裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第2回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第2回

よそよそしい4日間

味香興郎さん

公判期日:2016年6月6日~6月16日/東京地方裁判所
起訴罪名:強盗致傷ほか
インタビューアー:田口真義


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自宅で資料をめくる味香興郎さん(2024年11月18日、筆者撮影)

なんで覚えていないのだろう──公判

 事件は、1件目のコンビニ強盗から始まり、2件目は別な日にコンビニで再度強盗を行い、今度は逃走時に追いかけてきた店員を刃物で切りつけケガをさせた強盗致傷、最後は路上で通行人に背後から襲いかかりケガをさせた上で金品を奪った強盗致傷となる。味香さんたちは計3件の強盗および強盗致傷事件の併合審理を担当することになった。

 実は、この辺りから味香さんの記憶が曖昧になってくる。肝心な部分が丸々飛んでいたり、まだら模様のように覚えていたりいなかったりする。その理由は次第に見えてくる。

 確かに、民事裁判でも案件によっては会議室のような法廷で行われることもある。私の経験したことのある民事裁判(敷金返還訴訟)もほぼフラットな法廷が使われた。それに比べると裁判員裁判の法廷はぐっと高い段差になる。そして、さすがに毎回自由席の裁判員裁判はないだろうと思うが、もしかするとこの時の裁判長はそのような運用をしていたのかもしれない。

 では、初めて対峙した被告人の印象はどうだろう。

 公判時、被告人は60歳。傘寿を経たばかりの味香さんから見て「老けている」というのはよほど憔悴していたのだろう。事件の内容からも困窮していて切羽詰まっていた状況が窺える。しかし、だからといって他人からお金を奪ってよいというわけではない。咎められてしかるべきだ。公判の展開が気になる。

 経験上、検察官からの資料がないはずはない。ただ持ち帰れるわけではないので記憶に薄いのだろうか。それ以上に、自身の経験から卑劣な捜査機関という印象が根付いているようだ。弁護人に求めた弁護方針は、評議の際に吐露する思いにつながる。

 シンプルとはいえ、証拠調べはある程度きちんとしたようで、犯行時の様子はコンビニや街に張り巡らされた数々の防犯カメラ映像を見たそうだ。凶器である刃物も当然見ているし、軽傷だったとはいえケガの程度を知るための診断書なども見ている……はずだ。

 味香さんは、職歴からというよりも性格的に非常に細やかに記録をつける方だ。冒頭に書いた「人生三部作」は自作の年表があり、生まれてから社会に出るまでの序章、第一部(18歳~65歳)、第二部(65歳~90歳)、そして90歳からの第三部という構成で人生の出来事を整理したり、別な年表ではオイルショックやバブル崩壊など時事の話題を併記したりするほど几帳面だ。

 裁判の周縁部分はよく覚えている。しかし、一歩中へ入ると急に霧が立ち込めたように視界不良になる。決して守秘義務が邪魔しているというような陳腐な問題ではない。実際、守秘義務については、「一切影響ない」と一蹴している。粘り強く角度を変えながら質問を重ねていく。

 公判終盤、論告求刑では検察官から懲役16年という求刑がなされた。弁護人からは寛大な判断を、という決まり文句があって結審した。

LJCC交流会に初参加する味香興郎さん(右上から2人目)ら(2017年3月26日、筆者撮影)

まとまりがなくて──評議~判決

 ここからは評議室での様子を聴いていこう。先述のとおり、曖昧な記憶ながらも味香さん自身の発言などからこの合議体の雰囲気が浮かび上がってくる。まずは、裁判官の印象から聴いてみる。

 どうやら、「お坊ちゃん」と表現されたのが裁判長のようだ。人生の酸いも甘いも知る味香さんからみたら裁判長ですら「お坊ちゃん」となるのも納得だ。全員が男性の裁判官たちとは、初日だけ昼食を共にしたそうだ。初日限定の全員昼食会の慣例はまだ続いていたようだ。味香さんも「フレンドリーに感じた」と評価している。

 一方の、裁判員同士はどうだろう。男女3人ずつで外形上のバランスはとれている。

 裁判官からの東京地裁周辺ランチ情報も提供されず、裁判員同士も会話が弾まず、なんとも息苦しい評議室を想像する。「よそよそしい4日間だった」と味香さんは評していた。それでも、評議となれば積極的に意見を交わすと期待したい。被告人は全面的に罪を認めているため、議論の柱は量刑だ。

 念のため言っておく。補充裁判員に評決権はないが、裁判長の裁量で意見を述べることができる。一方の、正裁判員は意見を述べる義務がある。察するに、味香さんはどの裁判員よりも活発に発言していたのだろう。しかし、暖簾に腕押しとでも言うのか、議論がかみ合っていないように感じた。

 他方、おとなし過ぎてリーダーシップに疑問すら抱いた裁判長からは、量刑検索システムが示された。

 量刑検索システムの功罪は様々な意見がある。検察官の求刑16年もこのデータを根拠にしているのかもしれない。そして、偶然かどうかこの求刑に8掛けした懲役13年という結論に至った。

 私のときの補充裁判員は判決公判を傍聴席から聞いたのだが、味香さんは法壇の上から聞いたそうだ。本来なら、補充裁判員には判決公判への立会い義務はない。希望する場合は、傍聴してもよい程度の扱いであったが、判決が出たら用無しとされてしまう補充裁判員からの不満を汲み取って運用が変わったのだろうか。

 いずれにしても補充裁判員の任務を無事にやりとげた味香さん。裁判長からの感謝状を受け取り、一連の事務手続を経て評議室をあとにした。そこでの時間を共にした仲間は、裁判所1階のロビーで新聞記者に声をかけられた途端にバラバラと霧散したそうだ。

 よく見ると、味香さんの人生年表には裁判員をやったことの記録がない。当初はやりたくて、選ばれたときはあんなに喜んでいたのに……。

社会の問題として──裁判後

 「よそよそしい4日間」に判決公判を加えた5日間の非日常を過ごして、味香さんは裁判員経験者になった。あらためて振り返ってもらおう。

 法曹三者や裁判員制度についてはどうだろう。

 袴田事件を念頭においた冤罪への言及は、自身の理不尽な経験からくる含蓄のある言葉だろう。そして、制度への評価は味香さんが歩んできた壮大な人生と中小企業診断士としてのスキルがあってこその言葉だと思う。

 もう一回裁判員をやれる機会が巡ってきたらどうするか?

 今回の被害はケガだったが、もしも人がお亡くなりになっていたら?

 13歳で終戦を迎えて戦後の混迷期を生き抜いてきた方である。生まれ故郷の三重県では死者・行方不明者5千人余りを記録した伊勢湾台風(1959年)を体験している。おそらく、そのへんの警察官や検察官よりも凄惨な状況を目に焼き付けてきたに違いない。

 そして、裁判員を経験した翌年にLJCCメンバーとなり、程なくして刑務所見学の活動に参加した。

刑務所見学に参加する味香興郎さん(右端)ら(栃木刑務所。2017年6月14日、筆者撮影)
刑務所見学後、意見交換する味香興郎さん(中央)ら(2017年6月14日、筆者撮影)

 以前から何度も提唱しているが、裁判員になる人は自分たちが裁くその先を知ってから裁判に臨むべきである。いつか裁判所が、選任手続前に希望する裁判員候補者への刑務所見学を実施する運用になることを願っている。

 インタビューも終盤になってくると、何度も首を傾げていた「なんで覚えていないんだろう?」という味香さんの裁判員経験の謎が見えてきた。

 あまりにも期待を裏切られ、過大評価してしまっていたことが残念で、忘れてしまおうというより記憶しないという本能的防御が働いたのだろうか。結果、味香さんにとって裁判員という経験が良い経験だったのか良くない経験だったのかも判断できない状況が生まれてしまったのだろう。それでも、また通知がきたら笑いながら「やるよ」とはっきりとした口調で言う。そう、思い返すとインタビュー中もよく笑う。ついこちらも頬が緩んでしまう。90歳を優に超えてなお前を向いて歩き続ける味香さんの胆力に心から敬服する。

(2024年11月18日インタビュー)


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第1回 プロローグ


 昨年末から1月にかけて、刑事弁護オアシスのシステムで、①運用サーバのクラウド移行、②システムの移植、③Wordpressのアップグレードなどを実施したため、本来1月公開予定であった連載第2回の公開が遅れました。読者のみなさまにご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。(刑事弁護オアシス編集部)

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(2025年02月14日公開)


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