裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第3回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第3回

許せない罪

西澤雅子さん

公判期日:2018年4月23日~4月26日/青森地方裁判所
起訴罪名:殺人罪
インタビューアー:田口真義


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西澤雅子さん(2024年12月8日、筆者撮影)

黙ってみていた——公判

 補充裁判員の西澤さんは、法廷では一番後ろに座った。それでも、知っている法廷とは景色が全然違うなと思ったそうだ。

 被告人の姉への共感と被告人への「許さない」という気持ちが西澤さんを公判に釘付けにする。検察官、弁護人はどうだろう。

 やはりというより、この段階で弁護人に分があるパターンは聞いたことがない。では、評議室で濃密な時間を過ごす仲間のうち裁判員のほうから思い出してもらう。

 この裁判体には、判決後に驚きの出来事がある。楽しみはもう少し後にとっておいて合議体の要、裁判官の評価を聴いてみたい。

 紛れもなく裁判長の一人勝ちのようだ。この裁判長は私もお会いしたことがある方で、良い意味で裁判官らしくない人だ。とても魅力的で西澤さんが絶賛するのも納得できる。

 では、公判の様子を聴いていこう。事実関係に争いはなく、量刑を考える裁判となる。

 認めているという前提はあっても、被告人に有利な事情を探したくなる。証拠類はどうだろうか。

 報道によると、事件発生が18時30分頃、被告人本人からの110番通報が23時30分頃。約5時間の間、息絶えた母を前に被告人は何を思っていたのだろうか。

それでも親だよ——評議

 誰も補充質問をすることもなく、検察官から求刑12年の論告と弁護人からは「寛大な判決を」という弁論があり結審した。舞台はここから評議室へと移る。その前に、気になる点を二つ聴いてみたい。

 地域的に、かなり重度のクルマ社会だと思う。公共交通機関といっても都心部のような万能性は期待できない。前述のとおり、新幹線でも間に合わず車で通った裁判員もいた。西澤さんにとって、最寄り駅が近かったのは幸いだったといえよう。

 そして、地域性という観点では方言の問題。津軽弁一つとっても地域によってはまったく通じないこともあるそうだ。しかし、そんなことは杞憂だったようだ。一方で、あえて赴任先地域の方言を駆使して訴訟指揮を執る裁判官がいることも添えておく。ちなみに、西澤さんが口にした三つの津軽弁はいわゆる相手を軽蔑してからかう意味合いの言葉だ。

 さて、互いを番号で呼び合っていた合議体の議論を覗いてみよう。

 最終的な評決権はないが、補充裁判員にもきちんと模擬投票する機会を設けるあたりさすが裁判長と膝を打つ。その裁判長と西澤さんの議論に注目したい。

 担当したすべての裁判員裁判で同じ運用をしているかどうかはわからないが、この裁判長の下で裁判員を務められることは幸運なことだと思う。もしも、評議に参加できなかったら、「せっかく行ったのに、つまらないんじゃないですか」と西澤さんは口をとがらせる。量刑検索システムについてはどうだろう。

 やがて、議論は収束し懲役11年という結論に行き着いた。判決公判に臨んだ西澤さんは、やはり傍聴席ではなく法壇の上からその言渡しに立ち会ったそうだ。

鍋を囲んだ裁判員——判決~裁判後

LJCC東北交流会に初参加した西澤雅子さん(右端)(2024年11月13日、LJCC提供)
津軽富士と称される岩木山(2011年10月22日、筆者撮影)

 言い渡した懲役11年という判決はそのまま確定したそうだ。晴れて裁判員経験者になった西澤さんだが、裁判所を出る前にとても興味深い出来事があった。

 驚きと同時に嬉しさのこみ上げる展開だ。前作『裁判員のあたまの中』に収録された識者コメントの中で、杉田宗久元裁判官(2013年12月25日没)がイタリア参審員制度の研究調査でフィレンツェに出張した際、裁判官や参審員たちが判決後に、ワインや家庭料理を持ち寄って評議室で一杯やるという話を聞いたと書かれていた。その日本版が青森の地で実現していたのだ。足りないのはビールくらいか。西澤さんも文句なしで頷く。

 刹那でも楽しい時間を過ごして青森地裁をあとにした西澤さんだが、もう一つ面白いことが起こる。

 青森だから、弘前だからではない。西澤さんが築き上げてきた信頼関係と古き良き共同体としての機能が彼女の生活圏に強く深く根付いているのだろう。彼女が周囲に話すたびに「やってみたい人」が増える。裁判所は裁判員裁判に参加したことだけでなく、制度普及貢献への感謝状を贈るべきだ。

 当初は、夢のお一人様生活を邪魔されたくなかったけれど、いざ行ってみるとちょっともったいなくなって、せっかくだからやってみたいと思えるようになった裁判員。あらためてどんな感想を抱くだろうか。

 幼少期から骨身に通してきた「親や子どもを殺してはいけない」という価値観は至極当然であり、人間だからこその普遍的な本能なのだと思う。

 裁判員制度そのものについては? 特にもう一度機会が巡ってきたらどうだろう?

 つくづく裁判員に選ばれる人というのは、そのタイミングとなるべき理由が備わっていて、文字通り巡り合わせに導かれるものなのだな、と深く感じ入った。判決後に鍋を囲んだ仲間たちとは残念ながらその後の交流はないそうだが、一番意見が対立した人とはもう一度会ってみたいと言う西澤さん。いつかLJCCの交流会の場でその方と再会する日がくることを願っている。

(2024年12月8日インタビュー)


【関連記事:連載「裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語」】
第1回 プロローグ
第2回 よそよそしい4日間(味香興郎さん)

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(2025年03月14日公開)


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