
美味しいリンゴ
今シーズンもたくさんのリンゴが届いた。送り主は青森県弘前市に住む西澤雅子(にしざわ・まさこ)さんだ。
青森と言えばいろいろあるだろうが私は断然リンゴだ。一時期、津軽の農協から6か月間のコースで毎年取り寄せていたくらいだ。弘前大学の裁判員イベントに招かれた際にそんな話を彼女にしたら、「あのね、本当に美味しいリンゴ送ってあげるから」と言われ一週間もしないうちに大量の、それも食べたことのないくらい美味しいリンゴが送られてきた。そんなことがあって西澤さんとの交流が始まった。2024年11月には無事にLJCCへ登録していただき、東北交流会への初参加を果たしていただいた。

(裁判員をやった)その年は、娘の結婚式に来るはずだった人が3人も亡くなったの。父親も60前に亡くなって、主人も若くして亡くなったし、臨終に立ち会ったのは片手じゃ収まらない。お葬式も何回経験したかわからないくらい。それを思ったときに親を殺すって、自分の命が子どもに決められるなんてとんでもない話でしょ。
事件は35歳の息子が62歳の母親を包丁で刺し殺すといういわゆる「尊属殺人」だった。「子が親を殺したり、親が子を殺したりしたら絶対に罪が重くなる」と耳にタコができるくらい母親から言われて育ったという西澤さんの死生観は、ご自身の周囲におけるたくさんの死を嚙み締めた発言からも窺える。殺人罪において、被害者が親や祖父母などの直系尊属だった場合に、刑を加重(死刑または無期懲役)するという尊属殺人重罰規定は刑法200条に定められていた。しかし、1973年の最高裁判決で違憲とされ、時を経て1995年の刑法改正時には正式に削除された。それでも西澤さんは、「子どもが親を殺すのは絶対に許せない」と何度も繰り返した。
(裁判員制度が始まった)2009年当時は、夫の看病で新聞も回覧板も見る余裕なんてなかったし、最後の5年くらいは座って食事した記憶がないほど大変な生活だったから、もちろん出れないし行く気持ちも余裕もなかった。ただ、守秘義務がどうのって新聞の見出しで言っていたからその話だけは頭に残っていた。
本当に過酷な看病と介護に明け暮れた日々の様子が伝わる。その反動からか、初めてお会いしたときからとても明るくお洒落で、東京の事にも詳しくハイカラな印象を受けた。
とんでもない誕生日
夫を10年以上の看病の末に看取ってから「暇よね」って東京さしょっちゅう遊びに行ってたの。そしたら、(青森の)弟から「不在票が入ってたよ」って。代わりに受け取っておいてと言ったら、「本人じゃないとダメみたい」って。で、(青森に戻って)郵便局に取りに行ったら裁判所からで、身内に悪いことした人がいて証人に立つとかそんなことかな、と思っていたら(候補者)登録通知だったの。
その時は主人も亡くなっていたから、時間的には行けるのよね。でも、いくら遊んでも大丈夫っていう自由がもったいなくて……でもきっとうちの旦那だったら、「お前が行かないわけないだろう」って言うと思う。
本来、天真爛漫なお人柄なのだと思う。伴侶の務め、妻の責任として最後まで夫の世話をし、看取るまでの時間を捧げられてきたことに、ただただ頭が下がる。当時70歳を手前にした西澤さんにとってはかけがえのないご褒美の時間だったに違いない。そして、存命ならかけられたであろう亡夫からの言葉にも不思議な説得力がある。
呼出状が届いた日が70歳の誕生日だったの。裁判所へ電話したら、「1月1日現在で70歳の方が断れます」と言われたの。孫ができるし、遊びに行きたいから(裁判員は)嫌だったのに……でも、辞退者が多くて困っているみたいで、本当に説得されたんですよ。70歳の自由との天秤!
登録通知を受け取ってから数カ月後、なんと西澤さんの誕生日に呼出状が届いた。とんでもない誕生日プレゼントを裁判所は用意したものだ。それ以上に、裁判所の説明が気になったので調べてみた。裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第16条には、70歳以上は辞退事由になると明記されているがその年齢に達する時期については言及されていない。しかし、私が保管する資料(A参照)のうち候補者登録通知に同封された調査票には「(登録された年の)1月1日現在、70歳以上である」という選択肢があり、該当する場合は辞退できるという説明がある。法律に書かれていない1月1日という時期が突然現れる。当時はあまり気にしていなかったが、そんなルールがあったのかと今さらながら思った。
ところが、その次の呼出状に付された質問票にも同じ設問があり、補足として、「裁判所にお越しいただく予定日(いわゆる公判期日)の最終日までに70歳になられる方であれば、辞退することができます」(B参照)と添えられている。額面通りに読むと、裁判所へ行くより前の呼出状を受け取った日に70歳になった西澤さんは堂々と断ることができたはずだ。法律にない日付もさることながら、その基準が登録通知と呼出状で違うという点は不可解なものだ。そして、選任手続への出頭率低下によほど切羽詰まっていたのか裁判所の職員に一芝居打たれたのかもしれない。あるいは、裁判所が二つの通知の矛盾に気づいていないだけなのだろうか。
ともあれ、西澤さんは呼出に応じて渋々と裁判所へ出向いた。


簡単な事件です——選任手続
(選任手続には)50人くらい来てて、本当に普通の人ばかりだった。若い人が多かったかな。なんかソワソワして面白半分みたいに来てた人もいたよ。5人くらいずつグループで全員面接した。
こんなにいっぱいいたらまず当たらないだろうて。でも、せっかくお招きいただいたし、知らないことや新しいことを覚えるのっていいじゃない?
事件のことは、新聞で見た。こんな事件があるんだって、親子の事件で尊属殺人というのも興味の一つ。
裁判所の説得の甲斐あって、それなりの人数が集まったようだ。
運転免許センターの電光掲示板みたいに番号が出てきて! 私ね、くじには当たるんですよ。だから、行ったからには当たるよねって。でも6番目までには(自分の)番号がなくて。外れることもあるんだな。「よしっ! 明日また東京行こう」って思って荷物まとめていたら、最後に補充裁判員というので自分の机の番号が出てて、「うそ……」。そんなのを思ってもいなかった。ショックというより、むしろ当たると思っていたから……。
迷った末に、「憧れのお一人様生活」のうちの数日間を犠牲にしようと決意した西澤さんを裁判所は放さなかった。2名の補充裁判員のうちの2番目、つまり最後の1枠に選ばれたのである。選ばれるつもりで行ったものの番号は出なくて、一度は切り替えて遊ぼうとしたのに、最後の最後で選ばれた。とても複雑な心境が窺える。
凄惨な事件の割には、被告人は逃げていなかったし、状況証拠もあったし、量刑判断だけの簡単な事件ですって裁判長から言われて、じゃあ簡単に済むかって(笑)。地元の事件だから補充になったのかな、と思ったけど関係ないですって言われた。
事件は、2017年11月に西澤さんも暮らす弘前市で起こった。同じ市内といっても広い。被告人と被害者である母親の自宅は別名「津軽富士」と呼ばれる岩木山の麓にある。冬は雪深い地域であり、まさに雪国の慣習が原因となった。
パートへ出る前に、息子に雪かきをしておくように言っておいたが、帰宅しても何もしていなかったため口論に。激昂した息子は台所の出刃包丁で母親を背後から一突き。そのまま失血死だったそうだ。
雪かきをしないというのは、ご町内に申し訳ないんですよ。若い人がいるのにやらないのは恥ずかしいの。夜中の1時とか2時の段階で20センチメートル積っていれば、役所から委託されている業者が除雪車やブルドーザーで回るの。それが(道路脇に寄せていくだけだから)跨いで行けないくらい積んでいくの。私も今は一人暮らしだから、(降雪の日は)2時頃まで待って、すぐに片付けちゃう。すぐにやると楽なの。朝6時くらいまで置いておくと岩みたいに重くなっちゃうから。とにかく雪かきしないと何もできない。
雪国あるあるとでも言うのだろうか、まさに地域性が絡む事件だ。そして、「簡単な事件」が幕を開ける。
(2025年03月14日公開)