍義務論を前提とした捜査側に与みすることではないのか?
我々が想定する「黙秘権」とは、ただ単に黙っていることを保障されるという、消極的・受動的なものではないはずである。供述に関する被疑者の権利を、本来あるべき積極的なものとして捉え直すには、被疑者が主体的に供述を拒否できる権利、すなわち「供述拒否権」と呼ぶのが正確である。そうして、被疑者が包括的に一切の供述を拒否するならば、それは「取調べ拒否権」となるのが、当然の帰結である。
名は体を表す。被疑者を闘う「主体」とし、供述の自由を確立していく、そのためには、日頃から何気なく使っている言葉から意識し、取調べ拒否の実践をダイレクトに表す「取調べ拒否権」という名を、積極的に使おうではないか。
「取調べ拒否権」の行使によってこそ、被疑者は刑事訴訟の当事者になることができる。
(『季刊刑事弁護』122号〔2025年〕を転載)
(2025年04月11日公開)